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歌以外は千葉に置いてきた。

何もないところで転ぶみたいに、私はすぐ恋に落ちる。

その人は、メニュー表から料理を選ぶ私に「これ、センス問われるよね。」という声をかけた。それが、今回のスイッチだった。

その人とはマッチングアプリで初めて出会った。異性の写真が1枚ずつ現れて、好きなら右、嫌いなら左に指を動かす、単純な仕組みだった。
運命の出会いを自分で作り出す、神様になった気分だった。

当時、私は5年間付き合った彼と別れていた。
元彼には散々甘やかされ、恋愛初心者に振り戻されていた。

元彼への未練があったのだろう、少しだけ面差しが似ているその人の写真を見つけた途端、指を勝手に「右:好き」にスワイプさせていた。

程なくして、その人と「マッチしました」の通知がきた。
簡単な会話を交わすと、同じ千葉県に住んでいることが判明。異性との出会いというと、いつも東京まで出ないといけないことに辟易していた私は、「柏駅」で会うという約束に親しみを覚えた。

それで、柏の料理店で待ち合わせ。実際の姿は、元彼には似ていなかった。自分より9つ年上だと聞かされていたが、童顔なのか、年齢よりずっと若く見えた。日焼けしていて精悍な体つきをしていた。

初めて行った料理店で言われたのが「センス問われるよ。」だった。今考えると、その言葉から、大人の余裕、もう恋愛も含めて何周もしている…が感じられたのかもしれない。私は解散後も、その言葉を頭の中で反芻していた。

彼は商社で精肉の取引をしており、10年間のアメリカからの転勤帰りなんだと言った。私が英会話の勉強をしていることを話すと、それを肯定しつつ正しい発音を教えてくれる。その上から目線になぜか安心感があり、心地よかった。

その日から毎日、LINEでやり取りをした。最初、自分の上司よりも年上の彼にどこか遠慮している部分があったが、「敬語じゃなくてもいい」と言われ、おずおずと敬語を外した。

商社は出張もあり激務らしく、また土日は会社の野球チームの練習があると言われ、私たちは平日の夜しか会うことができなかった。それでも、2回、3回と会ううちに、少しずつ距離を縮めていった。

「好きなんだ」って言われて、恋人みたいなことをされて、私たちは恋人同士になれたんだと思った。でも、「付き合ってるんだよね。」とLINEを送ると、1日ばかり連絡が途絶えた。その間、気が気じゃなかった。過去に言われた彼の言葉をさかのぼり、たまたま忙しいだけだと言い聞かせる。1日空けて、全然違う話題のメッセージが来た。

それでも、会ったときは恋人と変わらないように過ごす。

そういう彼がいるんだ、と友達に話した。
「その彼、既婚者じゃない?」
思ってもみなかったことを言われた。
「だって、付き合ってるかどうかをはぐらかして、平日しか会えないんでしょ?その人、家庭があるに決まってる。」
そんなことない…と言おうとしたけど、彼女の指摘は正しい気がする。
「左手の薬指見てごらんよ。きっと指輪の跡がある。あと、どうしてこの年まで結婚とか考えなかったか聞いて、ちょっとでも動揺が見えたらクロだね。」

焦った。私はとんでもないことをしてしまってるのかもしれない。彼は奥さんが、もしかしたら子供が、いるのかもしれない。罪深いことをしてるのかもしれない。

次に会った時に彼の薬指を観察すると、少しの跡もなかった。
この年まで結婚とか考えなかったのか、そう尋ねると、
「海外転勤も長くてタイミング逃したし…親父もお袋も病気でね、俺は一人っ子だし。しばらくは側にいてやらないといけないんだ。」と言った。
彼の説明は妥当だったし、ご両親想いの人なんだな、と思った。

それから、一抹の不安を抱えながらの彼とのやりとりは続いた。今度は、「結婚詐欺かも」という疑念が沸いたが、「結婚詐欺がこんなに毎日まめにラインをするだろうか」という圧倒的楽観性にかき消された。私と彼のLINEは独特だった。二人でメッセージを交換しながら、1日1テーマの物語を作るのだ。結婚詐欺師が物語など作れるまい。体目的かも?私の体など目的になるまい。

そんな折、私に辞令が出た。
「1月から、福岡に新しい店舗ができる。オープニングスタッフとして、行ってほしいんだ。九州開拓の第一歩だ。君に期待している。」
そう上司から言われたが、私は半分も聞いてなかった。
彼とは、どうしよう。そのことばかり、考えていた。


「福岡に行くことになった。」
そうLINEを送ると、
「出張もあるし、時々遊びに行くよ。」と返ってきた。
彼とは、もう終わってしまうんだ。そう、予感した。


もう終わるんだから、と思って、彼と最後に会う日に、手紙を書いた。
彼との思い出と、楽しかったこと、そして、この半年間、付き合っていたのかどうか。もう終わってもいいから、せめて、付き合っていた半年間にしたい、そんなことを書いた気がする。

次の日、私が通院先で転院の手続きをしていると、彼からLINEが届いた。
いくつかに分かれてメッセージが送られた。
「手紙、読みました。」
「ごめん、言ってなかったけど」


「アメリカに、好きな人がいる。」

転院の手続きを進めてくれている事務員さんの言葉が聞こえなくなった。
どういうこと?私は?
「半年間、楽しかったよ。」
嘘だ。動揺を抑えつけて、可能な限り、冷静になろうとした。
「そうなんだ、その彼女のこと、教えてよ。」
「国際結婚した旦那さんと別れて、今ヨガのインストラクターをしている。もう俺はしばらくアメリカに行く機会ないけど、次にアメリカに行く時に言おうと思う。」

一瞬だけ、良かったって思った。
既婚者じゃなかった。不倫じゃなかった。
もし既婚者だったら、誰かを傷つけたことが、私の人生の汚点になっていたところだった。

でも、その思いはすぐにかき消された。

彼の心は、自分のものにはできなかった。
彼は、最初から私の方など向いてなかった。
最初から、何もなかったのだ。

「好きな人」というあまりに純粋な言葉が喉を貫くようだった。

半年間、なんだったのだろう。
振られるどころか、最初からなかったものになった。

心にもやがかかったまま、私は長年住んだ千葉を出発し、福岡行きの飛行機に乗った。千葉にはちゃんと挨拶しておけば良かったって、後悔してる。

飛行機内でイヤホンを耳に当てると、次に流れる曲の紹介がなされていた。
「次にお聞きいただくのは、back numberの、『ハッピーエンド』です。」
初めて聞く曲だった。

さよならが喉の奥に つっかえてしまって
咳をするみたいに ありがとうって言ったの
次の言葉はどこかと ポケットを探しても
見つかるのはあなたを 好きなわたしだけ

back number/ハッピーエンド

全ての歌詞が、私のことだった。
好きなのに、好かれたいから、強がっていた。あなたの幸せが、私の幸せだなんて、嘘をついていた。全部、back numberには見抜かれてた。

この歌だけ、福岡に持っていこう、そう決意した。

歌以外は、全て千葉に置いてきたのだ。


また嘘をついた。
私は、全ての気持ちを福岡に持ってきてしまった。
恋とも呼べない恋を、ずっとずっと引きずった。
「ハッピーエンド」を聴いて歌って、泣いた。


1年後に、今の夫と出会うまで、の話だ。

(了)

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亜麻布みゆ
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