山田君 不動産で世を渡る(プロになる)
ここでいっぷく。
今、喫煙者に対する風当たりが非常にきびしい。喫煙できる場所が少ないのである。
山田君は喫煙者である。
山田君がまだ幼いころ、父親はハイライトを吸っていた。たばこが切れると近所の煙草屋にお使いを頼まれた。お使いとともにお駄賃をもらい、アイスなどを買うのが楽しみであった。法事で集まった親戚のおじさん達も喫煙率100%という感じで、ガラス製のやたらとでかい灰皿や陶器でできた灰皿が家の中にたくさんあった。そしてたたみの焦げた跡も普通にあった。
女性も寛容な感じで、「男はたばこを吸うもの。」と母親は井戸端会議で話していたのを記憶している。ただ女性がたばこ吸うことに対しては寛容ではなかった気がする。「女のくせにたばこを吸うのは水商売」ってな感じで、女性が女性の多様性を認めない空気である。
高校生になると多感な時期で、いろいろなことに挑戦する=大人の真似をする。その代表格が、麻雀、パチンコ、酒、たばこ。
当時の高校生の情報交換は、家電話(家族の目の前で話す事になり、話しずらい)、直接対話、手紙、伝言ぐらいしかない。基本、逢って話す。
運動部であったが、きつい練習の後、部室で先輩が、一服し始める。見つかったら謹慎処分であるが、先輩、へっちゃら。すごいうまそうに吸っている。南アルプスに登山したときも満天の星空の下、先輩がテントでたばこを吸うので、顧問の先生対策で見張り役していた。その先生も縦走で何日間も山の中にいるので、たばこが切れて山道のそこら中に落ちているシケモクを拾っていた。「先生、先輩がたばこ持ってます。」とは言えなかった。
学校以外での同級生とのコミュニケーションはもっぱら対話である。放課後部活が中止になり、音楽をやっている奴らに喫茶店に誘われた。え!友達同士で喫茶店なんて行ったことない。
同級生は慣れた感じで、「アメリカンください。」なにそれ?俺はクリームソーダが定番だと思っていた。「じゃ俺もアメリカン」出てきたのは一回り大きいコーヒーカップに入ったホットコーヒー。250円。テーブルに角砂糖の入った容器があり、コーヒーと一緒にミルクの金属製の小さな急須が置かれた。
友人は角砂糖2つとミルクを入れかき混ぜる。口に運ぶ。うまそう。俺も真似をした。「やっぱ本物のコーヒーはうまいなあ」
友人はカバンからセブンスターを取り出す。火をつけ深く吸い込む。ふーっと紫煙を吐き出す。あっ!先輩と同じだ。17歳の青春だ。
「飯みたいに吸ってくれ。」よく意味がわからないがたばこの入った箱を俺に渡す。多分多少の罪悪感があり、共犯者をつくりたい心理か。
たばこを1本抜き取り、喫茶店の名の記したマッチで火をつけた。
ゲボ。ゲボ。煙が喉を通らない。ま、不味いなあ。もったいないが火を消した。
喫茶店にはジュークボックスがあり、お金を入れて選曲すればお気に入りの曲を聴くことができた。普段はジャズ風の曲が流れている。
親からも学校からも解放され、楽しい友人たちとの他愛ない会話が実にここちよい。何時間も時間を共有することができ実に楽しい。
やがてこの喫茶店に入り浸りになる。そして他の友人の参入で輪が広がっていった。