#看護学校教員の日々の日記
あっという間に土曜日が過ぎようとしている。
片付けたいことを少しずつする
デビューしてグループのセンターとしての重圧
それも、常にすでにJrの中のトップであり実力も知名度もあった中島健人と菊池風磨を差し置いてセンターにいることは14才の彼には相当な重圧だったと思う。幸いなことにケンティーも風磨も優しかった、センターが勝利と認めて自分ができる役回りを見つけていった。そんな二人を追いかけながら彼はたぶん、自分の不甲斐なさにも何度も苦しみ、ただひたすらに真面目に真っ直ぐにアイドルに徹底していたと思う。
ラジオで生まれて初めてプライベートで居酒屋に行き他のお客さんに混ざってご飯食べたと話していた、たぶん蓮見くんが連れて行ってくれたみたいな話しだった。27年間プライベートでは居酒屋にも行かずアイドルしてたのかと、何年か前に中学生のときのことをあまり覚えていない、仕事が忙しすぎたのでと話していたことも思い出した。同じく彼と年齢が近いデビューだったマリウスと聡ちゃんはパニック障害などでメンタルを崩した。笑えないときもあっただろうに、画面でもコンサートでも、舞台でも、常に笑顔でファンの声援に応えていた。
10代の頃お父様が亡くなられたときも主演の舞台があり、お葬式にも参列できなかった。
その日の舞台はプロとして素晴らしかった。しっかりこなしていた。彼は見た目はかわいいが根性あるし強いなあと思った。男は弱音を吐かないというちょっと、昭和男子の要素がある。そこが勝手ながら心配だった。
少クラで菊池風磨と二人でステージで歌ったときお父様のことを思い出し涙が出てしまい風磨が頭をクシャッとナデナデして肩を抱きながらこれからも、勝利のことよろしくね
と言って去っていった場面がよみがえる。
そうだよ、つらいとき、しんどいときは風磨に頼りなよ、頼っていいんだよとそう思った。
今年になってようやく無理をせず頼れるとこは風磨に頼ってるなあと、ホッとした。
そんな彼が初めて1人での企画に挑戦できている。アイドルとして初めてディスられるようなコント。
彼を縛っていた鎖が少しずつ解けていく、溶けていく、うれしくて、うれしくて、泣いてしまったわたしです。
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