夏目漱石からの受難
暗くなって仕事が終わり、パーキングから車を出そうとしていた。
この駐車場は、出口にゲートがあり、1台ずつ精算するタイプだ。
いつもは並ぶことの無い出口なのだか、土曜だからなのか、今日は俺の前に4台も並んでいた。
精算し終わるとゲートが開き、車道へと流れていくんだけど、なんだかいつもよりもたついている気がする。
この駐車場はゲートまでのルートが直線ではなく、直前で微妙にへの字に曲がっていて、運転手が精算機を使用している姿が後ろの車から見えない角度になっている。
イラついた訳では無いが、なんなんだろうなぁと、理由を知りたい気持ちは疼いていた。
やっと3台出て、俺の前にあと1台。
その1台がまた、いつまで経ってもゲートが上がらない。
3分ほどして、運転手が降りてこっちへ向かってくる。
若い女の子だった。
なんだなんだ?調子の悪かった精算機がいよいよ故障でもしたか?
窓を開けて、運転手の話を待つ準備をした。
その子が、
「すいません、1000円札が使えなくて。バックするのでちょっと下がってもらっていいですか?」
と言ってきた。
なるほど。この精算機は大きい額の札は受け付けないのだ。
一緒の現場をやっていた職人さんで、以前10,000円札しかなくて近くのコンビニまで行って崩したって人がいたことを思い出した。
この女の子は小銭でもかき集めてて、あんなに時間がかかった挙句、足りずに諦めたのか。崩してあげたいけど、10,000を崩せるような持ち合わせは無かったので、わかりましたと言ってバックした。
その子は車を下げた後、空いているスペースに車を戻した。
やっとのことで、自分の番になり、小銭でも足りる分を用意した、が、念の為手持ちの1,000円札を精算機に入れてみることにした。
お、すんなり入るじゃないか?
さっきの子の1000円はしわくちゃだったのか?などと思いながら、開いたバーを潜った。
大通りに面した駐車場の為、途切れなく走る車を暫く待つ必要があった。
さっきまで混んでいたのもこの為だったのか、と腑に落ちて、途切れを待っている時間も苦にならなかった。
と、自分のドアの隣をさっきの子が通った。
軽く会釈をして、すいませんでした、と声をかけてくれた。
手にはお札を持っている。
俺は声をかけた。
「1,000円札交換しますか?」
その子は立ち止まり、
「え、いいんですか?」と嬉しそうに言い、手に持っていた札をこっちに見せた。
あれ?1,000円5ピン札だ。全然しわくちゃじゃないな。
予想と違いちょっとわけがわからなくなったが、俺はバタバタと財布からシワの入った1,000円札を出した。
こっちはこっちで果たして使えるのかな?と不安になったが、丁度車が途切れ、いつでも大通りに走り出せるタイミングになってしまった。
そそくさとみすぼらしい方をその子に渡し、ピン札を受け取り、車を走り出させるために左右確認に取り掛かった。
別れ際に何か言っていたが、車が気になってきちんと聞き取れずに大通りへ走り出した。
あれで良かったのか気がかりだったが、後ろの車もいたし、タイミングが悪かった。また、精算機を通れなかったら申し訳ない。
ちょっと憂鬱な気分で、次の赤信号で止まった。
手に持った1,000円札に目をやった。
何か違和感がある。こんな感じだっけ?
ピン札の違和感ある1,000円?偽札?
直ぐに財布を取り出し、手持ちの1,000円札と見比べた。
やっぱり違う!
ていうか、ああ、旧札やん。
今は野口英世だった。
あの女の子は気づいてたのかなあ?
別れ際に言われた言葉は思い出せないままだが、夏目漱石にいっぱい食わされたんだと教えてあげたい。