本稿のねらい
2024年6月21日、政府は規制改革実施計画(2024年規制改革実施計画)を定め、その中で「スタートアップの更なる成長」「海外活力の取り込み・内外人材活用」という文脈において、「株式報酬の発行環境を改善する会社法制・金融商品取引法制の見直し」として次の3点の実施を計画した。
従業員等に対する株式報酬の無償交付を可能とする会社法の見直し
株式報酬の発行円滑化に向けた金融商品取引法制の見直し
ストックオプションプールの実現に向けた産業競争力強化法の見直し
このうち3点目のストックオプションプール関連の法改正は既に実現され、あとは施行を待つのみとなっている(おそらく2024年9月1日施行だろう)。
なお、「募集新株予約権(中略)の発行に関し、株主の利益の確保に配慮しつつ産業競争力を強化することに資する場合として経済産業省令・法務省令で定める要件」(産業競争力強化法第21条の19第1項)として、いわゆる省令要件の公表はいまだされていないが、遅くとも今月中には公表・パブコメが実施されると思われる。
本稿では、既に措置済みの上記3.以外の株式報酬の見直しに関する2点について概説する。なお、その前に「株式報酬」とはなにかという点につき簡単におさらいする。
株式報酬とは
株式報酬の定義・種類
株式報酬について法令上の定義があるわけではないが、一般的には次のような定義がされている。
なお、従業員に対する株式報酬の文脈でいう「報酬」とは「雇用、請負、委任等の対価として支払われる金銭や物品を指す。給与や賞与に加えて、福利厚生も含む」とされており、必ずしも「賃金」として付与されるわけではない点に留意が必要(一般社団法人日本経済団体連合会「役員・従業員へのインセンティブ報酬制度の活用拡大に向けた提言」)。
【具体例】RSU・PSU
https://www.sony.com/ja/SonyInfo/DiscoverSony/articles/202305/RSU/
【具体例】株式交付信託
従業員に対する株式報酬導入の意義
一般的には次のような効果を期待して従業員に対する株式報酬が導入されるようである。なお、下記③④は、株式報酬の設計上、一定期間の在職条件等の譲渡制限を付す前提での効果である。
①企業価値や株価に対する意識を高める
②エンゲージメントの向上
③長期での企業価値向上を意識付ける
④優秀な人材の引き留め(リテンション)を図る
【参考】株式報酬(RS)とストックオプションの違い
会社法の見直し
2024年規制改革実施計画の内容
この従業員又は子会社役職員に対する株式報酬に関する会社法の改正案(会社法改正案)については、所管は法務省とされ、「令和6年度中に法制審議会への諮問等を行い、速やかに結論を得て措置」とされているが、現時点ではまだ法制審議会への諮問は行われていない。
会社法改正案は、直截的には、規制改革推進会議「第6回 スタートアップ・投資ワーキング・グループ」の議論を経て出されたものである。
上記会社法改正案にある「株式報酬の無償交付に当たっての既存株主への配慮については、自身への報酬について不当に有利な額とするおそれがある役員報酬と異なり、従業員報酬は経営判断の範疇と整理し得るとの意見」は、下記後藤委員の意見である。
この点、上記後藤委員の意見は「このような評価は本研究会におけるこれまでの議論とは相当異なっている」とされており(会社法制に関する研究会第11回議事要旨1頁)、暗礁に乗り上げそうな雰囲気である。
つまり、取締役に対する役員報酬として、金銭の払い込みを要しない募集株式の無償交付が有利発行に該当しないとされているのは、会社法第361条の報酬規制に基づき募集株式が発行されているため、すなわち報酬規制の範囲内の募集株式の付与は類型的に有利発行ではないと考えられているためであるが、そうだとすると、従業員の場合は報酬規制のような法的枠組みがないことから、類型的に有利発行ではないと言い切るのは困難という意見もあり得るところである。
しかし、そもそも会社法第361条が取締役の報酬規制を定めているのは、いわゆる「お手盛り」の防止のためであるが、従業員の労務又はインセンティブの価値を従業員本人ではなく取締役が判断し、それに見合う株式報酬を付与するという本件の文脈において、「従業員の労務の過大評価を制御」することは果たして必要だろうか。各取締役がそれぞれの善管注意義務のもとに従業員に対する株式報酬規程(『「攻めの経営」を促す役員報酬-企業の持続的成長のためのインセンティブプラン導入の手引-』163頁参照)を定め、それに沿った運用を行う限りにおいて、十分制御可能だと思われる。
現状の規律
2019年会社法改正により、上場会社の取締役又は執行役に対する役員報酬として、金銭の払い込みを要しない募集株式の無償交付(募集株式無償交付)が認められるようになった(会社法第202条の2)。
他方で、現行会社法のもとでは、上場会社の取締役でない従業員又は当該上場会社の子会社の役職員については、募集株式無償交付のルールは設けられていない。
上場会社 ∧ 取締役又は執行役 ⇛ 募集株式無償交付 ○
上場会社 ∧ 従業員等 ⇛ 募集株式無償交付 ×
非上場会社 ∧ 取締役以又は執行役 ⇛ 募集株式無償交付 ✕
非上場会社 ∧ 従業員等 ⇛ 募集株式無償交付 ✕
このように、上場会社の取締役又は執行役に限り募集株式無償交付が許容されたのは、次の2つの理由による。
この点、会社が従業員等に対して金銭債権を付与し、当該金銭債権を対価とする現物出資を受けて株式を交付する方法(現物出資構成)により、会社の従業員等に対しても実質的な募集株式無償交付を実現することは、上場会社か非上場会社かを問わずに可能であるものの、現物出資構成は理解されづらいという問題点や運用が煩雑であるとの問題点がある。
そこで、「上場会社の取締役・執行役のみならず、上場会社の従業員および子会社の役員・従業員に対しても、報酬としての株式の無償交付を認めるべきである」と提言されている(一般社団法人日本経済団体連合会「役員・従業員へのインセンティブ報酬制度の活用拡大に向けた提言」)。
上記経団連の提言は、上場会社のグループ会社に位置付けられていない、いわゆるスタートアップの取締役や従業員等に対する募集株式無償交付を可能にすることは意図していない。
なお、従業員に対する株式交付については、付与される募集株式が労働基準法上の「賃金」(同法第11条)に該当するかどうか、つまり通貨払いの原則(同法第24条第1項)への抵触が問題となるが、福利厚生の範囲内のものとして整理されるのが通常である。一方で、福利厚生では有利発行該当性を回避できないとして、労働法制を変更し、従業員に対する株式交付について正面から労働対価性を認めていく考え方や、有能な従業員を引きつけるためのインセンティブとして機能しているものであるから、福利厚生の枠組みの中であっても有利発行該当性を回避できるという考え方もある。
会社法の見直しに向けた動き
筆者が把握している限りでは、会社法の見直しに向けた動きとして、2022年以降、次の5つがあった(順不同)。
コーポレート・ガバナンス・システムに関する実務指針(CGSガイドライン)改訂
『「攻めの経営」を促す役員報酬-企業の持続的成長のためのインセンティブプラン導入の手引-』(役員報酬手引)改訂
経団連による規制改革要望・提言
公益社団法人商事法務研究会における「会社法制に関する研究会」
規制改革推進会議「第6回 スタートアップ・投資ワーキング・グループ」
CGSガイドライン改訂
2022年7月19日付けでCGSガイドラインが改訂され、「5. 経営陣のリーダーシップ強化の在り方」に「5.5 幹部候補人材の育成・エンゲージメント向上」という項が新たに設けられ、その中で、執行役員レベルのみならず、中堅の幹部候補の従業員についても株式報酬の付与対象に含めることが示された。
ここでは、主に、従業員に対する株式報酬と労働基準法の「賃金の通貨払いの原則」との関係が整理された。
役員報酬手引改訂
2023年3月21日付けで役員報酬手引が改訂された。これは、上記CGSガイドラインの改訂を踏まえたもので、特に、「従業員に自社株報酬を付与する場合のQ&Aの追加を中心」としたものである(経済産業省ウェブサイト)。
これにより、「第5 従業員に対する株式報酬の付与に関するQ&A」という項が設けられ、Q78からQ83までにおいて従業員に対する株式報酬の意義や選択肢、その他懸念点等の質疑応答が記載されている。
経団連による規制改革要望・提言
2023年9月12日付けの「2023年度規制改革要望」のNo.47に「株式の無償交付の従業員等への拡大」という項目が追加され(※)、上場会社の従業員や子会社の役職員に対する募集株式無償交付を認めるよう示された。2024年1月16日付けの「役員・従業員へのインセンティブ報酬制度の活用拡大に向けた提言」でも同様の要望が維持されている。
※「2022年度規制改革要望」にも株式報酬関連の項目はあったが(No.23, No.24)、それらは会社法の見直しに向けた要望というより、インサイダー取引規制や開示規制の緩和を求めるものであった。
会社法制に関する研究会
公益社団法人商事法務研究会に設置された会社法制に関する研究会の第8回において、「株式の無償交付の従業員等への拡大」が(突如)検討事項に追加された(資料8)。
規制改革推進会議「第6回 スタートアップ・投資ワーキング・グループ」
上記会社法制に関する研究会の検討内容を踏まえ、従業員に対する募集株式無償交付制度について、主に2つの観点から議論が進められていた。
つまり、①募集株式の無償交付の可否(すなわち会社法第202条の2第1項のように募集株式の払込金額の定めを要しないとすることの可否)と②それが有利発行に該当するか否か、この2点である(※)。
※この点、従業員に対する株式報酬を付与するにあたり株主総会決議を要するとするか否かについても会社法上の論点である。しかし、上場会社(もっといえば公開会社)以外の会社は議論の対象となっていなそうである。そのため、対象は上場会社(公開会社)であり、有利発行に該当しない限り募集事項の決定を取締役会で行うことができる(会社法第201条第1項)。
そうすると、結局、従業員に対する募集株式無償交付が有利発行に該当するのかどうか、有利発行に該当する可能性を踏まえて既存株主保護のため一定の株主総会決議を要するとするかが論点となり、上記②に集約される。
金融商品取引法制の見直し
2024年規制改革実施計画の内容
この株式報酬の発行を円滑化するための開示規制の特例制度に関する金融商品取引法制の改正案(金商法制改正案)については、所管は金融庁とされ、「令和6年度上期中に結論を得て速やかに措置」とされており、RSU・PSU・株式交付信託といった事後交付型株式報酬の開示規制については、2024年規制改革実施計画公表の半年以上前である2023年12月12日に公表された金融審議会「市場制度ワーキング・グループ」・同「資産運用に関するタスクフォース」の報告書において、下記のとおり整備されることが提言されている(金融庁ウェブサイト)。
なお、金商法制改正案は、会社法改正案とは異なり、必ずしも従業員に対する株式報酬のみを対象とするのではなく、役員に対する株式報酬も含むものである点に注意が必要である。
現状の規律
現状の開示規制においては、上記のとおり、譲渡制限付株式(Restricted Stock: RS)やストックオプションについては、発行価額の総額が1億円以上となる場合にも有価証券届出書の提出を不要とする特例制度(金融商品取引法第4条第1項第1号、同法施行令第2条の12第1号・第2号)が用意されている。
特例制度の詳細は以前の記事を参照されたいが、特例制度の適用を受ける要件は次の2点である(2019年6月21日公表パブコメにかかる金融庁ウェブサイトも参照)。
上場会社等又はその完全子会社等の役職員に対して付与すること
交付を受ける日が属する事業年度の経過後3か月超の期間の譲渡禁止制限が付された株式を付与すること
つまり、付与対象者の制限と所定の譲渡制限期間の2点が特例制度の適用要件であるが、これは「募集・売出しの相手方が、会社情報を既に取得し又は容易に取得することができる場合(相手方を取締役等に限定)であって、譲渡制限により一般投資家に一定期間流通しないときは、投資家保護に欠けることがないため、有価証券届出書の提出を不要とし臨時報告書(有価証券の情報のみを記載)の提出で足りる」(規制改革推進会議「第11回 スタートアップ・イノベーションワーキング・グループ」【資料5】2頁)と考えられたためである。
金商法制改正案のa.②③はこの適用要件のいずれも緩和する趣旨である。
【参考】RSの開示規制
【参考】株式報酬の類型ごとの開示規制
金商法制の見直しに向けた動き
筆者が把握している限りでは、金商法制の見直しに向けた動きとして、2023年以降、次の3つがあった(順不同)。
2023年規制改革実施計画(規制改革推進会議「第11回 スタートアップ・イノベーションワーキング・グループ」)
経団連による規制改革要望・提言
金融審議会 市場制度ワーキング・グループ・資産運用に関するタスクフォース 報告書
2023年規制改革実施計画
経団連による規制改革要望・提言
2023年9月12日付けの「2023年度規制改革要望」No.48に「RSUの権利確定時における開示書類の提出の不要化等」という項目がある。
2024年1月16日付けの「役員・従業員へのインセンティブ報酬制度の活用拡大に向けた提言」においては次のとおり、金融審議会 市場制度ワーキング・グループ・資産運用に関するタスクフォース 報告書同様の提言がなされている。
以上