ぐるぐる思考停止ー!
職場の同僚にトンデモナイお局様がいる。
「なんでもいわないと気が済まない」傲慢なお局様。そのお局様の下について仕事をするのだが、「これ、こうだよね。なおたろうさんだからまあ、覚えていないよね。」「あれ、これっだっけ?違うよね?(周囲にたくさん人がいる)」と、とにかくよく気づくし、指摘する内容はあってて、周囲からは仕事ができる人という風に見られている。(言い方とかはまじでゆるせないけど)
・・・でも、それってほんとうに「仕事はできる」なんだろうか。
知性にはいくつか種類があって、認知性といわれる「課題を処理する速度」や「記憶力」、非認知性の「コミュニケーション能力」、「メタ認知」などさまざまな知性がある。単純に学歴が高い=賢いわけではなく、知性はそもそもさまざまな要素から成り立っているのだ。
であれば、「仕事ができる」とは、単純に専門性の高さや記憶力にとどまらないと思う。もちろん、それらは自分を一生懸命に磨いていった結果で手にしたものなので、それはそれですばらしいことなのだけれども。また仕事の特徴から専門性は当然求められるし、今後も必要とされ続けるものであると思う。(専門性についてはこれから、昔より重要性は低くなると予想している)
つまり、「仕事ができる」とはその仕事を遂行するうえで必要とされる要素の水準が高いことや、職業の特性によって重要とされるものに重きをおくと考えるのが、妥当であると考える。完璧な人間はいないので。
とは言え、「ほんとうに豆腐の角に頭ぶつけて〇んでくれ~」とか「その態度でみんながいやな気持になるでしょーよ」とか心の中ではわんわん泣いている。周囲の忖度も働いて、「お局様、たしかにそうですよね、◆◆があったのでそうだと存じます。」と、とにかくヨイショ、ヨイショ。かえって、その態度が余計にみんなを息苦しくさせているんだって。
ほんとうに嫌な気持ちでいっぱいだったある日、先輩に相談(愚痴)したところ、「あの人は自分に自信がない。特別な自分になりたい。だからあの態度をとっている。」と言われて、ハッとなった。たしかにそういうタイプの人間はいるし、その視点では見られてなかった。
そう考えると、「…お局様も人間だし、弱い部分をもっているんだな」と現実を嵐の中からではなく、嵐の外から見られるような感覚になった。先輩は偉大だあ。
より考察すると、人の目を気にする性格の自分はAさんの偽りの自信を増長させてしまっている。…あくまで、自分事だと思っていたやり場のない気持ちを、さらに大きくさせてしまっているのは自分だったのだろう。
以前、この現実に対して「あなたに共感をしたい」とまっすぐな目で見てくれた同期がいた。本当にごめんなさい。私はあなたという人間がとても好きだけど、あなたの気持ちを受け入れるだけの余裕はなかった。今度、また飲みにいきましょう。今度はちゃんとお酒も飲んで、話もするから。