私の歴史は韻を踏む。
25年前、私は既に出会ってたかもしれないのであった。
小学5年生の頃、担任の先生がクラス全員に日記帳を配っていた。
「どんな話でもいい。自分の好きなこと、今日あったこと、なんでもいいから書いてごらん。」
日記帳と言っても小学生が使うマス目の国語の縦書きノートであったが「日記帳」と呼ばれたノートは、何か特別なもののような気がした。
最初に書いた日記のことは覚えている。「ハムスターを飼いたい」と言う題名の話だ。
クラスの友達の何人かハムスターを飼い始めていた。しかし両親は私がハムスターを買うことに反対だった。理由を聞くとマンションだから、と言う。でもハムスターを飼っている子だってマンションに住んでいる。そしたら今度は弟がアレルギーだから…と言う。ゲームと違い、生き物ということもあって、友達が飼ってるからと言って簡単には許してくれなかった。しかし輪に入れないのも辛い。友達は自分の飼っているハムスターの話題ばかりだ。話に入ろうとすると「飼ってないのに言わないで」、話題を変えようとすると「今ハムスターの話してるのに!」と言う。そんなことを書いた気がする。
今考えるとそんなことを書かれても先生は困ったと思う。でも先生はクラスの人数分のノートを抱えて一人一人に赤ペンで返事を書いていた。ハムスターの話になんて返事をしてくれたのか、実は細かく覚えていない。でも、返事が帰ってきてとても温かい気持ちになったのを覚えている。きっと飼いたくても飼えない、友達との話に入れないことに寄り添ってくれたのだろう。
私はそれからほとんどの日に日記を書いて提出した。弟のこと、勉強が好きなこと、歴史が特に好きなこと、算数が苦手なこと、友達が優秀すぎて羨ましいこと、好きな本のこと、ゲームのこと、マラソン大会のこと、好きな男の子のこと、実は友達と好きな男の子が一緒であること、など書いた気がする。
コメントしづらい日記もあっただろな、と思う。でも、全てに赤ペンで優しい返事が記されていた。先生は当時32歳。ずっと大人のように見えていたが、今の私より年下だ。そのことに軽く驚いてしまう。もちろん教師としての訓練や経験もあるだろうが、今の私にそこまでできるだろうか。
特に楽しみなのは週一回の学級通信だ。その週で良かった日記が藁半紙に印刷されて配られる。(※日記を公開してもいいかどうかは児童自身が選べた。)学級通信に載るのは私にとって誇らしい体験だった。通信に載る、というのが一つのモチベーションになっていたことを覚えている。
それまで作文は運動会や遠足など、行事のたびにしか書かなかった。しかし、毎日どんな小さなことでも「日記を書く」ことで、書くことの楽しさを知ることができた。
小学校を卒業し、成長するにつれそのことは徐々に忘れつつあった。しかし、書くことが好き、という気持ちは小さいながら持っていた。何か書きたいが、モチベーションが続かない、そんな日々を過ごしていた。いくつもの日記帳を途中で終わらせて無駄にしてしまったし、ブログも長く続けることができなかった。
今年の夏に始めたnoteもそこまで長くは続かないだろうと踏んでいた。いつもの感じだと、大体2ヶ月ぐらいで飽きてしまう。
その2ヶ月目。8月に私はコニシ木の子さんに出会った。私はとあるコンテストに物申したい記事を執筆していた。自分でも何の話をしているのかわからない、そんな照れもあって、最近よく使われている「 #なんのはなしですか 」というタグをつけて投稿した。すると、文字通りコニシさんが「回収🛸」に来たのである。
「今度の月曜日に、『路地裏』で『 #なんのはなしですか 』で遊んでます。」そんなメッセージだった気がする。月曜日に「路地裏」に訪れると、そこには楽しい路地裏の祭典が広がっていた。全ての「 #なんのはなしですか 」がここに集まっているらしい。
それから私は「 #なんのはなしですか 」に夢中になった。最初はどんなはなしが「なんのはなし」なのか分からず、慎重につけていたが、次第にどんな記事も「 #なんのはなしですか 」とつけるようになった。
コニシさんは「 #なんのはなしですか 」全てに優しいコメントをくれた。コニシさんのすごいところは、全部読んでくれる。興味のない記事もあるだろうに。そして、嫌な茶化し方やイジり方をしない。コニシさんは女性が好きなんだと公言している。それも安心できるところの一つだ。
今は2週間に1度の回収であるが、回収される週は堰を切ったように書いてしまう。「こんなことがあってね」「こんな物語を書いたの」…なんだかずっと海の中で息ができなかったのが、ようやく息を吸えてプハーってなるように思う。コニシさんに甘えてしまう。
コメント、そして通信。路地裏との出会いは、かつて小学生の時に書いていた「日記」を思い出させる。日記を書いていた頃より、色々な経験があったと思う。その分書くことも増えたと思う。でも書くことの喜び、書いて返事をもらえること、通信に載ることの喜びは今でも変わっていない。私は「日記」と再会したんだ、と思っている。
このことを、ずっと、書きたかった。でも、言い表し方が分からなかった。
そんな時、米国の作家であるマーク・トゥエインの「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」という言葉を思い出した。言い得て妙だ。戦争と平和。好景気と不景気、流行、人々の感情。全く同じではないけれど、まるで韻を踏むような繰り返しがなされる。
私の歴史も同じだ。小学校の時の「日記」とnoteの「#なんのはなしですか」同じではないけど、まるで韻を踏むように、また出会い直している。
あるいは人生は線じゃないのかもしれない。小さな丸や大きな丸が相似形で繰り返されているのかもしれない。
コニシさんと、路地裏と出会った今年中にこれが言えて良かった。言わないと絶対後悔しただろう。
ちなみに「私たち、一度会ってますよね?」っていうのは、ナンパの常套句だ。そう、これはコニシさんへのナンパだ。逆ナンというべきなんだろうか。コニシさんは女性が好きらしい。でも、女性である私がコニシさんを追いかけたら、残念で情けなくて私らしくて面白いだろう。
私はアニメなどで報われないヒロインである「負けヒロイン」が好きだ。主人公を追いかけても主人公は別の女子が好きで…という切ない展開。既に愛されているヒロインと比べて、負けヒロインはいつも主体的で、感情の揺れ動きが見えて、かわいい。
私も追いかけようと思う、コニシさんを、路地裏を、noteを、表現を、世界を。路地裏の負けヒロインでいよう。今年も、来年も。
(ああ、また深夜のテンションで出してしまった。お皿洗わないといけないのに。おやすみなさい。)