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【すのう杯勝手にリベンジ】カーリングから学んだ「攻める家事」

家事は、「攻め」か「守り」かでいうと、圧倒的に「守り」側だ。
クリエイティブ性が求められることはほとんどない。

洗濯は、洗濯機に入れて干して畳んで、元の場所に。
掃除は、汚れたところを元通りに。
料理は「作る」という作業があり、いくらかクリエイティブだ。
しかし、いくら良い料理を作ってもその日のうちに消費される。

それが、家事のつまらなさだ。
創作なら、頑張れば100点中300点が取れるかもしれないし、仕事も頑張ればその分お金も増える。

でも、家事は頑張っても100点が限界だ。
「住み込みで働いている」と考えることもできる。
が、頑張ってもその分の対価はない。

私には家事の顧客が2人いる。
そのうち大人は1人。
「いつもありがとう」「美味しいよ」「部屋が綺麗になってるね。」
言わせれば、言ってくれる。
でも、言わせて言われたとしても、むなしいだけだ。

少し家事をサボると、すぐ影響が出る。
「部屋、片付けないとな〜」「ご飯どうする?」「あれ、どこにある?」
優しいから、優しく言われる。
でも、その真意は伝わる。「家事、サボってるな。」と。

それで、ちょっと不機嫌になってしまう。
不機嫌な妻にはなるまいと、ハワイとかで誓ったのに、最悪である。

なんのための家事をしているのだろう。

そう思いながら、床をクイックルワイパーで掃除していた。
掃除…

そういえば、掃除してるみたいだな、と思ったスポーツがある。それは、冬期オリンピックで話題となる「カーリング」だ。

カーリング女子の「ロコ・ソラーレ」の活躍は目覚ましく、2022年の北京オリンピックでは銀メダルを獲得した。その実力と選手らの飾らない性格は話題を呼び、「そだねー」という牧歌的な掛け声や「もぐもぐタイム」と言われる和気あいあいとした休憩時間にも注目が集まる。彼女らの笑顔に癒された人も多いはずだ。

そして、初めて見た時、このスポーツの不思議さに見入ってしまった。あのストーンと呼ばれる石、それ自体を動かすわけではない。その周りの氷をこすってこすって、ストーンを滑らせる。
そうやって、ストーンをゴールまで導いていくのだ。

掃除のような動きのカーリングを思い出すにつれ、私はあることが頭に浮かんだ。
「掃除、いや、家事全般がカーリングなのではないか?」

例えば、掃除。
掃除をすると、私たち家族は気持ちよく部屋の中で生活をすることができる。
例えば、料理。
美味しいご飯があれば、私たち家族は健康になり、幸せな気持ちで仕事や遊びに取り組める。
例えば、洗濯。
洗い立ての衣服が用意されていれば、私たちは気持ちよくスムーズに服を着ることができる。

「私たち」は、カーリングのストーンなのだ。
そして、それを動かす家事がカーリング。
「私たち」というストーンそのものを動かすのではなく、周りの環境を整えることで、自然に「私たち」を動かす、それが家事だ。

人を動かすのは大変だ。
それは、結婚してから大いに感じている。
指示したり、ほめておだてても、動かないことが多々。2歳児はもちろん、大人でも同じだ。
自分自身でさえ動き出しに時間がかかってしまうことがある。

ただ、動きやすい環境を用意することはできる。
カーリングのように、人の周りを磨いて、磨いて、人を動かす。

そんなふうに思って、家事をしてみた。
嫌だなあ、ほめられないなあ、と思っていた家事が、楽しくなった。
「守り」の家事、実は「攻め」なのではないか、そんなふうに思えてきた。

家事は、家族を幸せにするためのスポーツである。家事に対するスタンスが変わると、100点満点の家事で200点も、300点も取れるような気がしてきた。

相変わらず、夫からほめられる時、ほめられない時、色々ある。でも、インドア派で休日なかなか外に出たがらない夫が、「今日は、ちょっと外に出てみようか。」と言ってくれた。
その日は、2歳児をチャイルドシートに乗せて、ドライブをした。
自分たちでも気づかないうちに、環境に動かされている。

やっぱり、私たちは「ストーン」なのである。

ただ、家事をしているとやっぱり疲れてしまう。
そんな時は、好きなお菓子とコーヒーを嗜み、読書をして次の創作のネタを考える作戦会議をしよう。

それも、カーリングから学んだ、私なりの「もぐもぐタイム」である。
(1,735文字)


本田すのうさんが開催されたコンテスト「すのう杯」。

私も応募し、いろんな方の作品を読み、大変盛り上がった。
しかし…私が応募した作品、残念ながら受賞には至らなかった。

(私の応募した作品 ↓↓)

(受賞作が載っている結果発表の記事↓↓)

大変ありがたいことに、すのうさんはメンバーシップ限定で振り返り記事を出したり、個別フィードバックをしたりしてくださっている。
それらを読むにつけ、私は当初、応募した記事のほかにもう一つの案を考えていたことを思い出した。

それが、上記の「カーリング」という案である。
なぜ今回「カーリング」を没にし、「家事は創作の敵なのか」(以下:創作の敵)を選んだか。それは、審査員であるすのうさんの家事の大変さに寄り添い、家事を確実に好きになってもらうのはどちらだろうか?と考えた結果である。

しかし…私は一つの観点が抜け落ちていた。
それは、「大勢の人が応募する」ということだ。
まず、印象に残らないと意味がない。
私は、「カフェですのうさんから相談を受けた体」で記事を書いていたが、
本当は、「すのうさんが壇上に立っており、大勢の聴衆の中で挙手をする体」で書くべきだったのだ。

そう考えると、「カーリング」の方がちょっとは良い結果を残せたのではないだろうか?

「人の印象に残る」のは、今後創作大賞等の公募に応募するにあたり、大事な観点である。

大事なことに気づかせてもらった。

もし、「カーリング」でちょっといい結果を残せていたら、調子に乗って「創作の敵」のことなどきっと忘れてしまっていただろう。
「創作の敵」も自分自身は嫌いではない。noteを見てくださる創作者に向けて、エールを送り、一緒に家事を頑張りたかったという気持ちがある。

すのうさんは、最初に当コンテストを「塾の試験」に例えられていた。
塾の試験ならば、肝心なのは復習である。
復習のまとめとして、フィードバックを踏まえ、「カーリング」を完成させてみた。

「カーリング」を応募していたら…どうなっていただろう。
それは、神の味噌汁、もとい、神のみぞ知るところだ。

そんな妄想も含めて、楽しいコンテストに参加させてもらった。

受賞者の皆様、おめでとうございます。
応募された皆様、楽しい作品をありがとうございました!
そして本田すのうさん、企画から開催、審査、発表までお疲れ様でした!
ありがとうございました!!

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亜麻布みゆ
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