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フジロックにライターとして参加させていただいた波乱万丈オモローな日々を振り返る

9月が始まった。

が。

ここで書かないと一生書かない気がするので、7月末に行われたフジロックにライターとして参加した話を書いていきたい。(今更すぎてごめんなさい)

ライターとしての話よりも、フジロックで私の身に起きた波乱に関する尺が長くなりそうなので、「なんかおもしろ話が聞けるらしい」くらいな気持ちで見てほしい。

いや〜私のフジロック、ほんっっと過酷だった・・・!!!

超楽しかったけど。

事の始まり

まず、なぜ私がフジロックでライターとして参加させていただけるようになったのか。

事の始まりは、4月30日。

フジロックで取材するライターを募集している、といったツイートがXから流れてきた。

「大好きなロックフェスで、私のやりたい取材ライター!?」

見かけた途端、ビビビときた。

が、このツイートだけで134いいねがついている。

そりゃあ、あの有名なフジロックだもの。

こんな機会なかなか無いし、倍率もそれなりにあるだろう。応募しても、きっとだめなんだろうな。

でも、応募するだけなら、タダだしな。

そう思って、自分のできる限りの言葉で、フェスに対する想いを志望動機に込めて送った。

すると、数日後。面接をさせていただきたい、とのメールが来た。

書類選考すら通らないと思っていたので、本当にびっくりしたし、とても嬉しかった。

面接は、心臓が鳴り止まないほど緊張したが、なんと合格することができた。

音楽やフェス、フジロックに対する想いが、通じたのかもしれない。

そうして私は、晴れてフジロッカーズオルグという団体に所属できることになった。

ライターとして、フジロックに参加できることになったのだ。

フジロッカーズオルグについて

ちなみにフジロッカーズオルグという団体は、ちょっと特殊だ。

団体には、ライター・カメラマン・物販・SNS担当などのメンバーがいる。

また、この団体は会社ではない。なので、よくあるフリーランスの業務形態のように業務委託としてライターやカメラマンを雇っているわけでもない。

話せば長くなるのだが、フジロッカーズオルグは、フジロックに深く関わりがある花房浩一さんが作り上げた特別な団体である。

詳しくは、上記の記事を参照していただくとフジロッカーズオルグについて把握できると思う。

準備期間

フジロックが行われる数ヶ月前から、メンバーでミーティングを重ね、どんな記事を書いていくかなどを話し合った。

フジロッカーズオルグのメンバーは、大学生の子もいれば、40代の男性で本の出版社を立ち上げている方や、一家の大黒柱としてフリーで専業ライターをしている方、プロのカメラマンの方、などたくさんのメンバーが所属している。

そんな職種も性別も経歴もさまざまな方々と、一緒になにかを作り上げられるのがとても嬉しかった。

いよいよ、フジロックへ

フジロックには、前夜祭というものがある。前夜祭はフジロック1日目の前日に開催され、一般の人も無料で入ることができる。

前夜祭当日の朝。

私は都内のバス乗り場に集合し、スタッフ用のリストバンドを受け取った。

なんだか特別な一員になれた気がして、嬉しかった

メンバー全員でスタッフバスに乗り、フジロックの会場である新潟県の苗場スキー場へ。

ゆらゆらとバスに揺られること数時間。越後湯沢につき、会場から少し遠くの民宿へ荷物を預けに行った。

そのあとは、リーダーの方にフジロックの会場を全て案内していただいた。

フジロッカーズオルグのメンバー

まだ前夜祭が始まっていない時間に入場しているので、誰もいない夕方のフジロックの場内は本当に情緒的だった。


夕焼けとグリーンステージ
たくさんのゴンちゃんと、ところ天国の川


ゼルダに出てきそうな景色

大体のエリアを案内していただくと、程なくして、開場時間に。少しずつ、お客さんも入ってきて賑やかになる。



盆踊りや出店も始まって、いよいよお祭り感が出てきた。

今回、「はじめてのフジロック」という題材でお客さんにインタビューをする企画を考えてきた。ここらで誰かにインタビューをしなければ。

そう思うものの、お客さんに話しかけるのは結構勇気がいる。思ったより、最初お客さんに話しかけるのに時間がかかった。

だが、たまたま話しかけた人がはじめてフジロックに来た、という方でインタビューにも快く応じてくださった。

そのあとも、何人かにインタビューをさせていただいた。

インタビューが終わったら、テントに戻って執筆作業。

場内にはフジロッカーズオルグ専用の大きなテントがあり、そこにはWi-Fiやデスクなどが設置されている。

雨風もしのげる作業場所として、フジロッカーズオルグのメンバーはテントを使うことができるのだ。

私にとってもはじめてのフジロックで、はじめてのフジロッカーズオルグ。

こんな感じなのか、と少しずつ感覚を掴んでいった。

幸先のいいスタートを切り、順調にフジロック本番を迎えられそうだ、と思っていた。だがしかし・・・。

波瀾しかない私のフジロック

翌日、フジロックがいよいよ始まった。

日中、何人かにインタビューをして執筆をし、たまにアーティストの演奏を観て、何事もなく1日を過ごしていた。

だが、夕方になったころ。

私は、39度の高熱を出してしまった。

場内ではコロナやインフルの検査をすることができず、感染症の可能性も否定できない。

大人数で民宿の一室に泊まっていたので、そのまま泊まってしまうとメンバーにもコロナなどが感染してしまう可能性がある。

また、周辺の宿泊所はすでにフジロックへ来るお客さんで埋まってしまっていた。

そのため、私は高熱を出したまま、すぐに東京へ帰らなければなくなってしまった。

39度の熱があるにもかかわらず、会場から片道20分以上かかる民宿まで歩いて、重たい荷物を取ってこなければならない。そこから送迎バス乗り場まで歩いて、また20分。

バス乗り場に並び、バスに乗って越後湯沢駅に着いたらそこから新幹線と在来線で家に帰る、という元気だったとしてもかなりハードな道のりだ。

しかも、熱が出たのが夕方なこともあり、最終の新幹線に間に合うかギリギリの状況だった。

まずは民宿までタクシーで行くためにタクシー会社へ何社か電話をしてみたが、予約で埋まっているorフジロック期間中は運行していないと断られてしまった。

20分ほどかけて歩いたところ、なんと1台のタクシーを見つけたのだが、予約車とのことで、また断られてしまう。

もう、どうしようもない。無駄にタクシーを求めて30分ほど歩き回った挙句、結局徒歩で民宿に向かった。

帰り道、私は重たい荷物をひきずりながら、絶望していた。

気づけば、合計1時間ほど歩いていた。

送迎バス乗り場に無事到着。しばらく並ぶとバスが来て、無事乗ることができた。

この時間なら、新幹線にも間に合いそうだ。

バスは意外と早く越後湯沢駅に到着し、私は無心で新幹線乗り場へ。

これで無事に帰れそう。本当によかった。

ひと安心して、フジロッカーズオルグのスタッフの方にも「無事帰れそうです」と連絡をいれた。


が、しかし!!!

最終の新幹線が来る直前のことだった。

私は、なんだか荷物が少ないことに気づく。

・・・スーツケース。

スーツケースが、無いのだ。

なんと意識が朦朧としていて、送迎バスにスーツケースを預けたまま、忘れて帰ってしまっていた。

自分のアホさに呆れながら、また絶望した。

なんてったって、あのスーツケースにはMacBook Airが入っているのだ。

だが、こんなアホのために新幹線は待ってはくれない。私はホームの中で、朦朧とした頭を必死でフル回転させた。

どこかに電話しなければ。必死でフジロックの運営らしき電話番号を探すが、わからない。

これか!?と思った電話番号は、もう夜遅いこともあって対応時間外だった。

落ち着け。

私は、考えた。

送迎バスは夜中まで常時運行しているし、またあのバスも会場へと戻って、送迎を繰り返すはず。

そして、ここは安心安全な国、日本だ。

バスの方も置き去りの荷物に気づくのではないか。そしたら、バスの中にスーツケースをまた入れて、一旦フジロックの会場かどこかで預かっていただけるのではないだろうか・・・と。

そうこうしているうちに時間になり、私は仕方なく越後湯沢駅とMacBook Airに一旦サヨナラを告げて、新幹線へと飛び乗った。


だがしかし!!!!!!!!

え???

新幹線の中からMacBook Airの位置情報を確認すると、まだ越後湯沢駅にMacBook Airがあるらしい。

と、いうことは。スーツケースが、バス停に置き去りになっているということだ。

バス会社の方も気づかずに、駅に置いてったままにしてるってこと!?

まあ、こんなアホなことする人なかなかいないよね・・・。

駅にポツンとスーツケースが・・・私のMacBook Airちゃんが・・・。

もう、気が気じゃなかった。

夜中12時すぎ、東京の家についてからも何度もMacBook Airの位置情報を確認したが、位置は変わらない。

いや、どんな状況やねん。

夜中の越後湯沢駅と私のスーツケースを想像すると、ちょっと笑えた。

そのあと、ようやくフジロックのバス会社の電話番号を確認することができた。

電話をかけ、バス会社の方へ事情を説明。

その翌朝、無事バス会社の方にスーツケースを回収していただいて、着払いで東京に送っていただくことになった。

これにて、私の本当の意味でのフジロックを終えることができた。

後半はもう踏んだり蹴ったりで(自業自得すぎる)どうなることかと思ったが、荷物はすぐに届けていただき(感謝)、体調も一週間後には回復した。

そんなこんなで、私のはじめてのフジロックは、不完全燃焼で終わってしまったのだ。

だが、フジロッカーズオルグはフジロック以外のフェスでも活動をしていて、10月には朝霧JAMというフェスに参加する。

私も、ライターとして参加することになった。

朝霧JAMでは必ず体調を万全にして、フジロックのリベンジをしていきたい。

なんだかこれだけだと、ただ体調崩してヘマこいた人の話になってしまうので、ちゃんと記事も載せておきます。

1番左上の記事以外は私が執筆しました。

ほぼ編集もチェックもされない&速報サイトのため推敲もそんなにできません。

自信のある文章!とは正直言えないのですが、記念として。

もっとライターとして文章力を上げて、短時間でイベントの良さが伝わる文章が書けるよう、精進していきます。

ただ、大好きな音楽にライターとして関わることができて本当に幸せでした。


円安、物価高と厳しい環境を取り巻く音楽フェス業界。

文化を守るために、私ができることである、フェスの魅力や、楽しさを伝えることを続けていこうと思います。

まとまりのない長い記事を読んでくださり、ありがとうございました!

私から言えることは、フジロックは過酷なので当日までにしっかり体調管理をしてください!

そして、スーツケースはバスから必ず取って帰ってください!(当たり前)

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