悠久の時を紡ぐ

弊社オープン工業には美山町に工場があります。
美山工場には年に数回ですが訪れておりましたが、基本的に本社と工場の往復になっており地域の事には何も関心を寄せていませんでした。
私が昨年から入会している経営実践研究会で自社の事業を営む地域に対する貢献を問われたとき、美山の事が頭には浮かんでいたものの『過疎地域だしなぁ・・』という程度にしか考えていませんでした。

そんな折、倫理法人会で偶然隣の席に座っておられた美山茅葺株式会社の中野会長に会うべく、今まで行ったことが無かった『かやぶきの里』にある会社を訪問させて頂きました。

美山町という地


美山町は京都市の北にある南丹市の北部に位置する山間地域です。
京都府全体でみると真ん中に位置します。
昔は北桑田郡に日吉町、八木町、園部町、美山町と独立して行政を行っていましたが2005年に4町が合併し南丹市となりました。
山間部という事もあり、主要産業は林業と農業となります。

地域の人口減少と高齢化の問題については世間でも多く報道されていますが美山町もまさに、人口減少も高齢化も進んでしまっている町です。
1995年に5,478人いた人口は2018年時点で3,812人と30%も人口が減少しています。
また下記の通り、同じく1995年を100%としたときの子供の人口は半分以下、高齢者の人口が3倍という先行きが不安になるデータが出ています。

美山町宮島振興会の『データでみる美山町』より抜粋

客観的にみると美山町には強い産業がありません。
中心となる林業は海外からの輸入木材との価格競争で多くの人間を養う産業とはなっていない様子です。
米作りを中心とした農業も存在しますが、戦後以降『小麦、牛乳』の文化が入ってきたこともあり消費量が大きく減少している為、そもそもの需要が減っています。

昭和37年頃をピークに約半分にまで落ち込んだ米の消費

『かやぶきの里』という観光資源


そんなこんなで、かやぶきの里、初訪問です!
現地までの道は山の中を通ります。
車の運転がお好きな方は楽しくて仕方がないと思いますよ~。
枝打ちされ美しく真っすぐに育った杉の木が車道から見えています。
当日は曇りでしたが木洩れ日が美しく、本当なら歩いてゆっくりとした時間を過ごしたいなと思わせてくれる風景が続いていました。

そして山道を抜けると急に視界が広がります。
凄いんですよ、山道との輝きの差が。
本当に一瞬、風景が輝いている様に見えたんです。
それと同時に、迫りくる山の雄大さに驚きます。
ド迫力です。
実際、山は近いし高いしで言葉通り『見上げる』形になります。
山ってれば遠くから見れば△の形ですが、近くで見ると人間の筋肉の様に
隆起しているというか言葉にできない迫力があるんですね。
暫くの間、黙って山を眺めてしまいました。

山が迫ってくる!!


中野会長の覚悟


美山茅葺株式会社は中野会長が日本の茅葺職人が個人事業主としてバラバラに活動していては伝統の継承ができないという危機感から、当時美山にいらっしゃった茅葺職人を正規雇用し法人化した会社です。
建築業界は大工さんも同じですが、そもそも大きくは儲からない、雨が降れば仕事はできない、担い手は少ない・・という法人化するメリットが薄い業種の様です。
自分が食べていくだけなら、個人事業主でやっていく方が楽なんだそうです。
更に茅葺きの屋根は建築基準法により新築がほぼ望めない状況との事でした・・。
市場は小さく、法人にすると苦しくなるのは分かっていたのですが、重要伝統的建造物群保存地区に指定された美山のかやぶきの里が職人不足により残せなくなる事だけは避けたいという想いで法人を立ち上げられました。
目先の利益に囚われることなく、社会や地域の為に事業を営まれている姿に感動を覚えます。

中野会長(左)

そして、会社は中野会長が描いておられた通り若い方が茅葺屋根に興味を持って入社され職人の技術を継承されています。 
有名な方としては、サーモスのCMにも出られていた女性の茅葺職人さんも中野会長の元社員さんです。
*現在は結婚して退社されている様です。

弥生時代から続く茅葺き屋根


茅葺き屋根の歴史は弥生時代から続いています。
農山部の原風景と呼ばれるのも納得です。
弥生時代にも同じ風景が存在したのだと思うと、人間の本能なのでしょうか
畏敬の念と悠久の時を紡いできた浪漫を感じて少し震えました。

電柱が邪魔だが、弥生時代にも同じような風景だったのかも・・


茅葺の屋根は完全循環

茅というの植物は実はなく、ススキ・チガヤ・オギ・スゲなどの屋根につかう植物の総称です。
これらを雪の降る直前に刈り取り、春まで家の倉庫で乾燥させ、屋根の材料として使います。
そして屋根を葺き替えた際に出る、使用済みの材料は田んぼに巻いて肥料として使用します。
まさに、ゴミが出ない完全循環なのです。

ちなみに、茅葺の屋根って何年持つかご存じでしょうか?
気候や形状、材料の良し悪しにも依りますが・・・
一般的には茅葺の屋根って20年持つらしいのです。
私の勝手な想像では5年程度かと思っていましたが、凄い長持ちするんだな・・・
でもここには前提条件があります。
それは、囲炉裏から出る煙で燻すことです。
そうする事で湿気や虫が付くのを防ぐことができ長持ちするようになるんだそうです。
これ、昨日のnoteに書いた和蝋燭の話とも繋がります。
囲炉裏や蝋燭を使った時に出る、煙は現在であれば文字通り煙たいだけの存在なのに茅葺の屋根にとっては長寿命化のカギになるのです!
全てが上手く整い過ぎて怖いですね。
茅葺の屋根も和蝋燭もそれ単体で完全循環で凄いだけでなく、そこから出る副産物さえも何かの役に立っている。
人類が紡いできた伝統の奥行きの深さに驚きます。

あと、茅葺の屋根は伝統という部分だけではなく、屋根の機能としても非常に優れています。

現代のあらゆる建築材料と技術をもってしても茅葺きの持つ断熱性・保温性・雨仕舞・通気性・吸音性を兼ね備えた屋根をつくりあげることは並大抵ではありません。
一方で、最大の弱点は火事に弱いことで、延焼に対してはなすすべもなく大火になりやすいという点です。
<かやぶき工舎>HPより抜粋。

本当にこのままでいいのか?


世間の工業化が進んで以来、東京首都圏を中心とした一極集中型の経済となっています。
その中で政治的な構想で投資対象から漏れた地域は過疎の一途を辿っています。
ここに企業がどう関わるかは、経営者としての在り方が問われています。
人口が減ったから、採算が取れないから撤退を決めればどうなるでしょう。
企業経営の悪化を地域のせいにして、自分たちは雇用した人間を放出し新たな儲かる地へ逃げていく。
取り残された地域に住む人間はどうなるのか、そこに残る文化や伝統はどうなるのか?
当たり前のことですが、日本古来の文化や伝統はいわゆる『地方』『田舎』と卑下される地域にこそ残っています。
科学の進歩はここ100年程度で目覚ましく、人間が1,000年以上積み上げてきたものを破壊し現在に至ります。
しかし本当に今進んでいる道は正しいのでしょうか?
その道の先に持続可能で明るい未来は待っているのでしょうか?

企業が紡ぎ手となる


文化や伝統は個人で守ることはできません。
一定数の人間が日常的に関わっていなければ次の世代へ継いでいくことはできないのです。
中村ろうそくの田川社長も『和蝋燭を日常の消耗品として使って欲しい。』とおっしゃっていました。
持続する為には可能な限り日常的に触れ、継続する事が必要です。
そこに地域に存在する中小企業の果たす役割があると考えます。
自社の飯を食う事業は当然必要ですが、それと共に地域を活性化する、持続可能な街にする事業も行っていかなくては、その地域に存在する意味は薄いのではないかと思うようになりました。
何かの縁があって弊社も美山工場を持った訳です。
今まで目を向けてこなかった美山町の事について調べ、持続可能な町に繋がる様活動していきます。

いいなと思ったら応援しよう!