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生きていたら怒りだって湧くよね

私の身近な人に、よく「自信がない」と言う人がいる。

「自信をつけたい」といった言葉もよく耳にする。

「自信」「自分を信じる気持ち」。

そんなものは、生まれながらに持っているわけもなく、環境や経験、
努力をしている、あるいは努力をしてきたことで生成されるのではないだろうか。

自分を信じる気持ちなんて持たなくても、生きていけるし
「自信」などというしがらみを、気にしない人は、とことん気にしない。

それでもなぜ、「自信」を持ちたい人が存在するのだろうか。

先ほども述べた通り、「自信」は生まれながらに持っているものではない。
つまり、自然発生するものではない。

私は、学童期に容姿をからかわれたことがある。
そのせいもあってか、今でも油断をすると自分の容姿に対して
醜いと感じてしまうことがある。つまり自分の容姿に「自信」がないのだ。

自分の容姿に「自信」がないのは、なかなかに生きづらい。

日常で目にする、綺麗な子や可愛い子とつい比べてしまうからだ。

そんな生きづらさを解消するためには、
ただ「可愛くなりたい〜」「自信が欲しい〜」と言っているだけでは解消できない。

自分で見つけた「自信」をつける方法を試していくしかないと
私は、生きづらさを解消したくて行動に移していった。

今でも、完全に自分の容姿に満足しているなんて思っていない。
それでも、これでいいかな、私らしいよな、と思えるようになった。

寝て起きたら次の日には、「自信」が持てるようになりました、
なんてことはあるわけないのだ。

しかし、自分のやるべきことをやり、足りていない部分を補うことで、
少しずつ「自信」はついてくるものだと思っている。

だから私は「自分に自信がない」と聞いた時に、なぜ自分に自信がないのかを
聞くことにしている。

世の中には、ただ「自信がない」と呟きたいだけの人もいるのかもしれないが、
自分に疑問を持つことで、「自信」を積み重ねるきっかけになるのではないかと思う。

というのは気持ちの半分で、残りの半分は、
あまり「自信がない」と言う言葉を頻繁に言っているだけの人が、好きではない。

途中で述べた通り、私自身心から「自信」をつけたいと思ったら、
行動して、多少なりとも自分を変えることができた経験をしてしまったからだ。

だから「自信がない」と口先だけの人の気持ちを理解することができず、
尚かつ好ましくない感情を持ってしまうのだろう。

努力なんて見えない場合もあるため、一概に努力をしていないなんて決めつけてしまう私は、まだまだ修行が足りないとは思う。
しかし努力が見えていない場合は、「じゃあ自信をつけるために何をしているの?」と疑問に思ってしまう。

現在の状況や環境のせいにして、自分の力で変化をもたらせようともせずに、
「自信がない」とだけ呟いている人を、今後も好きにはなれる気がしない。

しかし、あまり好きではないといったことを表に出すと、
自分のことも嫌いになってしまいそうなので、
「結局は自分の現状に満足しているんだな」「行動するのが面倒くさいんだな」と思うようにしている。

そもそもの話、そんな他人のことに介入することは愚かそのものではある。

他人へ介入してしまう話をし始めたら収拾がつかなくなってしまいそうなので、この辺で終わらせようと思う。

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