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【タイドラマ】「The Trainee」で過去のアレコレを笑い飛ばせた話。

初めに白状しておくと、私の推しはFirstKhaotungであってOffGunではない。つまり私には“推しバイアス”が一切かかっていない。それでも「The Trainee」は面白い。これまで見たタイドラマの中でも上位に食い込むほど、毎回私を虜にしてくれる。

これまで“オススメのタイドラマある?”と聞かれるたび返答に窮していた私(※)が、これからはこの作品を挙げようとふんわり決意するほどの最近のお気に入りドラマである。

※「The Eclipse」は大好きだけれど、はじめてのタイドラマとしてはテーマが重い。昨年バズった「Only Friends」は少々映像が過激すぎる。どちらも優れた作品なのは間違いないが、いわば“タイドラマ102”かそれ以上であろう。
相手に追加の負担を強いることなく見てもらえるプラットフォームで配信されていて(NetflixかYouTubeがベスト、次点でU-NEXTが好ましい)、かつ“タイドラマ101”にふさわしい作品に、私はほとほと困り果てていた。その答えをようやく見つけたのである。

さて「The Trainee」は、素晴らしきお仕事ドラマである。ハッキリ言えない性格が災いして、なぜか映像プロダクションでインターンをすることになった大学生のRyan。彼が、同じく助監督部門のインターン生Pieをはじめとするインターン仲間たちと共に、数々のやらかしを経て雷を落とされたり、至らないながらも彼らなりに懸命な努力をしたことを認められたりしながら、内面的にもお仕事的にもレベルアップしていくお仕事系成長物語だ。…などとざっくり言ってしまうと、陳腐でありがちな普通のお仕事ドラマに聞こえるが「The Trainee」は一味違う。

カテゴリー的にはBLドラマのはずで、こちらもそのつもりで視聴しているのだが、この作品は冒頭の数話において「BLなのかはよくわからないけど面白いから良し」という感想を抱かせてくれた。同様の感想はYouTubeのコメント欄に散見される。この感想は呆れでもなければ、諦めでもない。アセクシュアルの私にとっては極上の褒め言葉だ。“胸キュンな恋愛要素で誤魔化すことなく、非常に魅力的な物語が描かれている”という意味だからだ。

「The Trainee」において、主人公とメンターの恋愛模様が明確に進展を見せ始め、他の二人の間(※)にも“何か”が起こり始めてくるのは、だいたい5話くらいからになる。

※追記: これを書いた時点で私は、あの二人がカップルになるとばかり思っていたのだ。なんならだいぶ推しカプだった。だから彼女たちがサブカプでもなんでもなく、ただよくわからない感じで過ぎ去ってしまったことが本当に残念でたまらない。

タイBLドラマをパターン化すると、多少の誤差はあれど1〜4話で片思い(または恋心を自覚)、5〜6話くらいで付き合って、11話で別れの危機、12話で大団円というのがセオリーである。それを踏まえると、この作品の恋愛はかなり遅い。だがそれがいい。

BLドラマであるにも関わらず、恋愛の始まりを後ろ倒しにする。“恋愛がすべてにおいて優先される世界”ではなく、“自己実現の過程の中に恋愛がある人もいる”というスタンスなのだろう。そう感じさせるほどに丁寧な人物描写が、私がこのドラマを楽しんでいる大きな理由の一つだ。

「The Trainee」では、インターン生5人のそれぞれの物語が、失敗と成長のエピソードと共に丁寧に描かれている。主人公とサブカプ以外の“恋愛的に重要ではないキャラクター”たちにも愛を注いで尊重する。彼らをただのモブキャラにしない。それって素晴らしいことではないだろうか。

どことなくシュールで独特なギャグセンスや鮮やかな色使い、独特な効果音もまさに沼(特にエラーが音が好き)。実年齢からは信じられないほど瑞々しく若々しい雰囲気をまとうRyanを演じるP’Gunの演技力にも魅了される。なるほどこれは私の最推しKhaotungくんが憧れるわけだと妙な納得までしてしまった。

というわけで「The Trainee」にどハマりしている私だが、実は1話の途中でちょっと泣いた。Ryanにキツく当たるメンターのJane先輩に、かつて出会ったある人のことを思い出したからだ。

私はコロナ禍が始まった年の4月から、テレビ業界の末端に位置する会社で働き始めた。業務内容は違うが「The Trainee」で言えばTaeのような、ポストプロダクションを担当していた。世間が巣篭もりだのおうち時間だのと言っていたあの頃に、普通に通勤していた人々の一人である。「あつ森」をやる時間も「愛の不時着」を観る暇もなく、ただただ毎日通勤するばかりの日々。どうやらその頃に「2gether」がバズっていたらしいのだが、そんなことは知りもせず、残業に疲弊し続けていた。今はもう退職したその会社に、Jane先輩のごとき研修担当者Nさんがいたのである。

彼女は、それはもう、ものすごかった。私は初日から「使えない」と陰口をたたかれたし「役に立たない」とまで言われている。私には聞こえていないはずだったのだろうが、残念ながらはっきり聞いた。
“未経験者枠での採用だし、初めて触る制作ソフトの使い方がわからないのは致し方なしでは?”と冷静に思う反面、初日からそんなことを言われれば、ただでさえ地を這う自己肯定感は叩きのめされ、私は完全に萎縮した。まるで冷徹なJane先輩に叩きのめされたRyanのように。

私の場合、同時に入社した人が経験者だったこともあり、余計に未経験者の粗が目立って見えたのだろう。“あの子はできているのに、コイツはできない”というワケである。そういう風に扱われることで、その子に複雑な気持ちを抱いてゆく自分のことも嫌だった。私より先に退職した彼女には“自分のせいで色々言われてごめん”といったニュアンスの謝罪をされた。彼女に要らぬ気を使わせたことを、今でも申し訳なく思っている。

私のあとに入ってきた人たちは全員、私より先に辞めていった。私は大晦日に休憩なしの10時間勤務を強いられたことでメンタル的な限界を迎え、退職を決めた。タイムカード上は休憩を取れていることになっていたのも危険な匂いがする。もう数年前のことであるが、やはりあれはアウトだったのではなかろうか。ともあれ以後は今に至るまで、テレビ業界、そして親会社だった某局には二度と関わるまいと、若干の恨みを心に秘めて生きてきた。

このような人生の思い出が、Jane先輩に強く当たられ傷ついたRyanを見ていたら脳裏によみがえってきて少し泣いた。そして思った。

ねえ、本当にRyanとJane先輩を恋愛関係にするつもりなの。それってなんか、ゴーヤー(つくしちゃん)とターム(道明寺)みたいな感じになるんじゃないの。“タームを好きなのはわかるけど、レン先輩(花沢類)のほうが圧倒的によくない?”みたいなさ。

しかし「The Trainee」は、その辺のフォローが上手かった。1〜2話では仏頂面の鬼メンターだったJane先輩。3〜4話になると、彼が不器用ながらもRyanやPieに歩み寄り、メンターとして彼らの成長を見守ろうとしている描写が増えてくる。“ああ、少し人付き合いが苦手なだけで悪い人じゃないんだな。一生懸命やれば認めてくれる人なんだ”と私は思った。“ラブコメにはよくいるツンデレタイプだよね”。そう思わせておいて、次の瞬間、ものの見事に裏切ってくる。

私がJane先輩の優しさに気づいたように、Ryanも先輩の不器用な優しさを感じ取り、勇気を出して仕事のアドバイスを求めたりする。そして思い切り冷たい言葉を浴びせられ、またしても傷つけられるのだ。このJane先輩の信じられない塩対応が彼の“人間らしさ”を引き立てる。そして私は、彼に好感を抱かずにはいられなくなる。

あるシーンを例に挙げよう。自分の作業へのフィードバックを求めるRyanに、食事もできないほどの忙しさに追われてイラついたJane先輩は冷たい態度で吐き捨てる。「そんなアイデアしか思いつかないなら、終業時間までただ座ってたほうがマシだろうな」。そしてその後、意固地になって残業しようとするRyanを見て、自身の冷たい言葉を反省したJane先輩は、彼を遠回しに食事に誘って謝罪する。“ごめん。僕が間違っていた。本当はアイデアに良いも悪いもないんだ”と。

なんという横暴。なんという身勝手。そしてなんと“人間”なのだろう。お腹が空いていて疲れているからと、インターン生に冷たく当たって嫌味を言うのだ。これが人間の所業でなくてなんだろう。

そう、Jane先輩はドラマの中のキャラクターだけれど、それ以上にあまりにも“人間”なのである。ラブコメのツンデレ王子様より、もっとずっと憎たらしくて生々しくて、だからこそ魅力的な人間だ。それに気づいて、ひどく気持ちが楽になった。

ああ、私は馬鹿だった。笑えるほどの大馬鹿だ。どうして、あの頃の私は、Nさんに向けられた悪意を真正面から受け止めて萎縮してしまったんだろう。Jane先輩には優しさがある。そして人間らしい苛立ちもある。八つ当たりもする。それを反省する心もある。Nさんも同じだ。

私はNさんを“あまたのスタッフを退職に追いやってきたお局さん”という記号でしか見ていなかった。けれど、きっと彼女も人間だった。機嫌がいい時もあれば悪い時もあっただろう。私に向けた悪口も、ただの不機嫌の産物だったのかもしれない。もしかしたら放った言葉を後悔したこともあったかもしれない。あるいは言葉通りに私が至らなかったのが気に入らなかったのかもしれないし、単に私のことが嫌いだっただけなのかもしれない。どれが正解かなんて、他人の私には分かるはずないんだ。

あまりにも“人間”であるJane先輩を見ていたら、なんだか面白くなって、馬鹿馬鹿しくなった。微かな恨みを抱いて生きることも、もう二度と会うことはないNさんに言われた「役立たず」を心の澱にしておくことも。どうしてこんなことになっているんだろう?

もういいや。忘れてしまおう、あの日々のことは。“そんなこともあったな”と過去にして、楽しく生きるが勝ちだろう。だって私にはFirstKhaotungにもらった自己肯定感の種がある。今年は全然来日してくれない最推しが最後に会った時にくれた贈り物。それを失くしてなるものか。だから笑い飛ばしてしまうのだ。

というわけで、おかげさまで私は過去のアレコレを手放すことに成功した。そして今週も「The Trainee」は面白い。これでいいのだ。人生投げ出したくなることもあるけれど、私はおおむね元気だし、Nさんもきっとどこかで人間をやっている。きっと、たぶんね。

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