アセクシュアル、タイBLの性描写と推し俳優“ふぁかお”を考える。
私はアセクシュアルだと思う。そのように保険をかけないと自分のセクシュアリティのことを語れないくらいには臆病な人間だ。“ない”ことを証明するのは悪魔の証明にほかならないので、難儀な性質を持って生まれたものだなぁと、やや辟易したり、ときどき絶望したりしながらなんとか生きている。
そんな私は2年ほど前にタイドラマにハマり、今はGMMの“ふぁかお”ことFirstくんとKhaotungくんを推している。演技力には折り紙付きの俳優カプである(タイはカプ営業がとても盛んなので、大変だなァと思う一方、ありがたくカプ推しさせていただいている)。
そんな二人の新作ドラマ「The Heart Killers」の放送開始日が決まり、トレーラーが公開された。それを観て、作品に含まれるであろう性描写について色々と思い巡らせた結果、なんだか諸々腑に落ちたので備忘録的に今の気持ちを記しておく。
アセクシュアルとひと口に言っても十人十色で、性的なものに対する感覚も人それぞれだ。私の場合は若干の性嫌悪があるらしく、性的(性欲的)なシーンにはあまり惹かれない。というか、なんなら居心地が悪くなるし、観たくないなとか、嫌だなと思ってしまう。それは性行為のシーンだけのことではなく、深いキスのシーンもちょっと... というか、そこそこ、割と、だいぶ苦手である。いちゃついているのとかは大丈夫なのだが。
ちなみに、ふぁかおの前作である「Only Friends」も、過激な性のシーンで話題を掻っ攫った話題作だ。Khaotungくん演じるRayくんがあまりにも破滅的で退廃的で生きることに倦んでいて、庇護欲をそそるし、愛おしかった。そして前評判以上に、性的に過激なシーンが多かった。
「Only Friends」にしても「The Heart Killers」にしても、私の性質とは明らかに相性が悪い作品だと言わざるを得ない。しかし何故だろう。不思議なことに、ふぁかおが演じるキャラクターたちのものであれば、私は性的なシーンやキスのシーンを、不安や不快感を覚えることなく、安心して観ることができている。
ふぁかおは演技力の高い俳優だ。特に複雑な感情の描写に信じられないほど秀でている。彼らの瞳は雄弁に物語り、愛や憎しみ、希望や失望、そして喜びや悲しみを映し出す。性描写やキスシーンにおいては、二人の間に強い絆や思いやりの気持ちがあることが一目で分かり、安心感をもたらしてくれる。
それは、あたかも優しく柔らかな愛情と敬意をもって作り上げられた芸術作品を鑑賞しているような、厳かで落ち着いた心地だ。サモトラケのニケを美しいと感じる気持ちそのままに、性的なシーンを綺麗だと思って観ることができる。
彼らが性的なシーンを演じる時、私は明確に、重要な意味を見出すことができる。何故そのシーンが必要だったのかが伝わってくる。“愛する二人はセックスをしたいものだから”とか“結ばれたらセックスをするものだから”とか、そんな乱暴な、私にとっては理解不能な性欲や、プロットの都合に突き動かされたご都合的サービスなどではない。性的なシーンの必要性が“私にも理解できる”。それが私はとてもうれしい。
ふぁかおの演じるそれらのシーンを自然と受け入れられるからといって、私のセクシュアリティが変わることはない。セックスの良さに気づいたりはしないし、突如、誰かに性的に惹かれ始めたりもしない。しかし、他の作品たちの性描写やキスシーンに引いてしまう自分自身に散々心を折られてきた私は、ふぁかおのシーンに美を見出せることで“一員”になれたように感じられる。その作品のファンの一員に。そして、社会の一員に。
それが、私がふぁかおを最推しとして愛する理由なのだ。彼らは私の特別だ。大好きで大切な彼らが、いつまでも私の宇宙で輝いていてくれることを願っている。