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「難解な推理小説」


第1章: 退屈な日常と推理の種


「また同じだ……」

神藤葉羽(しんどう はね)は、教室の窓際で一人、飽き飽きとした表情を浮かべていた。クラスメートたちは昼休みの騒々しさの中、楽しそうに談笑し、時折笑い声が響く。だが、葉羽はその光景に興味を示さず、ただ机の上に広げた推理小説をじっと見つめている。

彼の手にあるのは、イギリスの古典的な探偵小説だ。名探偵が見事に犯人を追い詰める結末が近づいているページをめくりながら、葉羽は内心でそのトリックの甘さに失望していた。

「推理小説の登場人物たちって、どうしてこうも簡単に引っかかるんだろうな……」

葉羽は静かに呟き、ページを閉じる。彼の頭の中では、すでに数手先を見据えた仮説が練られている。犯人の動機やトリック、証拠の裏付け、それらを構築するのは彼にとって難しいことではない。というのも、葉羽は単なる読書家ではなく、極めて鋭い推理力を持った天才だった。

彼は高校2年生ながらも、学年トップの成績を誇り、クラスメートたちからも一目置かれる存在だ。しかし、そんな彼にも欠点が一つあった。それは、「退屈」だった。日常のあらゆる事象が、彼にとっては単調でありふれたものでしかなかった。だからこそ、彼はどんな日常的な事柄でも、推理という形で楽しもうとするのだ。

「もし、このクラスで事件が起こったら、どう展開するんだろう……」

窓の外をぼんやりと眺めながら、葉羽はそんなことを考えていた。隣の席では、望月彩由美(もちづき あゆみ)が、友人たちと話している。彩由美は、幼馴染であり、彼にとって唯一自然体で接することができる存在だ。彼女は葉羽とは対照的で、恋愛漫画が大好きで、ほんの少し天然なところがある。周囲からも「かわいい」と評判の美人だが、彩由美自身はそういった評価をあまり気にしていないようだった。

「葉羽、また本読んでるの?」

昼休みが終わりに近づいた頃、彩由美が葉羽の方に話しかけてきた。彼女はいつものように穏やかな笑顔を浮かべている。

「ああ、もう読み終わったよ。つまらなかったけどね」

葉羽は机の上の本を指差して答える。

「えー、そんなに面白くなかったの?」

彩由美は少し驚いたように目を丸くする。

「まあ、予想通りの展開だったし、トリックも単純すぎた。もっと頭を使わせるようなミステリーが読みたいな」

葉羽は肩をすくめながら答える。その様子を見て、彩由美は微笑んだ。

「本当に推理小説が好きなんだね。でも、そんなに難しい話ばっかり読んでたら、現実のことが退屈に感じない?」

「その通りだよ、彩由美。現実は大抵、単調で予想がつくことばかりだ。だから、いつもこうして推理して楽しんでるんだ」

「推理? 何を?」

彩由美が首を傾げると、葉羽は軽く笑みを浮かべて応じた。

「例えば、クラスメートたちの動向だとか、先生が次にどんなことを言うかとか。ある程度は予測がつくよ。今も、そこにいる男子が次にどんな会話をするか、当ててみようか?」

そう言って、葉羽は指を教室の一角にいるグループに向けた。男子たちはワイワイと賑やかに話しているが、葉羽はその中の一人の仕草を観察し、次の行動を予測する。

「もうすぐ、あの眼鏡をかけた男子が突然大きな声で『テスト範囲、知ってるか?』って聞くはずだよ」

「え、本当?」

彩由美が疑わしそうな顔をしていると、次の瞬間、葉羽が指差した男子がまさにその言葉を発した。

「おい、お前ら、テスト範囲、知ってるか?」

その場にいた彩由美は、目を丸くして葉羽を見つめる。

「すごい……本当に当たった!」

「まあ、簡単なことだよ。彼の表情と態度から、何か心配事があるのは見て取れたし、周りにそれを確認しようとしているのが分かったからね」

「さすが葉羽だね。でも、そんなふうに何でも推理してたら疲れちゃわない?」

彩由美は感心しながらも、少し心配そうに聞く。葉羽は笑みを浮かべて首を振った。

「いや、逆だよ。推理している方が楽しい。何もしないでいる方が退屈で仕方ないんだ」

その瞬間、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響く。葉羽は窓の外に視線を移しながら、心の中でつぶやいた。

「この退屈な日常が、いつか何か面白い方向に転がってくれたらいいんだけどな……」

葉羽は知らなかった。その「面白い方向」が、思いもよらない形で、すぐに訪れることになるのを──。



第2章: 不吉な招待状


「面白い方向……ねぇ」

神藤葉羽(しんどう はね)は、夜の静かな部屋の中で呟いた。自宅の書斎にいる彼は、大きな窓越しに見える満月をぼんやりと眺めていた。彼が暮らしているこの豪邸は、彼の両親が海外に長期滞在しているため、事実上の一人暮らしだった。広い家に一人きりの生活は、最初は自由で楽しいと感じていたものの、今ではすっかりその孤独さに慣れてしまっている。

「やっぱり、何か事件でも起こらない限り、この退屈は終わらないのかもしれないな……」

そう思いながら、葉羽は机の上に積まれた推理小説の山を眺める。それは全て、彼が過去に読み尽くしたものだ。どれも面白かったが、今の彼にとってはそれらさえも単なる消費物に過ぎなくなっていた。

そんな時、玄関のチャイムが鳴った。夜遅くに訪ねてくる人物は珍しい。葉羽は少し驚きながらも、書斎を出て玄関に向かう。

「誰だろう?」

ドアを開けると、そこには一人の配達員が立っていた。配達員は深々と頭を下げ、葉羽に小さな封筒を差し出した。

「神藤葉羽様ですね。こちら、貴方宛の招待状になります」

「招待状?」

葉羽は眉をひそめ、受け取った封筒を見つめる。高級な紙で作られたそれは、丁寧に封がされており、宛名の文字も美しい書体で書かれていた。差出人の名前は書かれていない。

「どうして僕にこんなものが?」

配達員に礼を言い、葉羽は再び書斎に戻ると、その場で封筒を開けて中身を確認した。中にはシンプルなカードが一枚入っており、そこにはこう書かれていた。


「神藤葉羽様、あなたを特別な夜にご招待いたします。日時は明日の夜20時、場所はあなたの豪邸にて。驚くべきことが起こるでしょう。」


「驚くべきこと、か……」

葉羽はカードの文面を読み、軽く笑った。何者かが自分を驚かせようとしていることは明らかだが、この謎めいた招待状の裏には何かもっと大きな目的があるのだろうか?疑念が生まれた。

「面白そうじゃないか」

葉羽は少し心が踊るのを感じた。彼の探究心をかき立てる要素が揃っている。差出人が不明な招待状、予告される「驚き」、そして自宅を舞台にした謎。葉羽にとって、これほど魅力的な挑戦はなかった。

「明日の夜、何が待っているのか……」

彼は期待と警戒心を持ちつつ、明日を迎える準備を進めることにした。


翌日、放課後になり、葉羽は教室を出る準備をしていた。バッグに教科書やノートを詰めながら、彼の思考は昨夜の招待状に向かっていた。その時、幼馴染の望月彩由美(もちづき あゆみ)が話しかけてきた。

「葉羽、今日は帰り一緒に帰ろうか?」

彩由美はいつものように優しい笑顔を見せる。葉羽は一瞬、昨日の招待状のことを彩由美に話すべきか迷ったが、結局言葉を飲み込んだ。彼女を巻き込むべきではないという気持ちがあったからだ。

「悪いけど、今日は用事があるんだ。少し一人で考え事をしたくてさ」

「そうなんだ。分かった。でも無理しないでね?」

彩由美は少し寂しそうな顔をしたが、すぐに理解して微笑んだ。葉羽は心の中で小さな罪悪感を感じつつも、彼女に別れを告げた。


夜20時。葉羽の豪邸は、普段と変わらぬ静けさに包まれていた。だが、彼の心はいつもとは違っていた。緊張感と興奮が入り混じり、胸の高鳴りを抑えられない。

「さて……何が起こるんだ?」

葉羽は招待状に書かれた通り、リビングルームでその時を待っていた。壁には複数の時計が掛かっているが、葉羽はそれらに無意識のうちに視線を送っていた。時計の針は着実に20時に近づいている。

そして、20時ちょうど。豪邸の玄関チャイムが鳴り響いた。

「ついに来たか……」

葉羽は立ち上がり、ゆっくりと玄関へ向かう。ドアを開けると、そこには複数の人物が立っていた。見覚えのない顔ばかりだったが、全員が整ったスーツやドレスを着ている。その中の一人、黒いスーツを着た男性が一歩前に出て、礼儀正しく挨拶した。

「神藤葉羽様、私どもは本日の主催者でございます。これより特別な夜の始まりです。どうぞ、こちらへ」

葉羽は一瞬戸惑ったが、好奇心に駆られてその招待を受け入れた。彼は、まだ何も知らなかった。この夜が、彼の退屈な日常を一変させるものになるということを──。


第3章: 豪邸に集う影たち


葉羽はスーツ姿の男たちに案内され、豪邸の広いリビングに戻ってきた。普段は静かで落ち着いたこの空間が、今日は違った雰囲気に包まれている。豪華なシャンデリアが輝き、数々の装飾品が華やかに飾られ、まるで別の世界に足を踏み入れたかのようだった。

「こんな風に準備されるなんて、全然予想してなかったな……」

葉羽は少し驚きを感じながらも、冷静に状況を観察した。彼の頭の中では、自然と推理が始まっていた。招待状を送ってきた者の目的は何なのか? そして、ここに集まっているのは誰なのか?

「さて、誰がどんな理由で僕をここに呼んだんだろうか」

葉羽はリビングにいる人物たちに目を向けた。彼らはすでに会話を始めていたが、明らかに互いを知っているような様子ではない。まるで一同が初対面であるかのようなぎこちなさが漂っている。

リビングには、葉羽を含めて全部で7人がいた。彼以外の6人は全員、何らかの富裕層や権力者のように見える。高価そうな衣装やアクセサリーを身に着けており、いかにも社交界の人々という印象を与える。

集まった6人の登場人物
赤城玲司(あかぎ れいじ): 40代の実業家。体格が良く、冷静で理知的な雰囲気を持っている。彼の会社は急成長中で、金融業界でも一目置かれる存在。
芦原美鈴(あしはら みすず): 30代後半の女性投資家。優雅なドレスを纏い、冷たい微笑みを浮かべている。葉羽は彼女の名前を新聞で見たことがあった。投資の天才と呼ばれるが、彼女の背後には常に疑惑の影がちらつく。
伊達卓巳(だて たくみ): 葉羽と同じ高校2年生で、彼とは別の高校に通っている。伊達家は古くからの名家で、葉羽の家とも以前から縁があるが、彼と直接会ったことはなかった。長身で端正な顔立ち、落ち着いた雰囲気を持つ。
鳴海和夫(なるみ かずお): 中年の政治家。彼の周囲には、どこか重苦しい空気が漂っている。保守的な考え方を持ち、葉羽にとっては無縁の人物だが、政治の世界では影響力のある人物とされている。
渡辺聡(わたなべ さとし): フリーのジャーナリスト。軽装にカジュアルなジャケットというラフなスタイルが目を引くが、その眼差しには何かを探るような鋭さがある。彼がここにいる理由は不明だが、情報を集めるために呼ばれたのかもしれない。
藤田茉莉(ふじた まり): 20代の美術鑑定士。小柄でおっとりした雰囲気だが、鋭い観察力を持っているらしく、展示会などで名を上げつつある。彼女もまた、葉羽にとっては初対面だ。
それぞれが豪邸の一角で会話を交わす中、葉羽は自分を呼んだ人物がこの中にいるかどうかを考えていた。

「全員が全く知らない他人のようだが、どうしてこの場所で集められたんだろう?」

葉羽はリビングのソファに腰掛け、彼らの動きを注意深く観察し始めた。話し方、仕草、そしてその場の緊張感。どれもが事件の予兆を示しているように感じた。特に、彼が注目したのは芦原美鈴の落ち着き払った態度だ。彼女は他の客人と談笑しつつも、どこか周囲の様子を観察しているように見えた。

「彼女が仕掛け人かもしれないな……」

そう思った葉羽は、何気なく彼女の会話に耳を傾けてみる。美鈴は、実業家の赤城玲司と何か話している。

「ええ、確かに奇妙ですね。どうして私たちがここに呼ばれたのか、全く分かりません。でも、神藤さんのお宅だとは知っていたわ」

彼女はちらりと葉羽の方を見て、微笑んだ。その微笑みはどこか意味深で、葉羽に何かを伝えようとしているようにも見える。

「どうやら、僕のことは知っているらしいな……」

葉羽は心の中で警戒を強めつつ、対応を考えた。

「さて、皆さんが集まってくださったようですね」

突然、低く響く声がリビングに響き渡った。葉羽が声の方を見ると、黒いスーツ姿の男が立っていた。彼は先ほど葉羽を玄関で出迎えた人物であり、全員の注目を集めると、ゆっくりと口を開いた。

「これから、皆様に特別な夜をお楽しみいただきます。神藤様のお宅を舞台に、あるイベントをご用意しました。おそらく、今晩の出来事は皆様の記憶に深く刻まれることでしょう」

男の言葉には謎めいた響きがあり、部屋の空気が一瞬で引き締まった。

「イベント? 何を企んでいるんだ……」

葉羽はますます興味をそそられながらも、背後に隠された意図を探ろうと頭を巡らせた。この集まりは単なる社交の場ではないことは明らかだった。ここで起こる「何か」は、確実に驚きを伴うものに違いない。

「それでは、こちらにどうぞ」

黒いスーツの男は全員をリビングの奥にある扉の方へ誘導した。葉羽は心を落ち着け、慎重にその場の流れに従った。

扉の向こうに広がっていたのは、葉羽にとっても見慣れた豪邸の一部だったが、今夜は異様な装飾が施されていた。大きなテーブルには豪華な食事が並び、シャンパンが注がれている。部屋の片隅には、時計がいくつも並んでいるが、どれも微妙に時間がずれていることに葉羽はすぐに気付いた。

「これは……」

葉羽はその不自然さに眉をひそめた。時計のズレはわずかだが、それが意図的に行われていることは明白だった。この「時間のズレ」が、今後の展開にどのように関わってくるのか、彼は直感的に感じ取っていた。

「皆様、今夜のゲームが始まります。どうか、ご自由に楽しんでください」

黒いスーツの男が微笑む。その言葉を皮切りに、この静かな豪邸で、何かが動き始めたのだった。


第4章: 最初の異変


葉羽はリビングルームに戻ると、豪華なディナーが始まっていた。参加者たちはそれぞれ席に着き、華やかな会話を交わしながら高級料理を楽しんでいる。シャンデリアの光がテーブルの上の食事やシャンパンのグラスに反射し、きらびやかな雰囲気が広がっていた。だが、葉羽の心は落ち着かない。時計のズレ、謎めいた招待状、そしてこの見知らぬ集まり……すべてが奇妙すぎた。

「どう考えても、ただの社交パーティーじゃない。何かが起ころうとしている……」

葉羽は周囲の人々を観察しながら、疑念を深めていた。参加者たちは見た目こそ優雅だが、その会話の裏には何かしらの緊張感が漂っている。特に、芦原美鈴の視線が気になる。彼女は一見、無関心に見えるが、時折葉羽を観察するような仕草を見せる。

「彼女が何か知っているのか? それとも、ただの気まぐれか……」

葉羽はシャンパンのグラスを軽く揺らしながら考えを巡らせていた。その時、突然テーブルの向こう側からガタンと大きな音が響いた。

「何だ?」

驚いて顔を上げると、伊達卓巳が立ち上がって椅子を倒していた。彼の表情には焦りが見え、その視線は自分の手元に注がれている。葉羽はすぐに彼の方に歩み寄り、何が起こったのかを確かめようとした。

「どうしたんだ?」

「いや、すまない……」

伊達は手の中にあるシャンパングラスを見つめていた。彼の手は微かに震えている。その様子に他の参加者も気づき、テーブルの周りに緊張が走った。

「何があったの?」

芦原美鈴が問いかける。伊達は軽く笑って取り繕うように首を振った。

「ただの……シャンパンが少しこぼれただけだ。大したことはない」

しかし、その笑顔は明らかに作り物だった。葉羽は、彼が何かを隠していると直感した。

「本当に、それだけか?」

葉羽は疑いの目で伊達を見つめたが、伊達は再び椅子に座り直し、表面上は落ち着いた様子を見せた。だが、彼の手元にはシャンパンがこぼれていなかった。グラスはまるで、何かを拒むかのように伊達の手から滑り落ちたように見えた。

「何かがおかしい……」

葉羽は伊達の行動を頭の中で整理しようとしたが、その瞬間、リビング全体の照明が突然消えた。

「えっ!?」

リビングは一瞬で暗闇に包まれ、辺りは混乱に陥った。驚きの声が上がり、椅子の引きずる音や何かが床に落ちる音が響き渡る。

「停電か? いや、こんなタイミングで……偶然なわけがない」

葉羽は冷静に考えを巡らせた。このタイミングでの停電は、何か意図的なものだとしか思えない。すると、突然暗闇の中で誰かの声が響いた。

「誰かいるのか?」

声の主は赤城玲司だった。彼の落ち着いた声が不安を抑え込もうとしているのがわかる。

「皆さん、落ち着いて。おそらくただの停電です。すぐに復旧するでしょう」

黒いスーツの男が、そう言って場を取り成そうとした。しかし、その直後、再び異変が起こった。どこからか鈍い音が聞こえたのだ。まるで、何かが重いものにぶつかるような音。

「今の音は……?」

「誰かが倒れたんじゃないか?」

参加者たちの間に動揺が広がる。葉羽もその音に耳を傾けていたが、正確な位置を掴むことはできなかった。すると、次の瞬間、照明が再び点いた。部屋は再び光に包まれたが、そこには異様な光景が広がっていた。

「これは……!」

葉羽は驚愕した。床に倒れていたのは鳴海和夫だった。彼はテーブルの近くで仰向けに倒れ、動かなくなっている。その顔には痛みと驚きが入り混じった表情が残っていた。

「まさか……」

急いで近づいた葉羽は、鳴海の脈を確認しようと手を伸ばしたが、すぐにその手を止めた。鳴海はすでに冷たくなっていた。明らかに、彼は死んでいたのだ。

「死んでいる……」

葉羽の声が部屋に静かに響き渡った。その瞬間、リビングの空気が一気に凍りついた。誰もが息を飲み、しばらくの間沈黙が続いた。

「殺されたのか……?」

誰かがつぶやいた。全員の視線が鳴海の死体に注がれる。誰が、いつ、どのようにして彼を殺したのか──それはまだ誰にも分からなかった。

葉羽はすぐに思考を巡らせた。暗闇の中で鈍い音が聞こえたこと、そしてその直後に鳴海が倒れていたこと。それらが関連しているのは明白だったが、肝心の犯行方法がまったく見えてこない。

「この部屋には……7人しかいない。もしこれが殺人事件だとしたら、犯人はこの中にいることになる」

葉羽は全員の顔を順番に見渡した。誰もが困惑と恐怖を隠しきれない表情をしている。だが、その中に本当に犯人がいるのだろうか? あるいは、この事件自体が何かの「ゲーム」なのか?

「とにかく、まずは状況を整理しよう」

葉羽は冷静さを取り戻し、思考を組み立て始めた。この異変の裏に隠された真実を解き明かすため、彼の推理が再び動き出す──。


第5章: 時計が示す嘘


鳴海和夫が倒れた瞬間から、葉羽の頭は休むことなく働き始めた。彼は膝をつき、鳴海の体を慎重に調べながら、自分を取り巻く状況を冷静に分析していた。周囲の参加者たちは動揺し、ざわめき立っているが、その中で葉羽だけが深い集中状態に入っていた。

「死体に外傷はない……となると、毒か?」

鳴海の死因が即座に外傷によるものではないことを確認すると、葉羽は殺害方法についての仮説を立て始めた。もし暗闇の中で鳴海が殺されたとすれば、犯人はその瞬間に何かを仕掛けたはずだ。

「毒物を使うなら、あらかじめ準備が必要だ……だが、そんな形跡は見当たらない」

その時、再び黒いスーツの男が静かに声を発した。

「皆様、落ち着いてください。このような事態は想定外ではございますが、今はまず警察に通報いたします。どうか、動かずにお待ちください」

彼の言葉は表面的には冷静で落ち着いていたが、その声には僅かな動揺が感じられた。参加者たちも一様に戸惑った表情を見せるが、次第に誰もが黒いスーツの男に従う形でその場に留まった。

葉羽は一瞬その言葉に注意を向けたが、すぐに鳴海の周囲に目を戻した。そして、彼のそばに転がっていたグラスに気付いた。

「シャンパングラス……彼は確かにこれを手にしていた。だが……」

葉羽はグラスを慎重に持ち上げた。そのグラスには、まだ少量のシャンパンが残っている。しかし、その液体が異様な輝きを放っているように見えた。

「これが原因か?」

グラスを嗅ぎ、匂いを確かめるが、異臭はしない。何かの毒物が混入されていたのかもしれないが、視覚や嗅覚では確認できるほど明白なものではなかった。葉羽は一つの可能性を心に留めながら、そっとグラスをテーブルに戻した。

「だが、この場にいる誰もがシャンパンを飲んでいる……なぜ鳴海だけが?」

そう考えながら、葉羽は再び周囲を見渡した。そして、壁に掛かっている時計がふと目に留まる。そこには、20時5分を示す針が動いていたが、先ほどリビングに来た時には時計のズレに気付いていたはずだった。

「……おかしい。こんなにズレていたか?」

葉羽は時計のズレが何を意味するのかを考え始めた。各部屋にある時計はそれぞれ微妙に異なる時間を示していた。だが、それが意図的なものなのか、それとも単なる偶然なのかはまだ判断できなかった。


突然、伊達卓巳が声を上げた。

「これは……もしかしてゲームなんじゃないか?」

「ゲーム?」

他の参加者たちはその言葉に驚き、伊達の方を振り返った。彼は少し興奮した様子で続けた。

「こういう設定での謎解きイベントだよ。鳴海さんの死も、ただの演出なんじゃないか?」

「演出?」

一瞬、部屋の中に安堵の空気が流れた。参加者たちの一部は、その可能性に希望を見出したようだった。鳴海が単なる役者であり、この死もパーティーの一部であるという考えは、彼らにとって救いだったのだ。

しかし、葉羽は違った。冷静に鳴海の体を調べ、彼の脈が完全に止まっていることを確認している葉羽には、その「ゲーム」という考えは通用しなかった。

「残念だが……これは現実だ」

葉羽はそう言って立ち上がり、全員を見渡した。その言葉は、リビング全体の空気を一気に冷やした。伊達も、他の参加者たちも、その言葉の重みを理解したのか、一様に表情を曇らせた。

「じゃあ……本当に誰かが彼を殺したってこと?」

藤田茉莉が怯えた声で尋ねる。彼女は小柄で、他の参加者の影に隠れるようにしていたが、その目は恐怖で見開かれていた。

「その可能性が高い。そして、犯人はこの中にいる」

葉羽は冷静に言葉を続けた。全員が息を呑み、周囲を見渡す。その時、葉羽の脳裏にある仮説が浮かび上がった。

「鳴海さんが死んだ時間は、この部屋の時計が20時5分を示した瞬間だった。だが、別の部屋にある時計は微妙に異なる時間を示している」

「それがどう関係しているっていうんだ?」と、赤城玲司が苛立った声で問う。

葉羽は赤城の質問に答える代わりに、他の部屋の時計も調べることを提案した。

「時計がズレていることは、犯人が何かを隠すための重要な手掛かりかもしれない。時間がズレていれば、アリバイも操作できる。皆の行動が本当にその時間に行われたかどうかを確認する必要があるんだ」

「ズレた時計でアリバイを操作……?」

葉羽の言葉に、全員が混乱した表情を見せるが、彼はすでに次の行動を決めていた。

「まず、全ての時計を確認しよう」

そう言って、葉羽は参加者たちと共に、豪邸中にある時計の確認を始めた。キッチン、書斎、ホール……どの時計も微妙にズレているが、重要なことはそのズレ方が一様ではないことだった。

「……やはりそうか」

葉羽はそのズレを確認し、再び頭の中でピースを組み合わせた。

「犯人は、このズレを利用している。証言が全ての時計に基づいている限り、犯行時間を操作することができるんだ。だから、皆が見た時間は同じ『瞬間』ではなかったんだ」

「じゃあ……本当の犯行時刻は?」と、渡辺聡が尋ねた。

「まだはっきりとは言えないが、このズレを逆算していけば、真実の時間が見えてくるかもしれない」

葉羽は確信に満ちた目でそう言い放った。この「時計のズレ」を手掛かりに、彼の推理は次の段階へと進み始めた。そして、そこには犯人を暴くための決定的な証拠が隠されているはずだった。


第6章: 突然の悲鳴


時計のズレに気付いたことで、葉羽の推理は加速していた。リビングに戻り、全員が再び揃うと、彼は皆の行動を改めて整理することにした。各自がどの時計を基準にしていたか、その「ズレ」がどのようにアリバイの成立に影響を与えたかを一つ一つ確認するためだ。

「各自がどの時計を見ていたのか、そしてそれが鳴海さんの死亡推定時刻とどれだけズレているかが重要だ」

葉羽はそう言って全員をリビングのソファに座らせ、冷静に説明を始めた。だが、緊張した空気が流れる中、赤城玲司が不満げな声を上げた。

「ズレた時計がどう影響するかなんて分からない。俺たちにはこの事件を解決するための専門知識なんてないんだ。お前が言っていることが正しいかどうかも判断できない」

赤城は焦りと苛立ちを隠せず、鋭い視線を葉羽に向ける。だが葉羽は動じることなく、彼の言葉に冷静に応えた。

「確かに、このズレが直接的に鳴海さんの死を引き起こしたわけではない。しかし、この時計のズレを利用すれば、犯人は全員に異なる時間を『正しいもの』として信じ込ませることができる。つまり、アリバイが成立したと思わせながら、その実、犯行は別の時間に行われたということだ」

葉羽の理路整然とした説明に、参加者たちの表情は一様に険しくなった。彼の言葉が真実であるなら、全員のアリバイが疑わしくなり、誰もが犯人の候補に挙がるということになるからだ。

「それにしても……どうして鳴海さんが狙われたんだろう?」

藤田茉莉が小さな声でつぶやいた。彼女の怯えた表情が印象的だった。鳴海の死因がはっきりしていない今、彼がなぜ標的にされたのかも謎のままだ。

「それも、まだはっきりとは分からない。だが、もう少しで何かが掴めそうだ」

そう答えた葉羽が、さらに推理を進めようとした瞬間だった──。

突然、家の奥から女性の悲鳴が響き渡った。

「キャアアアアアアア!」

鋭く高い声が、豪邸全体に反響する。全員が驚き、即座に立ち上がった。葉羽の心臓が一瞬止まるかのように感じたが、すぐにその声が誰のものかを理解した。

「……彩由美!?」

悲鳴の主は、望月彩由美だった。彼女はこの場にはいないはずだが、葉羽は瞬時に判断し、声が聞こえた方向に駆け出した。驚いた参加者たちも彼に続くが、葉羽は一瞬たりとも迷うことなく廊下を進み、豪邸の奥にある部屋へとたどり着いた。


「彩由美! 無事か?」

葉羽が部屋の扉を開け放つと、そこには倒れた彩由美がいた。彼女は床に座り込み、肩を震わせながら涙ぐんでいた。葉羽は慌てて彼女に駆け寄り、その肩に手を置いた。

「大丈夫か? 何があった?」

彩由美は涙を拭い、震える声で答えた。

「……あ、あそこに……」

彼女が指差した先には、大きな壁掛け時計があった。その時計もまたズレているように見えたが、葉羽はその時、彩由美が示すものが時計ではないことに気付いた。

「誰か……見たの……」

「誰か?」

葉羽はその言葉に動揺しながらも、冷静に彼女の言葉を促す。

「どういうことだ? 何を見たんだ?」

「……分からない。暗い影が、私の後ろを……そばを通り抜けていったの。気づいたら、部屋のドアが開いていて……それで、怖くなって……」

彩由美の言葉は途切れ途切れだったが、その恐怖は伝わってきた。彼女が見たものが本物の人間か、それとも何かの錯覚かは不明だったが、この状況下ではただの偶然とは考えにくい。

「影……?」

葉羽はその言葉を反芻した。彼女が見たのは犯人だったのか、それとも別の何者かがこの屋敷に潜んでいるのか。彼の中でさらなる疑念が湧き上がってきた。

その時、後ろから足音が近づき、他の参加者たちが到着した。

「何があったんだ?」と赤城が尋ね、葉羽は簡潔に説明した。

「彩由美が誰かを見たらしい。暗い影のようなものが彼女の近くを通ったと……」

「それは……犯人ってことか?」

伊達卓巳が不安げに聞き返す。彼も他の参加者たちも、次第に動揺の色を隠せなくなっていた。

「いや、それはまだ分からない。だが、ここに誰かがいるのは確かだ。僕たち以外にもう一人、この屋敷に潜んでいるかもしれない」

葉羽の推理はますます複雑さを増していった。時計のズレによるアリバイトリックが存在する可能性、そしてその背後に潜む謎の人物。犯人が今もこの屋敷のどこかに潜んでいるのか、それともすでに別の罠が仕掛けられているのか。

「いずれにせよ、今はこれ以上犠牲者を出さないために行動しなければならない」

葉羽は決意を新たにし、再び全員をリビングに戻すことにした。だが、彼の中には今、彩由美を守るという新たな使命感が芽生えていた。


全員が再びリビングに集まったが、緊張感はピークに達していた。誰もが疑心暗鬼に陥り、隣に座る者すら信用できない状態だった。

「もう一度、皆の行動を確認しよう。この屋敷のどこかに、まだ手掛かりがあるはずだ」

葉羽は冷静に言葉を発しながらも、頭の中で彩由美が見た「影」が何を意味するのかを整理し始めた。時計のズレ、そして目撃された謎の人物。この二つの要素がどう繋がるのか──それを解き明かすことで、次の一手が見えてくるはずだった。

しかし、葉羽にはもう一つの疑問が残っていた。

「この屋敷のどこかに、僕たちの知らない『秘密』がある……それが明らかになれば、全てのピースがはまるはずだ」

葉羽の推理は次第に核心へと近づいていく。だが、それと同時に、さらなる危険が迫っていることも感じていた。


第7章: 第一の容疑者


「彩由美が見た『影』が本物だとしたら……」

リビングに戻った葉羽は、改めて思考を巡らせていた。時計のズレと謎の影、そして鳴海の死。これらの要素は、まだ葉羽の中で完全には繋がっていなかったが、少しずつ事件の全貌が浮かび上がりつつあった。だが、それ以上に、今ここにいる誰かが犯人である可能性は日に日に強まっていた。

「まずは冷静に、全員のアリバイを確認する必要がある」

葉羽は立ち上がり、全員に向けて口を開いた。

「皆、まず落ち着いてほしい。今から、全員の行動を確認する。僕たちは同じ屋敷にいて、鳴海さんが殺された。その時、誰がどこで何をしていたのか、できる限り正確に話してほしい」

参加者たちは緊張の色を隠せなかったが、葉羽の冷静な態度に促され、徐々に口を開き始めた。


まず最初に、実業家の赤城玲司が口を開いた。

「俺は、鳴海さんが倒れた瞬間、すぐ隣の椅子に座っていた。あの時はシャンパンを飲んでいて、鳴海さんが突然倒れたのに驚いて立ち上がった。それだけだ」

「赤城さん、シャンパンを飲んだ後、何か変わったことは感じなかったか? 例えば、飲んだ瞬間に鳴海さんの動きが変だと思ったとか」

葉羽の問いかけに、赤城は少し考え込んでから首を振った。

「いや、特に何も感じなかった。ただ、倒れた時の彼の表情が……まるで驚いたような顔をしていたのが印象的だったな」

「なるほど……」

次に葉羽は、投資家の芦原美鈴に目を向けた。彼女は冷静な態度を崩さず、まるでこの状況さえ楽しんでいるかのように話し始めた。

「私も赤城さんと同じように、ただその場にいたわ。シャンパンを飲んで、少し周囲の様子を見ていただけ」

「何か気になることはあった?」

「そうね……一つ挙げるとすれば、鳴海さんがグラスを落としそうにしていたことかしら。手元が少し不安定に見えたわ」

「……それは倒れる直前?」

「ええ、そう。グラスをしっかり持てていないように見えた」

芦原の証言に、葉羽は眉をひそめた。鳴海が倒れる直前に手元が乱れたことは、何らかのヒントになるかもしれない。


次に、若い美術鑑定士の藤田茉莉が話を始めた。彼女は他の参加者たちとは違い、明らかに怯えた様子で声を絞り出すように話した。

「私……実は、ずっと鳴海さんのことを見ていたんです。彼がシャンパンを飲んで、何かを考え込んでいるように見えました。まるで……その瞬間、何かに気づいたみたいに」

「何かに気づいた?」

「はい、でも、すぐに倒れてしまったので……本当のところは分かりません。ただ、その時の表情は、何か恐怖を感じているようにも見えました」

「恐怖……?」

葉羽はその証言に引っかかりを覚えた。鳴海が最後に恐怖を感じていたとすれば、犯人がその瞬間近くにいた可能性が高い。そして、何らかの手段で彼に致命的な一撃を与えたのだろう。


フリージャーナリストの渡辺聡は、腕を組んで少し考え込むようにしてから話し始めた。

「俺は、鳴海が倒れる直前に少し気になることがあった。彼が自分のポケットに何かを触れているように見えたんだ。まるで……何かを確認しているように」

「ポケット?」

「そうだ。その後、倒れてしまったから詳しくは分からないけど、確かにその動きがあった」

「ポケットの中に何かがあったのか……」

葉羽はその情報も心に留めた。鳴海が倒れる前にポケットを確認していたとすれば、そこに何らかの重要な手がかりが隠されている可能性がある。


最後に、伊達卓巳が話し始めた。彼は他の参加者よりも年齢が近いこともあってか、やや気弱そうに見えたが、葉羽の目をしっかりと見て話し始めた。

「俺は、鳴海さんが倒れる前に……何か違和感を感じていた。まるで、部屋全体に重い空気が漂っているような感じがして……それで少し気分が悪くなったんだ」

「気分が悪くなった?」

「ああ。もしかしたら、ただの体調不良かもしれないけど、確かにあの瞬間、何かが変だった。まるで……何かが近づいてくるような」

「……ありがとう、伊達君」

葉羽はその証言を聞きながら、頭の中で全員の動きを整理していった。


全員の証言を聞き終えた葉羽は、再び自分の席に戻り、深く考え込んだ。各証言は微妙に異なっていたが、いくつかの共通点が浮かび上がってきた。

「全員が鳴海さんの異変に気付いていた……ただし、誰もその直接的な原因を目撃していない」

彼の推理は、次第に犯人像へと迫っていく。しかし、ここで重要なのは、鳴海が倒れる前に何らかの恐怖や不安を感じていたという点だ。彼は何かを知っていた、あるいは何かに気付いていた。そして、それが原因で命を奪われた可能性が高い。

「ポケットの中……」

葉羽はふと、鳴海のポケットに手を伸ばした。そこには、小さな封筒が入っていた。封筒を開けると、そこには紙片が一枚だけ入っていた。

「これは……?」

その紙には、奇妙な文字が書かれていた。それは何かの暗号のように見えたが、具体的な意味はすぐには解読できなかった。

「この暗号が、事件のカギか……?」

葉羽はさらに深い思考に入った。鳴海が手にしていたこのメモが、彼の死に直結する何かを示しているとすれば、これを解読することが事件解決の糸口となるかもしれない。

だが、その時──

「待ってくれ! 俺がやったんじゃない!」

突然、伊達卓巳が声を上げた。葉羽が彼を疑っていることを感じ取ったのだろうか。全員の視線が一斉に伊達に向けられた。

「……誰も君を犯人だなんて言ってないよ」

葉羽は冷静に答えたが、伊達の動揺は明らかだった。彼の表情は青ざめ、手が小刻みに震えていた。

「でも……俺は、本当に知らないんだ。ただ、あの場にいただけなんだ!」

伊達は半ばパニックになりかけていた。葉羽は彼を落ち着かせようとしながらも、内心では警戒心を強めていた。

「君が何か隠しているなら、話してくれ」

「隠してなんかない! 本当に、何も知らないんだ!」

葉羽はしばらく伊達の目を見つめていたが、やがて視線を外し、再び全員を見渡した。

「分かった

。だが、誰かがこの中で嘘をついていることは確かだ。そしてその嘘が、鳴海さんの死と繋がっている」

葉羽は冷静にそう言い放ったが、心の中では新たな推理が動き出していた。伊達の動揺、鳴海のメモ、そして謎の影。これらが繋がった時、事件の真相が明らかになるはずだ。

「まずはこのメモの意味を解明することが先決だ」

葉羽はそう考え、次の一手を練り始めた。このメモが解読されれば、犯人が誰であるかが見えてくるかもしれない。


第8章: 彩由美の不安


リビングに緊張した空気が漂う中、葉羽は再び鳴海のポケットから取り出したメモに視線を落とした。そこには簡素な文字列が並んでいたが、どうやらただの文字ではなく、何らかの暗号のように見える。


「S25: C13. A1」


「これが何を意味するのか……」

葉羽はメモをじっと見つめたまま考えを巡らせていた。何かの座標か、暗号か、それともコードなのか。何らかの鍵であることは間違いないが、今のところ具体的な意味はわからない。

「何か手掛かりはないのか……?」

その時、後ろで小さな声が響いた。

「葉羽……」

彩由美だった。彼女は部屋の片隅で、小さく震えている。葉羽はその様子に気付き、彼女に近づいた。

「彩由美、大丈夫か? 怖い思いをさせたな」

「……うん、でも……あの、葉羽、少し話せるかな?」

彩由美の表情は不安でいっぱいだった。今までの彼女は、事件が起きる前と変わらず、どこか天然で柔らかい雰囲気を保っていた。しかし、鳴海の死と目撃した影のせいで、彼女の中にも恐怖が押し寄せているのは明らかだった。

「いいよ、外で少し話そうか」

葉羽は静かにうなずき、彩由美をリビングの外へと連れ出した。廊下に出ると、外の静けさが二人を包み込む。


「それで、話って?」

葉羽が問いかけると、彩由美は少し間を置いてから口を開いた。

「実は、あの鳴海さんのことなんだけど……」

「鳴海さんがどうしたんだ?」

彩由美は少し躊躇したが、意を決したように話し始めた。

「私、前に一度、鳴海さんと会ったことがあるの……」

「え? 鳴海さんと?」

葉羽は少し驚きながらも、彩由美の話に耳を傾けた。彼女が鳴海と接点があったという事実は、これまで一度も出てきていなかったからだ。

「うん。何ヶ月か前のことなんだけど、街で偶然鳴海さんに話しかけられて、それで少し話をしたの。最初は怖い人かと思ったけど、すごく優しい人だったの」

「それで、何かあったのか?」

「その時、鳴海さんが……私に『何か大事なものを預かってほしい』って言ってきたの」

「大事なもの……?」

葉羽は驚きとともに、再び彩由美の目を見つめた。

「うん……でも、何なのかは教えてもらえなかった。ただ、『今は危険だから、しばらくの間持っていてほしい』って言われて……。その後、特に連絡もなかったから、ずっと忘れてたんだけど……鳴海さんが今日、こんなふうに殺されてしまって……」

彩由美の声がかすかに震える。彼女自身も、その「預かり物」が事件に関わっているかどうかを確信していないようだったが、葉羽にとっては非常に重要な情報だった。

「その預かり物、今も持ってるのか?」

葉羽は慎重に問いかけた。もしその「預かり物」が今回の事件のカギになるのだとしたら、犯人がそれを狙っていた可能性も考えられる。

「うん、持ってる……でも、何だか怖くて開けられなかったの」

彩由美はバッグから小さな封筒を取り出した。それは非常に古めかしいもので、封がされていた。葉羽は慎重にそれを受け取り、封を開けて中身を確認した。

封筒の中には、小さな鍵が一つ入っていた。それは特に目立つものではなく、見たところただの古い鍵に過ぎない。しかし、その鍵にはどこか重要な意味が隠されているように思えた。

「……これは一体?」

葉羽は鍵を手に取り、しばらく眺めていたが、すぐにはその用途が分からなかった。しかし、これが鳴海の言う「大事なもの」ならば、事件のカギを握っている可能性が高い。

「彩由美、これを鳴海さんから預かったのはいつだった?」

「確か……三ヶ月くらい前かな。その時、鳴海さんはすごく真剣な顔をしていて、『絶対に他の人には見せないで』って言われたの」

「……ありがとう、彩由美。これが事件の手掛かりになるかもしれない」

葉羽はそう言って、彩由美の手を優しく握った。彼女は少し怯えていたが、葉羽の存在が彼女を少しでも安心させたようだった。

「でも、葉羽……」

彩由美は不安げな表情を浮かべたまま、声を潜めて言った。

「もし、この鍵が事件に関係しているなら……私、狙われるかもしれない」

「……心配しなくていい。僕が君を守るよ」

葉羽は決意を込めてそう言い切った。今は何よりも彩由美の安全が最優先だ。犯人がこの鍵を狙っているなら、彩由美自身が危険な立場にあることは明白だった。


リビングに戻ると、葉羽は再びメモと鍵を見つめた。何かが足りない──この二つを繋ぐピースが見えていない。しかし、それも時間の問題だ。葉羽の中で、少しずつ事件の全貌が明らかになりつつあった。

「まずはこの鍵が何を開けるものなのかを探らなければならない」

そう思った葉羽は、再び推理の糸を手繰り寄せ始めた。


第9章: 鍵となる証言


リビングに戻った葉羽は、彩由美から預かった鍵と鳴海のポケットにあったメモを見比べながら、頭の中でピースを組み立てていた。鳴海が彩由美に預けた鍵、そして謎めいたメモ。この二つがどう繋がっているのかが分かれば、事件の核心に迫ることができるはずだ。

「このメモは暗号……もしくは座標か、何か特定の場所を示しているのかもしれない」

葉羽はそう考えながら、再びメモをじっくりと見つめた。だが、その時、彼の思考を遮るかのように、赤城玲司が再び不満そうな声を上げた。

「おい、葉羽。いつまでこんな意味のわからないゲームに付き合うんだ? 鍵だとか、メモだとか、どうでもいいだろう。今すぐ警察を呼んで、この事件を片付けさせた方がいい」

赤城の苛立ちは、状況が長引くにつれて明らかに高まっていた。他の参加者たちも、同様に不安と焦燥感を隠しきれない。だが、葉羽は冷静だった。

「警察を呼ぶことは考えている。でも、その前に……鳴海さんが何かを掴んでいたことは間違いない。このメモと鍵は、その答えに近づくための手掛かりなんだ」

「メモ? どんなメモなんだ?」と、フリージャーナリストの渡辺聡が食いついてきた。

「これだよ」

葉羽は手にしていたメモを全員に見せた。


「S25: C13. A1」


「これは、何らかの暗号だと思う。でも、まだ解読できていない」

メモを見た途端、渡辺の表情が微妙に変わった。彼はまじまじとその文字列を見つめ、しばらく黙り込んだ。

「渡辺さん、何か心当たりがあるのか?」と葉羽が問いかけると、渡辺は少し間を置いてから口を開いた。

「……いや、確証はないが、この形式、以前に見たことがあるような気がするんだ」

「どういうこと?」

「私は過去にいくつかの企業や政治家を調査してきたんだが、その中で、ある秘密裏の通信に似た形式を見たことがある。特定の座標や番号を使って何かを示すやり方だ。犯罪組織が密かにやり取りする際に使われることが多い」

「犯罪組織……?」

その言葉に、部屋の空気が再び緊張感に包まれた。

「確かに、このメモはただのメッセージではなさそうだ。何かの指示か、場所を示している可能性が高い」

渡辺の証言を聞いて、葉羽はさらに推理を進めた。このメモが犯罪組織の通信と関連しているのだとすれば、鳴海はその組織に何らかの形で関わっていたか、もしくは彼らに狙われていた可能性がある。彩由美に「危険だから預かってほしい」と言ったのも、そうした事情からだったのかもしれない。

「でも、それだけじゃまだ足りない……」

葉羽はもう一度、メモと鍵を見つめた。この二つの手掛かりが事件の核心に近いことは間違いない。しかし、これらをどう使うべきかはまだはっきりしていなかった。


その時、芦原美鈴が急に葉羽に向かって話し始めた。

「ねえ、神藤君。今さらだけど、私も少し思い出したことがあるの。鳴海さんについてよ」

「鳴海さんについて? どういうことですか?」

芦原は少し意味深な笑みを浮かべながら、続けた。

「実は、以前に一度だけ鳴海さんと話をしたことがあるのよ。あの人、昔は政治家としても有名だったけど、何年か前に突然政界から姿を消したわ。で、その時に彼が言っていたの。『私はある重要な証拠を握っている。だが、それが誰の手に渡るかによって、この国の未来が変わるだろう』って」

「重要な証拠……?」

「ええ。具体的にそれが何なのかは教えてくれなかったけど、彼はその証拠を隠していると言っていたわ」

芦原の証言は、葉羽にとって大きな手掛かりとなった。もし鳴海がその「重要な証拠」を隠していたとすれば、それを狙って今回の事件が起こった可能性が高い。そして、その証拠を手に入れるために、犯人が何らかの手段で鳴海を襲ったのだろう。

「それがこの鍵とメモに関係しているということか……」

葉羽は一気に全てのピースが繋がりつつあるのを感じた。鳴海が隠していた「証拠」、それを示すメモ、そしてその証拠を手に入れるための鍵。この三つが揃えば、事件の真相に近づけるはずだ。


「この鍵が何を開けるのか、それが分かれば全てが明らかになる……」

葉羽は決意を固めた。だが、次にどうすべきかを考えていたその時、再び緊張した空気を破るように、赤城が声を荒げた。

「こんなところでグズグズしている場合じゃないだろう! 鳴海の死を解決するためには警察を呼ぶべきだ!」

その言葉に、他の参加者たちも少しずつ同調するようになった。

「確かに、もう限界よ……これ以上は耐えられない」

「私たちはプロじゃないんだ。こんな事件に巻き込まれるなんて、もううんざりだ……」

参加者たちの不安が次第に膨らみ、騒ぎ始めた。葉羽はそれを見て、冷静に一歩前に出た。

「皆、少し冷静になってくれ。僕たちがこの鍵を使って証拠を見つければ、犯人の正体が明らかになる。警察を呼ぶ前に、もう少しだけ時間をくれないか?」

葉羽の落ち着いた声は、再び全員を静かにさせた。しかし、彼らの不安が完全に消えたわけではない。限られた時間の中で、葉羽は次の一手を打つ必要があった。


「この屋敷の中に、何か隠されている場所があるかもしれない」

葉羽はそう考え、再び頭を巡らせた。この鍵が開けるべき場所が屋敷のどこかにあるとすれば、それを見つけることで事件の真相に一歩近づけるはずだ。

「まずは……屋敷の地下か、もしくは隠し部屋だろうか?」

そう推測した葉羽は、再び屋敷内を探索することを決意した。そして、その鍵がどこで使えるのかを探るため、彩由美と共に行動することにした。

「彩由美、君も一緒に来てくれないか?」

「うん、分かった。葉羽が一緒なら大丈夫……」

彩由美は不安を感じつつも、葉羽を信じて頷いた。二人は再び廊下に出て、鍵が使える場所を探しに向かう。


第10章: 時計が語る真実


葉羽と彩由美は、屋敷の廊下を進みながら鍵が使える場所を探し始めた。豪邸の各部屋を順に確認するが、明らかに鍵穴がありそうな場所は見当たらない。彩由美が抱いている不安を感じ取りつつも、葉羽は冷静な推理を進めていた。

「この鍵が開けるのは、単なるドアじゃないはずだ……きっと、何か隠された場所だ」

廊下を進んでいくと、ふと、壁に掛かっている時計が目に入った。葉羽は一瞬立ち止まり、その時計をじっと見つめた。時計の針は、またもや微妙にズレていた。

「……おかしい。やはり、このズレは意図的だ」

葉羽は改めて、屋敷の各部屋に設置されている時計のズレが、この事件のトリックに関わっていると確信した。

「葉羽、どうかしたの?」

彩由美が不安そうに尋ねるが、葉羽は時計から目を離さずに答えた。

「彩由美、この屋敷の時計、どれも少しずつズレているんだ。でも、このズレが何か重要な意味を持っているはずだ。これまでに見た全ての時計の時間を思い出してみると……」

葉羽は頭の中で、各部屋の時計のズレを順に整理し始めた。キッチン、リビング、廊下、そして書斎。どれも少しずつズレていたが、そのズレ方には規則性があった。

「そうか……これは順番を示しているんだ」

葉羽は小さく呟いた。時計のズレが、単なる偶然ではなく、ある順番を示すために仕組まれていたことに気付いたのだ。

「時計が順番を示している……? どういうこと?」

彩由美が首を傾げながら問いかける。葉羽はその問いに応じて説明を始めた。

「この屋敷の時計は全てズレているけど、そのズレ方が一定の規則に従っているんだ。つまり、ある特定の順番で部屋を巡るように導かれている。犯人は、この時計のズレを使って僕たちに何かを示しているんだ」

「それって……」

彩由美は一瞬戸惑ったが、すぐに葉羽の言葉に納得し始めた。

「でも、その順番でどこに行けばいいの?」

「おそらく、最後の時計が示している場所だ。あの時計が何かのヒントになっているはずだ」

葉羽は再び思い返す。最後に見た時計があったのは、屋敷の一番奥にある書斎だった。その書斎には、他の部屋とは違う特別な空気が漂っていたことを思い出した。

「まずは書斎に行ってみよう。あそこに何かが隠されているかもしれない」


葉羽と彩由美は廊下を進み、屋敷の奥にある書斎へとたどり着いた。豪奢な装飾が施された部屋には、大きな本棚が壁一面に並んでいる。葉羽は迷うことなく時計の前に立ち、針の動きや時間を再確認した。

「やっぱり、この書斎が何かを隠している。時計のズレは、この部屋にある隠し場所を示しているんだ」

葉羽は書斎を注意深く見回し、どこに鍵穴が隠されているのかを探し始めた。彩由美もまた、彼の隣で同じように部屋を見渡す。

「葉羽、ここに鍵が使える場所があるのかな?」

「おそらくあるはずだ。普通の鍵穴じゃないかもしれないけど、この部屋のどこかに隠されている。特に、この時計が関係しているんだ」

葉羽は時計の裏や本棚の奥を調べながら、一つ一つの可能性を潰していく。すると、ふと壁に掛かっている額縁に違和感を覚えた。額縁が少しだけ浮いているように見える。

「ここか……?」

葉羽はその額縁を慎重に外すと、その裏側に小さな鍵穴が見えた。

「やっぱり、ここにあったか」

葉羽は預かっていた鍵を差し込み、ゆっくりと回した。軽い音がして、壁の一部が少しだけ開いた。

「葉羽……! これって……!」

彩由美が驚きの声を上げる。壁の奥には、隠し扉があり、その向こうには暗い小部屋が広がっていた。部屋の中には一つの机と椅子、そしてその上に古い書類の束が置かれていた。

葉羽は慎重にその書類に近づき、上に積まれている一枚の紙を手に取った。その紙には、信じられない事実が書かれていた。

「これは……」

葉羽はその紙に目を通し、息を呑んだ。そこには、ある政治家と企業の間で交わされた秘密の契約書が記されていた。重大な裏取引の証拠だ。この証拠が公になれば、大きなスキャンダルに発展することは間違いない。

「これが……鳴海さんが隠していた『証拠』だ」

鳴海が持っていた重要な証拠。それは、この秘密の契約書だった。鳴海はこの証拠を知り、それを守ろうとしていた。だが、それを知った犯人が鳴海を殺し、この証拠を手に入れようとしていたのだ。

「犯人は……この証拠を狙っていたんだ」

葉羽はつぶやき、彩由美に向き直った。

「彩由美、これはただの事件じゃない。この証拠が暴露されれば、国全体を揺るがすことになる。鳴海さんはこの証拠を守るために命を落としたんだ」

「そんな……鳴海さんは、それを守ろうとして……」

彩由美の目に涙が浮かぶ。鳴海がなぜ命を奪われたのか、その理由が明らかになった今、彼の死の重さが改めて感じられる。

「でも……これで事件の全貌が見えてきた」

葉羽は書類を握りしめ、決意を固めた。この証拠を守り抜くことが、鳴海の意思を継ぐことになる。そして、この証拠を奪おうとした犯人を暴き出すことが、事件を解決するための最後のステップだ。

「犯人は、まだこの屋敷の中にいるはずだ」

葉羽は、彩由美と共にリビングへ戻ることにした。犯人を追い詰め、事件を解決するための最後の対決が、間もなく始まろうとしていた。


第11章: 葉羽の推理開始


リビングに戻った葉羽と彩由美は、参加者たちの不安に満ちた視線を受けた。豪邸の中で起きた奇妙な出来事、鳴海の死、そして暗号の謎。皆がそれぞれ何かを考えている様子だったが、共通して抱えているのは「自分が疑われているかもしれない」という恐怖だった。

「どうやら全員、少しずつ疲れ始めているようだな……」

葉羽は一度深呼吸をしてから、参加者たちを見渡し、静かに言葉を発した。

「皆さん、少しお時間をいただけますか。今まで集めた手掛かりをもとに、事件の全貌を整理したいと思います」

その言葉に全員が注目する。葉羽の冷静な態度が、彼らの不安な心を少し落ち着かせたのか、誰も反論することなく彼の言葉に耳を傾けた。


「まず、鳴海さんの死についてです。彼が死ぬ前、いくつかの重要な手掛かりがありました。まず、鳴海さんはシャンパンを飲んで倒れましたが、その際、手元が乱れていたという証言がいくつかありましたね」

葉羽は芦原美鈴に視線を向けた。彼女は冷静にうなずき、証言を認めた。

「ええ、確かにグラスをしっかり持てていなかったわ」

「それがポイントです。鳴海さんはシャンパンを飲んでいたが、それに毒物が入っていた可能性がある。毒の影響で手元が不安定になり、その後に倒れたんです」

「じゃあ、やっぱり鳴海さんは毒で……?」と藤田茉莉が恐る恐る尋ねた。

「その可能性が高いです。ただし、問題はその毒を誰が仕込んだか、そしてどのタイミングで仕込んだのかということです」

葉羽はシャンパングラスに目を向け、指で軽く叩いて音を確かめた。

「鳴海さんが飲んだシャンパンは、全員が同じように飲んでいました。でも、彼だけが倒れた。つまり、鳴海さんのグラスにだけ何かが加えられたんです」

その言葉に全員がざわめく。葉羽は続けて、彼らの視線を一つに集めるため、手を軽く上げて静かにさせた。

「ここで重要なのは、毒を入れるためのタイミングです。皆さんが証言した通り、リビングで皆がシャンパンを楽しんでいたその間に、誰かが巧妙に鳴海さんのグラスに毒を仕込んだんです」

「でも、それじゃ犯人は誰か?」と赤城玲司が苛立ち混じりに声を上げた。

「それを明らかにするために、もう一つの手掛かりを見ましょう」

そう言うと、葉羽は机の上に、彩由美から預かった鍵と鳴海のポケットに入っていたメモを置いた。

「このメモと鍵は、鳴海さんが何か大きな秘密を守っていた証拠です。先ほど彩由美と私は、屋敷の隠し部屋を見つけました。その部屋にあったのは、鳴海さんが命をかけて守ろうとしていた『秘密の契約書』です」

葉羽は契約書を取り出し、全員に見せた。重々しい空気がリビングを包み込む。

「この契約書は、ある企業と政治家の間で交わされた違法な取引を示しています。鳴海さんはこれを隠していた。だが、誰かがこの証拠を手に入れようとし、彼を殺したんです」

その言葉に全員が固唾を飲んだ。渡辺聡が手を上げ、質問した。

「それで……その犯人は、誰なんだ?」

葉羽は一瞬、全員を見渡し、静かに答えた。

「犯人は、最初からこの契約書の存在を知っていた者です。そして、鳴海さんがそれを隠していることにも気付いていた」

全員の視線が葉羽に注がれる。彼の次の言葉が、事件の解決に向けた決定打となることは明らかだった。


「その人物は……芦原美鈴さん、あなたです」

部屋の中に張り詰めた沈黙が広がる。全員が一斉に芦原の方を振り返った。彼女は一瞬驚いたように見えたが、すぐに冷静さを取り戻し、軽く笑った。

「私が犯人? 面白いわね。でも、証拠は?」

「証拠は、あなたの証言そのものです。あなたは最初に鳴海さんのグラスが不安定だったと証言しましたね。あなたはその動きを注意深く見ていたと言いましたが、実はあなたが毒を入れるタイミングをうかがっていたからこそ、彼の動きに気付けたんです」

葉羽の言葉に、芦原の笑みが少し硬くなった。だが、彼はさらに続けた。

「そして、鳴海さんの秘密を知っていたのは、あなた以外にいません。あなたは投資家として企業と深い繋がりを持っている。その中で、今回の違法な取引に関わる企業とも接触していたはずです。鳴海さんがその秘密を握っていることを知り、彼を殺してでも証拠を手に入れたかった」

「それだけじゃ、決定的な証拠にならないわ」

芦原は冷静さを保とうとしながら反論した。しかし、葉羽は動じなかった。

「確かに、今の段階では動機だけです。でも、もう一つの決定的な証拠があります。鳴海さんが倒れる直前に、彼のポケットに手をやっていたという証言がありましたね」

葉羽は渡辺聡の方に視線を向けた。渡辺は緊張しながらも、頷いて証言を確認した。

「その時、鳴海さんはおそらく、この契約書が隠された場所を守ろうとしていた。あなたが彼のグラスに毒を仕込んだ後、鳴海さんはこの契約書を守るために必死だった。だからこそ、ポケットに手をやっていたんです」

「……そう、だったのね」

芦原の顔に、ついに微妙な変化が現れた。その表情には、葉羽の推理が核心を突いていることを示す緊張感がにじみ出ていた。

「そして最後に、毒を使った方法についてですが、私はこの屋敷にある時計のズレがあなたの仕掛けたトリックだと気付きました。時計のズレを利用し、犯行時間を曖昧にさせることで、自分のアリバイを成立させようとしたんです。ですが、時計の順番に隠されたズレは、むしろあなたが犯行を行った証拠になっています」

「……もう言い逃れはできないわね」

芦原美鈴はゆっくりと立ち上がり、薄く笑った。

「さすがね、神藤君。よくここまで辿り着いたわ。でも、私がこの程度のことですべてを諦めると思う?」

彼女の目は、今までの冷静さを失い、何か狂気じみた光を宿していた。しかし、葉羽は一歩も引かず、彼女を見据えて言った。

「証拠は揃っています。もう終わりです、芦原さん」


第12章: もう一つの死体


芦原美鈴が静かに立ち上がった瞬間、リビングの空気はさらに緊張を増していた。葉羽の推理が芦原を犯人として追い詰めたが、彼女はまだ自分の敗北を認める気配を見せない。その目には冷たい光が宿り、まるで次の一手を計算しているかのようだった。

「あなたの言う通りかもしれない、葉羽君。私は鳴海さんを殺した……でも、他に選択肢はなかったのよ。彼がこの証拠を公にしてしまえば、すべてが崩れてしまう。私の築いたものも、私に協力してきた者たちの人生も」

芦原の声は一見落ち着いていたが、その内に隠された焦燥が徐々に顔を覗かせていた。

「でも、葉羽君。私を追い詰めても、あなたに何ができる? この証拠を持っていても、あなたがそれを使いこなせるかどうかは別の話よ」

彼女は軽く笑い、周囲を見回した。まるで、まだ何かを企んでいるかのような不気味な自信が感じられる。

「芦原さん……まだ終わっていません。あなたの罪は、すでにここにいる全員に明らかになりました。逃げ道はないんです」

葉羽は一歩前に出て、冷静に彼女を見据えた。しかし、その瞬間だった。

「じゃあ、どうするつもり? 私を警察に渡す?」

芦原がそう言い終わるや否や、リビングの外から突然、大きな物音が響いた。何かが倒れるような音。それは、まるで誰かが床に崩れ落ちたかのような重い音だった。

「今の音は……?」

全員が一斉に振り返った。リビングの外、廊下の方から聞こえてきた異常な音に、皆が動揺を隠せない。葉羽もまた、即座に反応し、急いで廊下へと駆け出した。

「誰かが倒れたのか……?」

葉羽の心臓が鼓動を早める。もしも他の参加者の一人が襲われていたとすれば、事件はさらに複雑化し、予測不能な展開に陥るかもしれない。


廊下に出た葉羽は、すぐにその異常を目にした。廊下の床に、伊達卓巳が倒れていたのだ。

「伊達君!」

葉羽は急いで彼のもとに駆け寄り、脈を確かめる。だが、その冷たく硬直した感触は、すでに生命の終わりを告げていた。伊達卓巳は、すでに絶命していたのだ。

「また、死体が……」

彩由美が震えた声でつぶやく。彼女もまた廊下に駆け寄り、恐怖の色を隠せないでいた。

「一体、どうして……?」

葉羽はすぐに周囲を見回した。伊達が襲われた痕跡や、凶器となりうるものを探す。しかし、そこには何の手がかりも見当たらない。ただ、彼の体が冷たく床に横たわっているだけだった。

「一体何が起きたんだ……?」

葉羽の脳裏に、数秒前のリビングでの出来事が走馬灯のように蘇る。芦原を犯人として追い詰めたその直後、突如として現れた新たな犠牲者──これが意味するものは何なのか。

「まさか……芦原さんが関係しているのか?」

葉羽は考えを巡らせながら、再び伊達の体に視線を戻した。伊達の顔には、何かに驚いたような表情が浮かんでいた。鳴海の時と同じように、死の直前に何かを感じ取っていたようだった。

「彩由美、君は彼が何かを言ったり、動いたりしているのを見なかったか?」

葉羽は彩由美に尋ねたが、彼女は悲しそうに首を振った。

「いいえ……突然、大きな音がしたと思ったら、もう彼が倒れていて……」

「そうか……」

葉羽は再び伊達の死因を推理しようと頭を巡らせた。鳴海の死と同様に、何らかの毒が使われた可能性もあるが、伊達の体には外傷がなく、その死因が何であるかをすぐに特定することは難しかった。


その時、後ろから冷たい声が響いた。

「どうやら、また新しい犠牲者が出たようね」

振り返ると、芦原美鈴がリビングのドアからこちらを見ていた。彼女の表情は冷静そのもので、まるでこの出来事が予測できていたかのように見える。

「芦原さん……これはあなたの仕業なのか?」

葉羽は疑念の目を向けたが、芦原は軽く首を振った。

「私じゃないわ。こんな状況、私が手を下さなくても十分に混乱しているもの。誰が殺したかなんて、もう関係ないわよね?」

その言葉に、葉羽は強い違和感を覚えた。確かに芦原は犯人だが、彼女の様子からは、まるでこの状況を利用しようとしているかのような意図が感じられた。

「まさか……これも計画の一部なのか?」

葉羽は考えを巡らせたが、状況がさらに混乱している今、冷静に事態を整理する必要があった。

「でも、なぜ伊達君が殺されたんだ? 彼は事件の核心には関わっていないはずだ……」

葉羽は立ち上がり、伊達が何らかの理由で狙われた可能性を考えた。だが、その理由がすぐに見つからない。何か、別の動機があるのかもしれない。

「まずはリビングに戻ろう。皆を集めて、もう一度整理しないといけない」

葉羽は彩由美を促し、リビングへ戻ることを決意した。伊達卓巳の死が事件をさらに深く複雑にした今、犯人を暴き出すための次の一手を打たねばならない。すでに二人の命が奪われたこの状況で、もうこれ以上の犠牲者を出すわけにはいかない。


リビングに戻ると、赤城玲司や藤田茉莉、渡辺聡もすでに緊張した表情で待っていた。葉羽は改めて全員を見渡し、再び推理を開始した。

「皆、聞いてくれ。伊達君が倒れた今、事態はさらに深刻になった。私たちの中に、まだ真実を隠している者がいる。まずは全員の行動をもう一度確認し、事件を解明するための手掛かりを整理し直す必要がある」

葉羽の言葉に、全員が緊張の色を浮かべる。事件は最初の想定よりも遥かに複雑で、彼ら全員が自分の身を守るために警戒し始めていた。

「伊達君がなぜ狙われたのか、その理由を突き止めなければならない。次に何が起きるか分からない今、僕たちは一致団結してこの状況を乗り越えなくてはならないんだ」

葉羽の推理は再び動き出す。伊達卓巳の死が意味するものとは? そして、犯人が本当に狙っているものとは? 次なる真実に向けた戦いが、再び幕を開ける──。


第13章: 記憶の罠


リビングの静寂が重苦しい空気を漂わせていた。葉羽は、再び犠牲者が出たことに動揺しながらも、冷静に全員の行動を確認するための準備を整えていた。伊達卓巳の突然の死──そして、まだ未解決の鳴海の殺人事件。この二つの事件が繋がっていることは明らかだが、その繋がりがどこにあるのか、葉羽は手掛かりを探していた。

「伊達君が殺された理由は何なのか……?」

葉羽は考えながら、再びリビングの全員を見渡した。芦原美鈴が犯人であることは間違いないが、伊達の死には別の意図が感じられる。なぜ伊達が標的になったのか、その動機を突き止めなければならない。

「まずは、全員の行動をもう一度確認しよう」

葉羽は静かに提案した。彼の落ち着いた口調が、少しでも皆の混乱を抑えるように感じられた。全員がそれぞれの椅子に座り直し、葉羽に注目する。


「まず、伊達君が倒れた瞬間ですが……皆さんはどこで何をしていたか、もう一度教えてください」

葉羽がそう問いかけると、まず最初に渡辺聡が口を開いた。

「俺は、あの時はリビングで静かに座っていた。伊達君が外に出たことには気付いていたけど、特に彼が何をしているのかまでは見ていない」

渡辺の証言は簡潔で、特に疑わしい点はないように見える。次に、赤城玲司が苛立ちを隠せない様子で話し始めた。

「俺もだ。あの時は芦原さんとのやり取りに集中していた。鳴海の件でまだ解決していなかったし、まさか伊達がやられるなんて思ってもみなかった」

「では、芦原さん、あなたは?」

葉羽は芦原美鈴に視線を向けた。彼女は一瞬黙ったが、冷静に答えた。

「私は葉羽君の推理を聞いていたわ。鳴海さんの件について、ようやく話が進み始めたと思っていたのに……その時に伊達君が殺されるなんて、驚いたわ」

彼女の態度には、相変わらず冷静さが見える。しかし、その背後には何かを隠している気配も感じられる。葉羽はその表情をじっと観察した。

次に、藤田茉莉が不安げに話し始めた。

「私も……リビングにいたわ。でも、伊達君がいなくなったのには気付かなかったの。急に悲鳴が聞こえたから、驚いて……」

藤田もまた、特に怪しい様子は見せていない。だが、彼女が怯えているのは明らかだった。


葉羽は一通りの証言を聞き終えた後、再び思考を巡らせた。誰もがリビングにいたと証言しているが、実際に伊達が殺された瞬間を目撃した者はいない。これはつまり、皆の証言が「何か」に操作されている可能性があるということだ。

「この事件の背後には……『記憶』に関する罠があるのかもしれない」

葉羽はそう考えながら、これまでの出来事を振り返った。時計のズレ、参加者たちの証言の食い違い、そして何よりも、この屋敷の中で感じる微妙な違和感。それらが一つに繋がる仮説が浮かび上がった。

「皆さん……もしかすると、私たち全員が同じ時間を生きているとは限らないのかもしれません」

その言葉に、全員が驚いた表情を浮かべた。

「どういうことだ?」と、赤城が苛立ち混じりに尋ねる。

「この屋敷には、意図的に時計がズレて設置されています。それによって、私たちが『正しい時間』だと思っているものが、実はズレている可能性があるんです。私たちがそれぞれに見ている時計は少しずつ異なり、その結果、証言の時間や行動がずれている」

葉羽は全員の表情を見渡しながら説明を続けた。

「例えば、ある人が20時だと思って行動していても、実際にはその人の時計は10分進んでいたとします。そうすると、その人の証言と他の人の証言が食い違い、結果としてアリバイが成立しないことになるんです」

「つまり、私たちの記憶が操作されている……ってこと?」と、藤田が驚いた声で尋ねた。

「そうです。この屋敷にある時計のズレは、私たち全員の記憶を曖昧にさせています。そして、そのズレを利用して犯人はアリバイを操作し、犯行を行ったんです」

葉羽の推理が進むにつれ、全員の顔にはさらに緊張が走る。

「そして、これこそが芦原さんの仕組んだトリックです。鳴海さんの殺害、そして伊達君の殺害も、この『記憶の罠』を利用した犯行です」


「私が記憶を操作した? 本気でそんなことを言っているの?」

芦原美鈴は冷静さを装っているが、その声にはわずかに焦りが混じっていた。葉羽はその変化を見逃さなかった。

「あなたは、この屋敷の時計のズレを知っていたはずです。だからこそ、そのズレを利用して、自分のアリバイを成立させた。そして、私たちの記憶を曖昧にさせることで、自分が犯人であることを隠そうとした」

「証拠は? そんなこと、証明できるの?」

芦原はさらに葉羽を挑発するように問いかけた。だが、葉羽は自信を持って答えた。

「証拠は、鳴海さんが残したメモです。あのメモには、時計のズレを示すヒントが隠されていました。彼はそのことに気付き、何とかして私たちにそれを伝えようとしていたんです」

葉羽は再びメモを取り出し、全員に見せた。


「S25: C13. A1」


「このメモは、実は座標を示しているのではなく、時計のズレを指し示していたんです。『S25』は、時間のズレを25分進めることを意味し、『C13』は13分遅らせる。そして『A1』は、1分だけ進めるということ」

「つまり、鳴海さんは、この屋敷にある全ての時計が意図的にズレていることに気付き、そのことを私たちに伝えようとしたんです。そして、そのズレを利用して犯行を行ったのが芦原さん、あなたです」


「もう終わりです、芦原さん」

葉羽はそう断言し、全員の視線を芦原に向けさせた。彼女はしばらくの間、無言で葉羽を見つめていたが、やがてその口元に冷たい笑みを浮かべた。

「……なるほどね、さすが神藤葉羽と言ったところかしら」

芦原はゆっくりと立ち上がり、軽くため息をついた。

「そう、あなたの言う通りよ。私は鳴海さんを殺した。時計のズレを利用してね。でも、残念だったわね……もう、私はあなたに捕まるつもりはないの」

その言葉に、葉羽は一瞬身構えた。だが、次の瞬間、芦原はリビングの窓へと駆け寄り、勢いよく開け放った。

「待て! 芦原さん

!」

葉羽が追いかけようとしたその瞬間、彼女は窓から姿を消した。葉羽が窓際に駆け寄ると、そこには芦原の姿はなく、外の闇が広がっていた。


「……逃げられた」

葉羽は悔しさを噛みしめながら、窓の外を見つめた。だが、事件の真相は明らかになった。芦原美鈴は鳴海を殺し、時計のズレを利用して自分のアリバイを作り出した。しかし、彼女の計画は葉羽の推理によって暴かれ、追い詰められた結果、彼女は逃亡を選んだ。

「芦原さんが逃げても、もう真実は隠せない……」

葉羽は静かにそうつぶやき、決意を新たにした。


第14章: 犯人の目的


リビングは、芦原美鈴が逃げた後も緊張感が漂っていた。彼女が窓から姿を消したことで、事件は新たな展開を迎えたが、まだ全てが解決したわけではなかった。葉羽は芦原が逃亡したことで、この事件に隠された「本当の目的」があることに気づき始めていた。

「芦原美鈴……彼女は何かを守ろうとしている」

葉羽は窓の外を見つめながら、事件の全貌を整理し始めた。芦原が鳴海を殺し、伊達卓巳も犠牲になった。しかし、芦原が逃亡する前に放った言葉が、葉羽の頭の中にこびりついて離れない。


「私に捕まるつもりはない……」


芦原はただ証拠を消そうとしていただけではない。彼女はそれ以上に、「何か」を守るためにこの事件を起こし、最後まで逃げる覚悟を持っていた。その「何か」を見つけなければ、この事件の真相は見えないままだ。

「芦原が守ろうとしていたものは何なんだ?」

葉羽は自問しながら、リビングに残った参加者たちに目を向けた。彼らもまた、この異常な状況に戸惑いと恐怖を隠せないでいるが、葉羽の次の一手を待っているようだった。

「皆さん、もう一度、私たちが知っている事実を整理してみましょう」

葉羽は全員に向けて冷静に呼びかけた。リビングの椅子に座る一人一人の表情には、不安と疑念が入り混じっていた。

「まず、鳴海さんが殺された理由。それは、彼が持っていた『証拠』を隠すためでした」

葉羽は再び、彩由美から預かっていた鍵と、隠し部屋で見つけた契約書を取り出した。

「鳴海さんは、この違法な契約を暴露しようとしていた。しかし、それを阻止するために芦原さんは彼を殺した。そして、この契約に関わる組織が、事件の背後にいることもほぼ確実です」

葉羽の言葉に全員が息を飲んだ。違法な契約書は、鳴海が守ろうとしていた「秘密」だったが、同時にこの事件の中心にある「動機」でもあった。芦原はその契約に深く関わり、鳴海がその証拠を持ち出すことを恐れて彼を殺した。しかし、そこにもう一つの動機があるはずだ。

「でも、それだけじゃ足りない。芦原さんがこんなに冷静でいられるのは、ただの契約書のためじゃない。彼女は逃亡する前に、何かを守ろうとしていた」


「そうか……」

葉羽は、ふと一つの仮説にたどり着いた。芦原が守っていたのは、自分自身ではなく、もっと大きな「何か」だった。

「芦原さんが守ろうとしていたのは、この契約書に関わる大きな組織の存在そのものだ」

その言葉に、リビングの空気が再び緊張した。渡辺聡が顔をしかめながら葉羽に問いかけた。

「組織……ってどういうことだ? 契約書にある企業だけじゃないのか?」

「いいえ。この契約書が示しているのは、単なる取引ではなく、もっと広範囲にわたる裏社会のネットワークです。芦原さんはこのネットワークの一部であり、その全貌が明らかになることを恐れていた。だからこそ、彼女は自分の命をかけても逃げようとしたんです」

葉羽の言葉に、藤田茉莉が怯えた様子で声を上げた。

「じゃあ、彼女は一人じゃない……? もっと多くの人が関わっているってこと?」

「そうです。芦原さんは、鳴海さんを殺した直接の犯人ですが、その背後にいる組織は彼女を支えていた可能性が高い。そして、この組織がどれほど強大で危険なものか、まだ完全には分かりません」

葉羽は冷静さを保ちながらも、心の中では焦りを感じていた。芦原が逃亡したことで、彼女の背後にある組織の存在が浮き彫りになったが、それがどれほどの力を持っているかは未知数だ。このままでは、事件が闇に葬られてしまう可能性がある。


「次に、伊達君の死です」

葉羽は再び話を進めた。伊達卓巳の死が、鳴海の事件とは別の目的で行われた可能性があることに気付いたからだ。

「伊達君は、私たちが知らない何かを知っていた可能性があります。彼が狙われた理由は、芦原さんの計画に何らかの支障をきたすことを恐れたからかもしれません」

「伊達君が何を知っていたって言うんだ?」と赤城が訝しげに尋ねる。

「それはまだ分かりません。ただ、伊達君の死が芦原さんの計画と密接に関わっているのは間違いない。彼が知っていたことが、組織にとって危険だったんでしょう」

「でも、彼がそんなことを知る理由があったのか?」

葉羽は一瞬考えたが、ふと彩由美の顔が頭をよぎった。伊達は、葉羽とは違う学校に通う同級生であり、これまで事件に巻き込まれるような素振りはなかった。だが、伊達が事件に関わっていたことを考えると、彼の死にはもっと複雑な背景がある可能性が高い。


「つまり、伊達君は偶然ではなく、彼自身がこの事件に関わっていた……もしくは、何らかの形でこの事件のカギを握っていたんです」

葉羽の推理が深まる中、全員が再び緊張感を取り戻しつつあった。芦原美鈴が逃亡したことで、事件はさらに謎を増していたが、葉羽はその謎を解くために頭を巡らせ続けた。

「伊達君の死が意味すること……それがこの事件の全貌を解き明かすカギになるはずです」

葉羽はそう言いながら、全員を見渡した。リビングの中で次々と浮かび上がる謎と推理が、事件の最終段階へと葉羽を導いている。しかし、事件はまだ終わっていない。芦原の背後にいる組織、その正体と目的を突き止めるためには、さらに一歩踏み込む必要があった。

「この事件は、ただの殺人事件ではなく、もっと大きな陰謀が絡んでいる。伊達君がそれを知っていた可能性が高い。だからこそ、彼は狙われたんだ」

葉羽の推理は、次第に核心へと近づいていく。芦原美鈴が逃亡した今、残された証拠と手掛かりをもとに、真相を暴くための最後の一手を打つ時が迫っていた。


第15章: 組織の正体


リビングに漂う静寂の中、葉羽の頭の中では、次々とピースがはまっていく感覚があった。事件が単なる殺人ではなく、背後に巨大な組織が絡んでいることは明らかだった。芦原美鈴が逃亡した今、葉羽に残された時間は限られている。彼女が守ろうとしていた組織の正体を突き止めなければ、さらなる犠牲者が出る危険がある。

「伊達君が殺された理由も、この組織に関連しているはずだ」

葉羽は自分に言い聞かせるように呟いた。彼は立ち上がり、再びリビングに集まった全員に向けて口を開いた。

「皆さん、ここで立ち止まるわけにはいきません。芦原美鈴が逃亡したことは確かに大きな問題ですが、私たちにはまだ時間があります。この事件の真相を解き明かし、彼女の背後にいる組織を暴かなければなりません」

全員が葉羽の言葉に緊張した面持ちで頷いた。渡辺聡が、記者としての鋭い目を光らせながら質問した。

「組織と言ったが、一体どういう組織なんだ? ただの犯罪グループじゃないんだろう?」

葉羽は静かに頷き、隠し部屋で見つけた契約書に再び視線を落とした。

「この契約書には、表には出せない違法取引の詳細が記されていました。しかし、それは単なるビジネス上の犯罪ではなく、もっと深いところで繋がっている。つまり、この契約書に関わる企業や政治家は、ある特定の勢力に支配されている可能性があります」

「勢力って、具体的には?」と赤城玲司が険しい顔で問いかける。

「いわゆる『影の支配者』……表には出ないが、裏から経済や政治に影響を与える存在です。特定の利益集団が、自分たちの利益を守るために鳴海さんを消そうとしたんです」

葉羽の言葉に、全員が驚きの表情を浮かべた。表向きはただの契約書に見えるものが、実は裏社会と繋がっていたという事実が、彼らの心を一層重くしていた。

「では、鳴海さんはその存在に気づいて、証拠を残していたということか……」

藤田茉莉が怯えた声で言った。彼女はまだ事態を完全に理解しきれていないが、鳴海が何か重大な秘密を握っていたことだけは分かっているようだった。

「そうです。鳴海さんは、この組織の存在を突き止め、暴こうとしていました。彼が命を懸けて守ろうとした証拠こそが、この契約書です。だが、芦原美鈴はその証拠を消すために彼を殺し、伊達君もその秘密に近づいたために殺されたのです」


「だが、なぜ伊達君がその秘密に近づいたんだ?」

赤城の質問に、葉羽は少し黙り込んだ。伊達卓巳がどうしてこの事件に巻き込まれたのか、その動機がまだ完全に明らかになっていない。

「伊達君は……もしかすると、偶然ではなく意図的にこの事件に巻き込まれたのかもしれません」

「どういうことだ?」

「彼はもしかしたら、鳴海さんと何らかの繋がりがあったのかもしれない。あるいは、鳴海さんの計画を知っていた……もしくは、その一部に関わっていた可能性もあります」

「でも、伊達君はただの高校生だろ? どうしてそんなことに巻き込まれるんだ?」と、渡辺が疑念を口にする。

「確かに、表向きはそうです。しかし、何らかの形で鳴海さんに接触していたのかもしれません。例えば、鳴海さんの計画を手助けしていた、もしくは鳴海さんの情報提供者として動いていた可能性も考えられます」

葉羽の言葉に、全員が一層深く考え込むような表情を見せた。伊達卓巳がなぜ殺されたのか、その真相が見えてくるにつれて、事件の背景が次第に浮かび上がってきた。


その時、ふと彩由美が小さな声で話し始めた。

「……葉羽、実は、伊達君から一度だけ連絡をもらったことがあるの。数日前に、何か『相談したいことがある』って言ってたんだけど……」

「相談したいこと?」

葉羽は彩由美に目を向けた。その言葉に、事件のもう一つの手掛かりが隠されているかもしれない。

「そう。私、その時は何のことか分からなかったから、また今度話そうって言ったの。でも、それっきりで……」

彩由美の言葉に、葉羽の頭の中で新たな仮説が生まれた。伊達卓巳は鳴海と接触し、何らかの情報を手に入れていた。そして、その情報を彩由美に伝えようとしていたのではないか。

「伊達君は、彩由美に何かを伝えたかったんだ。それが何かはまだ分からないが、彼はこの事件のカギを握っていた。だからこそ、彼は消されなければならなかったんだ」

葉羽は再び全員に視線を向け、冷静に言葉を続けた。

「そして、その情報こそが、今この事件を解き明かすための最終的なピースです」


「じゃあ、その情報って何なんだ?」と赤城が苛立ちを隠せずに尋ねた。

「おそらく、鳴海さんの計画の全貌に関するものだと思います。鳴海さんが何をしようとしていたのか、それを知っていた伊達君が消されることで、芦原美鈴とその背後にいる組織は計画を潰そうとした。しかし、その計画が何だったのかがまだはっきりしていない」

葉羽は静かに考え込んだ。鳴海が計画していたこと、そして伊達卓巳が知っていた「情報」。それを明らかにしなければ、事件の全貌は見えてこない。

「伊達君が伝えようとしていたことは、何か特定の手がかりに隠されている可能性が高い。彼の持ち物や、残された痕跡の中に、真相を解き明かす鍵があるかもしれない」

「伊達君の部屋を調べる必要があるな……」と渡辺が提案した。

「そうですね。伊達君の部屋には、きっと何か重要な手掛かりが隠されているはずです」

葉羽は決意を固めた。伊達卓巳が鳴海から受け取った情報、そして彼が何を知っていたのか。それを突き止めることで、この事件の真相にたどり着けるだろう。

「まずは伊達君の部屋を調べましょう。そこに、この事件を解決するための手掛かりがあるはずです」


第16章: 伊達卓巳の遺した手掛かり


葉羽と渡辺聡は、早速伊達卓巳の部屋を調べるために屋敷を出て、彼の住む家に向かうことにした。夜の静けさが二人を包み込み、事件の緊張感が一層高まっているのを感じさせた。彩由美は葉羽に心配そうな目を向けていたが、彼が彩由美を守ると約束したことを思い出し、何とか不安を抑えている様子だった。

「伊達君が遺した手掛かり……それがこの事件を解く鍵になるはずだ」

葉羽はそう呟き、さらに心を落ち着けるように深呼吸をした。彼は事件を解明するために必要な情報が、伊達卓巳の部屋に隠されていることを直感していた。


伊達の家に到着すると、二人は早速、伊達卓巳の部屋を調べ始めた。葉羽が探偵としての観察力をフルに発揮し、部屋中を隈なく調べる。部屋は高校生らしく整理されていたが、どこか緊張感が漂っているようにも感じられた。

「普通の高校生の部屋に見えるが……何か隠しているはずだ」

渡辺も一緒に部屋を調べていたが、特に目立った異変は見当たらなかった。しかし、葉羽はすぐに違和感を覚えた。机の引き出しを開けた瞬間、封筒が目に入ったのだ。それは古い紙でできた封筒で、何か大切なものが入っているようだった。

「これか……」

葉羽は慎重に封筒を開け、中を確認した。そこには、小さなメモ帳が入っていた。メモ帳のページには、伊達が何かを調べた記録が残されていた。だが、その内容はただの学校の課題ではなく、明らかに別の目的で書かれたものだった。

「これは……何かの調査記録か?」

渡辺が横から覗き込むと、驚いた表情を見せた。

「これ、政治家や企業の名前が書かれているな。鳴海の契約書に出ていた名前とも一致する。どうやら伊達は、鳴海と同じくこの違法な契約について調べていたようだな」

「伊達君がこの組織の存在を知っていた……」

葉羽はメモ帳をじっくりと読み進めた。そこには、複数の企業と政治家の名前、そして彼らが関与する裏取引の詳細が書かれていた。鳴海が隠していた「証拠」と一致する内容であり、伊達が何らかの形でこの情報を掴んでいたことは間違いなかった。

「これが彼を殺した理由か……」

葉羽は確信を持った。伊達卓巳は、鳴海と同じく組織の存在に気づき、それを暴こうとしていた。だが、その事実を知っていたことで、彼もまた標的となったのだ。


「でも、これだけじゃないはずだ」

葉羽はさらに手掛かりを探そうと部屋を見回した。その時、ふと机の上に置かれていたパソコンが目に入った。

「彼のパソコンを調べてみよう。何かデジタルな証拠が残っているかもしれない」

渡辺が提案すると、葉羽はすぐにパソコンを開き、電源を入れた。パスワードがかかっていたが、伊達卓巳の誕生日を試してみると、簡単にログインできた。

「さて、何が出てくるか……」

葉羽はファイルを一つずつ確認していく。すると、目立たないフォルダに奇妙な名前のファイルが保存されているのを発見した。それは、無造作に「プロジェクト」という名前が付けられていたが、ファイルの中には大量の情報が詰め込まれていた。

「これだ……!」

ファイルを開くと、そこには組織に関するさらなる詳細な情報が記されていた。特に、芦原美鈴やその他の関係者の名前も含まれており、違法な取引や裏金の流れが詳しく説明されていた。さらに、鳴海がこの組織に潜入しようとしていたことも書かれている。

「伊達君は、鳴海さんを助けようとしていたんだ」

葉羽はその事実を知り、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。伊達はただの高校生ではなく、鳴海の同志としてこの闇の組織と戦おうとしていたのだ。そして、そのために命を落とすことになった。


「これで、事件の全貌が見えてきた」

葉羽は静かに言った。伊達が残した証拠は、芦原美鈴の背後に潜む巨大な組織の存在を明らかにするものだった。鳴海と伊達はその秘密を暴こうとしたが、それを阻止するために二人とも命を奪われた。そして、その組織は今も暗躍し続けている。

「この情報を持ち帰って、皆に伝えなければならない」

葉羽はパソコンのデータをコピーし、証拠をしっかりと手に入れた。そして、伊達のメモ帳と共にその場を後にし、リビングに戻ることを決意した。


リビングに戻ると、全員が緊張した様子で待っていた。葉羽は一息つき、皆に静かに語りかけた。

「伊達君が何を知っていたのか、そして彼がなぜ殺されたのか、ようやく明らかになりました」

全員がその言葉に注目し、葉羽は続けた。

「伊達君は、鳴海さんの同志として、彼と共にこの組織の秘密を暴こうとしていました。そして、その情報を掴んだがゆえに命を奪われたのです」

葉羽は伊達のメモ帳とパソコンに残されていた証拠を全員に見せた。驚愕と共に、彼らはその証拠が示す内容に絶句していた。

「これが、事件の全貌です。この組織は、違法取引を通じて裏社会を支配しており、鳴海さんや伊達君はそれを暴こうとしました。しかし、そのために二人は命を奪われた……」

葉羽は改めて、鳴海と伊達の死を心に刻みながら、犯人を追い詰めるための最終段階に入った。

「これで、芦原美鈴の背後にある全ての真実が明らかになりました。次にやるべきことは、この組織を暴き出し、芦原を捕らえることです」

葉羽の決意に満ちた言葉が、リビングに響き渡った。物語はクライマックスに向けて、ついに真実が明かされ、最後の対決へと進んでいく。


第17章: 最後の罠


葉羽が伊達卓巳の部屋で発見した証拠は、事件の背後に潜む巨大な組織の存在を浮き彫りにし、いよいよ真相が明らかになろうとしていた。リビングに戻り、全員にその証拠を見せたことで、物語はクライマックスに向けて一気に加速する。しかし、葉羽の心には、まだ解決しなければならない「最後の罠」があることを確信していた。

「芦原美鈴が逃亡した今、組織が動き出す可能性がある」

葉羽は緊張した面持ちで、リビングの全員を見渡した。彼が集めた証拠を使えば、事件を公にすることはできる。しかし、芦原が逃亡したことで、組織が証拠を消し去るために再び行動を起こす危険があった。

「芦原美鈴を追いかける必要がある。しかし、彼女がどこに逃げたのかが分からない以上、僕たちはまだ動けない」

葉羽は手元の証拠を整理しながら、芦原の逃亡先を突き止めるための新たな手掛かりを探し始めた。彼女が逃げた先には、必ず組織の助けがあるはずだ。


「でも、芦原さんがどこに行くかなんて、分かるのか?」

赤城玲司が険しい表情で質問する。彼はすでに芦原を疑う気持ちを持っていたが、逃亡した彼女をどう追い詰めればいいのかは分からないでいた。

「芦原美鈴は逃げる前に『私には捕まるつもりはない』と言っていた。それは、彼女が逃げる場所をあらかじめ用意していたことを意味するはずだ。つまり、彼女は計画的に行動している」

葉羽は確信を持って答えた。芦原が逃亡したのは、突発的な行動ではなく、組織の一部としての役割を果たすための計画的な動きだ。

「彼女が向かった先は、きっと組織の拠点。そこにたどり着けば、芦原を捕まえるだけでなく、組織の全貌を暴くことができるはずだ」

「でも、どこにその拠点があるの?」と藤田茉莉が不安げに尋ねた。

「その手掛かりは、もう僕たちの手にある」

葉羽は再び伊達のメモ帳に目を落とし、ページをめくった。そこには、政治家や企業の名前とともに、いくつかの住所が記されていた。それは表向きには存在しない場所のように見えたが、いずれも都市部に隠されたビルや施設を示していた。

「このメモの中に、芦原が逃げ込んだ場所があるはずだ」

葉羽はその中でも特に目立つ一つの住所に目を止めた。それは、大きなビジネス街に隠れた小さなビルを示していた。表向きは企業のオフィスだが、裏で何か怪しいことが行われている可能性が高い場所だ。

「ここだ……芦原美鈴が逃げ込んだのは、このビルだ」

葉羽はその住所を全員に示し、次の行動を決めた。

「これが最後の罠です。芦原美鈴を追い詰め、組織の正体を暴くために、このビルに向かいましょう」


葉羽は渡辺聡、赤城玲司、藤田茉莉と共に、指定されたビルへ向かう準備を始めた。彩由美は心配そうな表情を浮かべていたが、葉羽の決意を理解していた。彼女はここで葉羽を信じるしかなかった。

「気をつけてね、葉羽……」

「大丈夫、必ず戻ってくるよ」

葉羽はそう言って彩由美を安心させ、仲間たちと共にビルへ向かった。そこには、芦原美鈴と組織が待ち構えているはずだ。


ビルに到着した葉羽たちは、慎重に周囲を確認しながら中に入った。ビルは一見、普通のオフィスビルに見えたが、その静けさが異様だった。エレベーターで上階へと向かい、指定されたフロアに到着すると、そこはやはり企業のオフィスを装っていた。

「ここが拠点だとは、誰も思わないだろうな……」

渡辺が小声でつぶやく。ビルの内部は明るく整然としていたが、どこか緊張感が漂っている。彼らはビルの奥へと進み、芦原がいると思われる部屋へと近づいていった。

葉羽はドアに手をかけ、一度深呼吸をしてからゆっくりと扉を開いた。


その部屋の中で、葉羽たちは予想していたものとは異なる光景を目にした。芦原美鈴が椅子に座って待っていたのだ。しかし、その表情はすでに冷静さを失っており、緊張した様子が伺えた。彼女の前には数人の男たちが立っており、彼らは明らかに芦原を守るためにここに配置されている護衛だ。

「ようこそ、葉羽君」

芦原が静かに口を開いたが、その声には余裕は感じられなかった。彼女が追い詰められていることは明らかだった。

「ここまで来たんだもの。もう、私の秘密を知ったでしょう?」

「そうだ。あなたがこの組織の一員であり、違法な取引に深く関わっていることも、そして鳴海さんと伊達君を殺した犯人であることもすべて分かっている」

葉羽は鋭い視線を彼女に向けた。芦原は苦笑しながら、肩をすくめた。

「結局、ここまで追い詰められるとは思っていなかったわ。でも、残念ね。私一人を捕まえたところで、組織全体を止めることはできないわよ」

「それはどうかな?」

葉羽は静かに答えた。その瞬間、外で警察のサイレンが響き渡り、建物の周囲が封鎖される音が聞こえた。

「あなたの逃げ道はもうない。警察がこのビルを包囲している。組織の一員として、あなたはこれ以上隠れられない」

芦原の顔色が一瞬変わった。彼女は何かを言おうとしたが、その時、護衛の男たちが突然動き出した。彼らは葉羽たちに向かって襲いかかろうとしたのだ。

「危ない!」

葉羽が叫び、渡辺と赤城がすぐに反応した。護衛たちとの激しい格闘が始まる。葉羽は素早く身をかわし、男たちを倒すために全力を尽くした。渡辺もジャーナリストとしての身のこなしを駆使し、素早く相手を倒していく。

赤城は持ち前の力で、次々と護衛を制圧していった。数分後には、全員が床に倒れていた。


「終わった……」

息を切らしながら、葉羽は静かに芦原に近づいた。彼女はもう逃げられないことを悟り、椅子に崩れ落ちたように座っていた。

「あなたは、これで終わりだ」

葉羽の言葉に、芦原は一度目を閉じ、静かに笑った。

「ええ、そうね……でも、覚えておいて。私たちは、ここで終わる存在じゃない。影の中に生き続けるわ」

その言葉を残し、警察が部屋に突入してきた。芦原美鈴はついに逮捕され、葉羽の前に静寂が戻った。


第18章: 静寂の結末


芦原美鈴の逮捕によって、事件は一応の決着を迎えた。しかし、葉羽の心はまだ重く感じられていた。リビングに戻り、事件の全貌を知った全員が、それぞれの思いを抱えて静かに座っていた。鳴海と伊達卓巳、二人の死によって明らかになった巨大な陰謀──しかし、芦原の最後の言葉が葉羽の頭の中に残っていた。

「私たちは、ここで終わる存在じゃない。影の中に生き続けるわ」

「影の中に生き続ける……」

葉羽は芦原の言葉を反芻しながら、組織の完全な解体にはまだ時間がかかることを感じていた。彼らは今回の事件によって一部が明らかになったが、その全貌はまだ闇の中に隠されている。芦原の逮捕は一つの節目でしかなく、真の終わりには至っていない。

「これが……終わりじゃない」

葉羽は静かに呟いた。彼にとって、この事件の解決は一時的なものに過ぎない。組織の全貌を暴くことができなければ、また誰かが同じように命を奪われることになる。

その時、彩由美がゆっくりと葉羽に近づき、優しく声をかけた。

「葉羽……お疲れ様。今は少し休んでもいいんじゃない?」

彼女の言葉に、葉羽は一瞬ため息をつき、彼女を見つめた。

「彩由美、ありがとう。でも、まだ終わっていない気がするんだ。芦原さんが言っていたこと……彼女は確かに捕まったけど、彼女を操っていた存在がまだどこかにいるはずなんだ」

「でも、葉羽がここまでやってくれたことで、多くの人が助かったんだよ。鳴海さんも、伊達君も……きっとそのことを感謝していると思う」

彩由美の優しい言葉が、葉羽の心を少しだけ和らげた。彼は自分が鳴海や伊達の意思を継いでこの事件を解決したことを思い出し、少しずつ自分の役割を受け入れるようになった。

「そうだな……彼らのためにも、僕はこのまま進み続けなければならない」

葉羽はそう決意し、彩由美に感謝の笑みを返した。

その後、警察の捜査が進み、芦原美鈴が関与していた違法な契約と裏取引の証拠が次々と明らかになった。メディアでも大々的に報じられ、社会全体を揺るがす大スキャンダルへと発展した。芦原美鈴の逮捕と共に、彼女を通じて関与していた政治家や企業も捜査対象となり、組織の一部が崩壊していく様子が見えてきた。

だが、それでも葉羽の心にはどこか引っかかるものがあった。芦原美鈴が語った「影の中に生き続ける」という言葉が、彼にとっての終わりを否定していたからだ。

数日後、葉羽は一人で鳴海和夫の墓前に立っていた。冷たい風が静かに吹き抜け、墓石の前には花が手向けられていた。葉羽は静かに手を合わせ、鳴海のことを思い返していた。

「鳴海さん……僕は、あなたが守ろうとしたものを何とか暴きました。でも、まだ終わっていないような気がします」

葉羽は静かに語りかけた。鳴海が残した証拠と、その意志を継いで戦った葉羽。しかし、彼にはまだやるべきことが残っていると感じていた。

「でも、あなたが戦っていたこと、そして伊達君が守ろうとしたもの……それを僕が引き継ぎます。僕は、もっとこの世界の裏に潜むものを暴いてみせます」

葉羽はそう誓い、鳴海の墓前から立ち去った。

数日が経ち、葉羽は学校へと戻った。日常生活は徐々に元に戻りつつあったが、彼の中では今回の事件が大きな影響を与えていた。推理小説が大好きで、常に事件の真相を追い求めていた少年は、今や本物の謎を解き明かす探偵としての道を歩み始めたのだ。

授業が終わった後、彩由美が葉羽の隣に座り、微笑んで声をかけた。

「葉羽、最近ちょっと疲れてるみたいだけど、大丈夫?」

「大丈夫さ。少し考えすぎてただけだよ」

「また事件のこと?」

彩由美の言葉に、葉羽は少しだけ笑い、頷いた。

「そうだね。でも、少しずつ気持ちを切り替えようと思ってるんだ。まだ終わっていないけど、今は少し日常を大事にしたいと思ってる」

「それがいいよ、葉羽。私たち、まだ高校生なんだからね」

彩由美の言葉に、葉羽は安堵の笑みを浮かべた。彼女の優しさが、葉羽にとって何よりの癒しとなっていた。

「ありがとう、彩由美。君のおかげで、今の僕があるよ」

「ううん、葉羽が強いからだよ。私なんて、いつも頼りっぱなしだし……でも、これからも一緒に頑張ろうね」

二人は静かに微笑み合い、学校の外へと歩き出した。夕日が差し込む中、二人の間には少しずつ新たな日常が戻ってきていた。


第19章: 最後の影


事件が終息し、葉羽と彩由美は日常生活へと戻りつつあった。学校での時間はいつもと変わらないように思えたが、葉羽の心の奥にはまだ解けていない謎が残っていた。芦原美鈴が逮捕されたことで、表向きには事件は解決したかのように見えたが、彼女の言葉は今でも葉羽を悩ませ続けていた。

「私たちは、ここで終わる存在じゃない。影の中に生き続けるわ」

「影の中に生き続ける……?」

その言葉が、どこか警告のように感じられた。葉羽は芦原を追い詰め、組織の存在を暴いたが、その背後にはまだ大きな力が潜んでいるという不気味な予感が拭えなかった。

そんなある日、葉羽はいつも通りに学校に向かっていたが、ふと一通の手紙が郵便受けに入っていることに気付いた。それは封筒に何の差出人名も書かれておらず、ただ葉羽の名前だけが記されていた。

「これは……?」

手紙を開けると、中には一枚の紙が入っていた。そこには短い文章が書かれていた。

「まだ全てが終わったわけではない。君が次に挑むべきものは、さらに深い闇の中にある」

その文面を見た瞬間、葉羽の心臓が大きく跳ねた。芦原美鈴の逮捕で事件は終わったはずなのに、この手紙はそれを否定している。まるで、彼をさらなる謎へと導くような内容だった。

「……何だ、これは」

葉羽は手紙を握りしめ、考え込んだ。誰がこんな手紙を送ってきたのか、そしてこの「深い闇」とは何を指しているのか。事件の影がまだ完全に消えたわけではないことが明らかになっていく。

その日、葉羽は学校で彩由美に手紙のことを打ち明けた。

「彩由美、これを見てくれ」

彼は彩由美に手紙を手渡した。彼女は内容を見て驚いた表情を浮かべた。

「まだ事件が続いているってこと……?」

「そうかもしれない。芦原さんは確かに捕まったけど、彼女の言っていた『影の中に生き続ける』という言葉が気になっていた。組織の背後には、さらに大きな何かがあるのかもしれない」

彩由美は葉羽の言葉を聞きながら、不安そうに眉をひそめた。

「それじゃ……葉羽、また危ない目に遭うかもしれないよ」

「大丈夫、僕が気をつける。でも、このまま放っておくわけにはいかないんだ。何かが動き出している気がする……」

葉羽の推理心が再び動き出した。手紙に書かれていた「深い闇」が何を意味するのか、それを解き明かさなければならないという使命感が彼の中で再燃していた。

その後、葉羽は家に戻ると、再び事件の資料を整理し始めた。芦原美鈴に関する証拠、そして伊達卓巳が残した手掛かり。それらを改めて見直し、次に何が起こりうるかを考えた。手紙の送り主が誰なのか、それを突き止めるための手掛かりを探していた。

その時、彼はふと伊達のパソコンに残されていたデータの一つを思い出した。芦原に関する情報の中に、伊達が「ある名前」を検索していたことが記録されていたのだ。

「そうだ……あの名前……」

葉羽は急いでパソコンを開き、伊達の調査記録にアクセスした。そこに残されていたのは、「黒澤」という名前だった。それは、芦原美鈴が関わっていた組織の上層部に存在する人物の一人であり、影の支配者とも呼ばれる人物だった。

「黒澤……」

葉羽はその名前を反芻した。もし黒澤が芦原の背後にいたなら、彼が今も組織を操っている可能性が高い。そして、手紙の送り主も彼かもしれない。そう考えた葉羽は、さらに深くこの人物を調べることを決意した。

葉羽は早速、黒澤についての情報を集め始めた。しかし、黒澤に関する公的な記録はほとんど見つからず、その存在はまさに「影」に隠されているかのようだった。

「黒澤……君がこの手紙を送ったのか?」

葉羽は静かに呟きながら、次の一手を考えた。手紙は明らかに彼を挑発している。そして、次に進むべき道が「さらに深い闇の中にある」ということを示している。

「もう一度、全てを見直さなければならない……」

葉羽は深呼吸し、再び芦原美鈴の事件から次に繋がる手掛かりを探し始めた。黒澤という名前、そして組織の真の支配者。葉羽は、これが単なる犯罪者の追跡ではなく、もっと大きな陰謀の一部であることを感じ取っていた。

その夜、葉羽は自分の部屋で資料を広げ、じっくりと考え込んでいた。静かな部屋の中で、手紙に書かれた言葉が彼の脳裏に何度も蘇る。

「まだ全てが終わったわけではない」

事件は終わったかに見えたが、実際にはまだ続いている。そして、その背後にはより大きな「影」が潜んでいる。葉羽はその影を暴き出すために、再び探偵としての鋭い頭脳を働かせ、次なる手掛かりを追う決意を固めた。

「僕は……次の一手を打つ」

葉羽の心には、再び挑戦の炎が燃え始めていた。まだ見ぬ「黒澤」との対決、そしてさらなる謎が彼を待っている。彼の推理は、さらに深い闇へと突き進んでいく──。

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