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「The Eclipse」が好きすぎるオタク、タイの教科書を読む。

飽きもせず何度も言い続けるが、私はタイドラマ「The Eclipse」が大好きだ。どれくらい好きかというと、出会ってから1年あまりで6周するほどであり、昨年12月の初タイ旅行では、読めもしないのに原作本を購入するほどだ。

また、Filmarksに“誰が読むんだコレ”状態の超長文レビューを書き綴るほど、私にとって大きな意味を持つ作品でもある。

それほど大好きで大切な作品なのだが、実は視聴中に、文化的な壁を感じてほとほと困り果てたことがある。それは第2話、主人公の一人であるアーヤンと歴史(社会科)教師のワーリー先生が議論になる場面だ。

「パホンポンパユハセーナー伯爵が始めた人民党の国家開発計画は、プレーク元帥の政府のもと、少しずつナショナリズムへと発展していった。その時代に彼がやったことを知ってる人は?」

(中略)

「平等? マーラーナムタイ時代に? マーラーナムタイ政策の目的は西洋文化と同等レベルへの引き上げ。彼は独裁者でナショナリストだった。平等を求めるなんてありえない」

「プレーク元帥が独裁者だったのは事実です。古い勢力と戦い、民衆のために平等を取り戻した事実は否定できません。我々はいまだに制服を着るべきだと、先生は思いますか?」

「もちろんよ。規律を維持するためにね」

「帽子を被るのも学校の制服と同じです。制服と違いはありません。平等を生み、格差を減らすためです。それから大事なことですが、制服の制度が生まれたのはプレーク元帥の時代です。いま先生が独裁者と呼んだ人です」

「The Eclipse」第2話(テラサ字幕)

これを理解できるオタクがどれほどいるのだろう。「The Eclipse」の舞台はタイだし、登場人物もタイ人だ。当然、タイの歴史を学んでいる前提で話が進む。私は議論に登場する人物を知らず、出来事も分からず、ただ情報量に圧倒されるばかりだった。唯一理解できたのは、アーヤンが先生をド正論で追い詰めようとしているということくらいだ。そんなに強い視線で明確に反論するのは、どう考えてもヤバいでしょ。

一時停止して、気になった人や事柄を調べてみても、インターネットにすら情報も少なく、いまいち理解には至らない。好きな作品を余すところなく理解したいのに叶わないのかと悩んでいたら、ある日こんな本に出会ってしまった。「世界の教科書シリーズ」といって、タイの高校の社会科教科書を邦訳したものだ。

そして唐突に、アックの言葉を思い出した。

「我々は先生から教科書を学んでいるのだから、教科書に書いてある内容を討論すべきです」

「The Eclipse」第2話

この直後にアーヤンが猛反発するので、アックの言葉の是非はさておくが、タイには歴史(社会)の教科書が1種類しかないという。

タイの教科書は、義務教育課程のものはすべて国定教科書です。つまり、初等学校(日本の小学校段階)と、前期中等学校(日本の中学校段階)の教科書は、国が作成・発行します。

 後期中等学校(日本の高校段階)においては、「タイ語」と「社会・宗教・文化」の教科書は、国が作成・発行しています。他の教科書は、民間出版社が作成し、国の検定を受けることになっています。

https://www.bunkyo.ac.jp/faculty/kyouken/old_web/kyoukasho2008/kyoukasho.html#:~:text=%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AE%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8%E3%81%AF%E3%80%81%E7%BE%A9%E5%8B%99,%E4%BD%9C%E6%88%90%E3%83%BB%E7%99%BA%E8%A1%8C%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

改訂された部分は当然あるだろうが、つまりこの歴史の教科書はアックやアーヤンたち学んでいた、あの歴史の教科書と地続きの存在なのでは…?!

そもそも私は「2gether」を観て「メナムの残照」を読み、「The Eclipse」を観て「1984」を読むような、本の虫タイプのオタクである。そんなオタクが“推しキャラが読んでいたかもしれない貴重な本”の邦訳版を見つけたらどうなるか。暴走しがちなオタク心で湧き立った結果、さほど安くもない本を購入するに至ってしまった。オタクって意味わかんない。

でもこれを読むことで「The Eclipse」をより深く理解できるようになったり、新たな知識を得て世界が少し広がったりしたら、それはとても楽しくて幸せなことだろうなと思っている。

ところでちょっと余談なのだが、どうしてFirstKhaotungは今年、あまり日本に来てくれないんだろう。昨年はあんなにも来日していたのに、今年は2月以来音沙汰なしだ。たくさんの人に愛されてほしいというのも本心だけれど、他国に行くと聞くたびに、毎回とっても寂しくなる。ドラマの撮影で忙しいのは分かっているし、いいファンでいられるように努力しているつもりでも、時折心がざわついて、理性を押しのけて感情が暴れ出しそうになる。もっと理性的ないいファンにならないと。

以上、台湾のお誕生日ファンミに少なからずダメージを食らったファンの戯言である。

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