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推しが来ない、タイにも行けない、こんな人生。

推しが来ない。忙しいんだろう。ドラマの撮影も進行中のようだし、色々とイベントにも出ているみたいだし。寂しい寂しいと嘆きながら彼らを待つことにも飽きてきて、タイに行こうと決意した。「GMM TV Starlympics 2024」である。

私は今、働きながらとある勉強をしている最中だ。来月は国試なのに、その勉強には手をつけられないほど実習の前課題に忙殺されている。真っ赤に添削されて戻ってくる課題には“こうしてください”と山ほど書いてある。“こういう順番で、このように、これをしてください。それをこのように書いてください。そして本番では寸分違わずこのようにしてください”というわけだ。

一言一句を直されて、一挙手一投足も直されて、私の作った原型はもう消えた。目の前にあるのは言われたとおりの文言で言われたとおりに書き直した数十ページもの文章だ。きっと講師の中には完成形の“正解”があるのだ。手元に答えのない状態で、それにどれだけ近づけられるかが問題らしい。それに気づいて笑ってしまった。どうしたら伝わるかとか、オリジナリティとか、そんなのは初めから求められていなかったのか。
苛立ち、ささくれ立つ気持ちを抑え込んで、理性的であろうと努力している。

全部終わったらStarlympicsに行こう。そう思った。実習は12月17日で終わる。イベントは12月21日だから、1週間ほど休みをとって渡泰して、やすらぎの時を過ごしたい。2メートルのミズオオトカゲを探して公園を歩き回りたいし、三島由紀夫の「暁の寺」をワットアルンで読みたいし、文字盤がタイ文字の腕時計も買いたい。できれば“タイのグランドキャニオン”にも行ってみたい。「The Eclipse」でディカー先生が飛び降りたあの崖だ。

Starlympicsは、推しの事務所総出のビッグイベントだ。当然推しも出るのだが、行きたいと思った理由はそれだけではない。日本でファンミをやってくれたことのない女の子たちに、Starlympicsでなら会うことができる。ViewちゃんやPloyちゃん、Piployちゃん。いつか会いたいと願っていたあの子たちがステージで輝く姿を見ることができる。それってすごく幸せだ。

そう思うと心が晴れてきて、年末の楽しみのために課題も実習も、どうなるかもわからない国試も、そして最近病名のついた体調不良も耐えに耐えていけそうだと思えてきた。

その楽しみが、今日になって打ち砕かれた。講師の都合で実習の後ろ倒しが決まったのだ。終了日は12月17日から24日に。こちらの都合を聞くこともなく、一方的に通達された。イベントは12月21日だ。呆然とした。推しは日本に来てくれない。だから私が行こうと思った。大好きな女の子たちにも会いたいと思った。それはできないことなのか。溜まる一方の推し活貯金も、頑張って貯めてきたタイ旅行貯金も、やっと使えると思ったのに。

Starlympicsにはたぶん行けない。強行軍できないこともないけれど、それは課題が何もないという前提でないと叶わない。おそらく無理だろう。冷静に考えるとそう判断するほかない。

なんだかひどくうんざりした。起きたら明日も働いて帰宅して“代筆”して寝るだけだ。推しは来ないし、推しに会いにもいけないのに、課題と締め切りと実習と国試だけはそこにある。

全部ただの偶然であるといい。これが例えば“全ての出来事には意味がある案件”で、何かしらのメッセージを孕んでいるのだとしたら、私はきっと生きているのをやめたほうが幸せだ。もうやめようかと本気で思う。それは常に薄々と思っていることではあるのだが。

とりあえず「蠍座は10月がラッキー月」みたいなことを書いていた占い師には詳しくお話を伺いたい。実習が今月頭に始まってから踏んだり蹴ったりで、ラッキー要素はひとつもないがそこのところの説明を求む。

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