ワートリから考える実力と結果と過程の話
今日もワートリきっかけの話で、実力と結果と過程についてです。
本誌の方で、実力=結果という表現がされていて、なるほどと思いつつほんとか~?とひっかかる部分もあり、何故自分がひっかかるんだろうともやもやしていました。つーことで、このもやもやは何なのか考えてみました。
まず、よく「過程が大事」と言われますが、これは「(結果だけではなくて)過程が大事」ということだと思っています。
逆に、結果が出ないのであれば、どんなに過程が良いとしても意味がない、と思っています。あるいは、過程のどこかに不具合があると考えてやり方を変えるべき、とも思います。短期的に見た場合。
この「短期的=ゴール」をどこに置くのかによって、結果の捉え方も変わってくるんですが、長期的なゴールしか置かないと結果が出ているのか出ていないのかが判断できない→やり方を見直す機会がなくなる→成長できるタイミングを逃す(=足踏み)、と。PDCAサイクルでいうCheckが先延ばしになっちゃうんですね。
例えば、自分の長期的な目標は、「どれだけ年を取っても何らかの形で人の役に立つ」ために「若い子にエネルギーは勝てないので、経験値的に還元できるものを今のうちに身に着ける」ことなのですが、じゃぁいつまでに?年を取るっていつのこと?っていうのはまだまだ考えられていないんですよね。しかも仮に年を取った時=75歳として、それまでに結果を確認することはできないわけです。今頑張っている(つもりの)ことが、75歳になったときに「正解」の可能性も「不正解」の可能性もあって、そこまで漠然と頑張ることは自分にはできません笑。なので、もっと短期的な目標を立てないと、自分が今どの時点にいるのかが分からなくなってしまいます。75歳までに経験を蓄積するには、60歳のときまでにはこんな風でいて、45歳までにここまでやんなきゃいけなくて、30歳でこうあるべきで、でも現状はこんな感じで、そうすると今足りてないものは…みたいな感じで具体的に今足りていないものとそれを克服するための目標を立てていきます。それが、ヒュースの言う「刻む」ってことですよね。
そんで、もう過ぎてしまった時間やそもそも能力が追い付かないことに気づいてしまうと結構しんどいのですが、そこはもうやりようがないので自分の場合開き直ろうと頑張ります。できないものはできないんですもの。自転車の例のように、今まで自分が積み上げてものが大なり小なりあることを気づかせてくれる、ヒュースは優しすぎて拍子抜けです。葦原先生の描くキャラは本当に根が暖かい。自転車なんてみんな乗れて当たり前って言ってくる奴の方が現実世界は多いと思うよ笑。
結果と過程の話に戻りますが。
超短期的に結果を1回出すだけなら、過程は何でも良いと思うんですよね。
実際、何が何でも結果が必要なときはありますよね(自分は生死が関わる場面かpoint of no returnみたいな状況しかないと思っていますが)。そういうときは、カンニングでも、一夜漬けでも、だまし討ちでも、逃げに徹するでも、後々ダメージが残らない範囲でやればいいと思うんです。
でも人生何年生きるか分かりませんので、結果を出し続けないと自分がしんどいんです。結果を出し続けるには、付け刃だったり、天性のセンスだったり、運だけでは立ち行かないことがどこかで生じるので(若村の場合は、香取という存在がいたことでなんとなくB級上位にいれて、壁にぶちあたる機会がなかった)、できるだけ正しい過程を模索していく必要があるんじゃないかなと思っています。
センスで作ったタイヤキがそのとき美味しくても、あれ?あのときどうやって作ったんだっけ?ってなったときに、自分が積み重ねてきた過程(=レシピ)がある人の方が再現性があって強いと思っています。
つまり、結果を出し続けるために、どうやるか(過程)を成功したり失敗したりしながら考えるのが大事、というのが自分の結論です。
レシピ(自分なりに再現性をもてるやり方)がある方がないより武器が多いと思います。レシピなしで人生を終える自信がある人なら別に必要ないかもしれません。でも必要ないかどうかは死ぬまで分からないですよね?
ランク戦は大事
遠征選抜試験も大事
アフトクラフルでのそれぞれの目的達成も大事
でもずっとずっと先も見据えて、ボーダーという枠組みの外であっても若村には頼れる兄貴分になってほしいと、そのために必要な過程を踏んでほしいと、忍田さんや東さんや林藤さんあたりは思っている、はず。