多数派意見の危険性について

議論の出発点になる多数派意見

多数派の意見というのは、「多数派である」ということ自体がその正当性を示し、それがさらに進むと「常識」として社会の中で定着します。一度「常識」として定着された話は、その論拠や証拠などについては問われることがありません。またその「常識」が議論の出発点となり、それに基づいて話が進んでいきます。

しかし、多数派が必ずしも正しいとは限らないというのは歴史を見ても明らかです。最も有名な話が天動説ですね。どのようにして多数派の意見が出来上がるのかは後に記述するとして、ここで恐ろしいことに気付きます。正当性が確かではない多数派意見が、そのままその論拠や証拠が問われることなく、その話を前提に議論がどんどんと進んでいくことです。

そのようにして話を進めていくと、当然現実とは噛み合わない矛盾点に突き当ります。しかし、前提を疑うという発想に至る人は滅多におらず、逆に前提を真にするために、そこから物事を曲解したり妄想したりすることを始めます。そこで出来上がるのが陰謀論です。

そのくらい強力な影響を持つ「多数派の意見」というのは、一体どのように出来上がるのかについて次にお話をします。

多数派意見のでき方

もちろん、正当だからこそ多くの人に受け入れられた意見というのもあるでしょう。しかし、哲学の世界では多数派意見の形成には世界観が関わっているとされています。その世界観とは「神話的」「宗教的」「科学的」の3つになります。

神話的世界観

「雷が降るとへそを取られる」という話は日本の多くの人が知っている話ですが、この話には科学的根拠がなく、単に伝承によって古来から伝わった話にすぎません。今になってもそのような迷信を信じている人はいないでしょうが、しかし重要なのはそこではありません。この何の根拠も事例も無い話が古来よりずっと伝わってきているということです。

神話的世界観は、異文化の違う神話を持った人たちとの交流から、その常識が覆されてきました。今でもなお伝承されている言い伝えは当時ではかなりの影響力を持っていたことは言うまでもないでしょう。

宗教的世界観

神話的世界観は文化接触から覆されてきましたが、宗教的世界観はそれよりも強力であり、今まで文化の積み重ねから構築されてきた世界観を強引に「神」という大前提の下で塗り替えました。

神の言葉は絶対であり、神の言葉が真になるように世界をとらえることが正しい世界観となっていました。神でさえも間違えるというのは、天動説でも明らかになっている話ですが、今でもフラットアース論者がいるように、宗教的世界観の影響力は絶大です。「科学」が絶対とされる現在でもこの世界観を持ち続ける人は多く存在しています。

科学的世界観

現在で最も信用できる世界観とされています。しかし、中世頃までは「神の言葉」が絶対的で信じて疑われなかったことを考えると、遠い未来では「科学とかいう迷信を信じるなんて」と滑稽に思われる時代が来るかもしれません。

そのような未来があるかどうかは別の話として、とりあえず現在では科学を根拠とした世界観が真であるとして問題がないように思えます。

しかし、科学的世界観にも弱点があります。科学的世界観には、神話や宗教といった絶対的な基準がありません。科学的世界観は人によって見え方が大きく変わってしまいます。一見迷信など入る余地がないような物理学でさえ、現説が覆されることが頻繁に起きております。

様々な世界観が乱立しながら、多数派の称号を勝ち取っていく過程がここから始まるのですが、その際に私たちは正当な選択ができるとは限りません。専門性がない大衆に選ばれた意見が本当に正しいと言えるのでしょうか。

最も陥りがちな罠は「ポピュリズム的世界観」です。

ポピュリズム的世界観

世界観が神話的であろうと、宗教的であろうと、科学的であろうと、一度誰か声の大きな者が何かを唱えたとします。そのようなとき、私たちはその発言を信じて疑わず、すぐに鵜呑みにしてしまいます。

物事の真偽はそう簡単に決まるものではなく、突き詰めていけば一つひとつかなり面倒です。

そのため、基本的に私たちは「誰が言ったか」で物事の真偽を判断していきます。同じことを言っても発言者によって反応がまるで違うというのは多くの人が経験したのではないでしょうか。

声が大きい者の発言には小難しい論拠や証拠などは必要ありません。そもそも「発言者」自体が根拠となっており、その真偽に誰も疑問を抱かないからです。そのようにして多くの人に分かりやすく受け入れられていくうちに「多数派意見」となっていくのです。

さらに、民主主義が絶対正義となる現在では、冒頭でも述べたように「多数派であること」自体が根拠となり、常識となっていくのです。

しかし、ここまで至る過程で、そもそもその発言者の論拠や証拠について誰も疑問を呈しておりません。また、耳触りの良い言葉や理想論などを掲げると、その言葉に根拠がなくても「そうあるべきだ」「そうあって欲しい」という願望から、その言葉を受け入れる人たちも多くいます。これが感情論です。

このページでは、世の中の「常識」に対して、冷静に立ち止まり、「そういえばこれの根拠って何?」というのを切り口に、今まで見向きもされなかった少数派の意見についてまとめていこうと思います。

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