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「よい子」は要注意

子どもの頃、「よい子」の自分でなければ両親に受け入れられなかったという経験をすると大人になっても頑張り過ぎたり、良い人を演じてとても疲れやすくなる経験をしたことはないでしょうか。

私は福岡の田舎育ち。両親は大分の超ド田舎の出身。
そして九州には根強く残る「男尊女卑」の家庭で育った私。
そんな両親の元に最初に兄が誕生しました。長男である兄は両親や祖父母、
親戚中の期待を一身に背負い育てられました。

そして次に生まれた私はそれほど可愛がられた記憶はなく。。。
母はいつも兄につきっきりで勉強を教えていました。
それは兄があまりに宿題はしない、学校の授業についていっていないという
理由で。
私はそんな兄を見て、帰宅後はまず宿題。万が一テストで悪い点をとったら
のび太くんみたいにテストを隠す。
そんな風に怒られないように工夫しながら生きてきました。兄や弟は習い事や勉強などするように色々言われていたけれど、私は家の手伝いをするように育てられました。

逆らうと父親の暴力が怖かったことを鮮明に覚えています。
暴力(虐待)と言っても色々ありますよね。
因みに虐待には5種類あり、
・身体的虐待
・心理的虐待
・性的虐待
・経済的虐待
・介護・世話の放棄
私の父親は身体的暴力と心理的虐待が多かったですね。
兄は叩かれたり、蹴られたりしていました。因みに暴力は直接受けなくても、その現場を見ていれば間接的に受けたことになります。
私の父親は過干渉で何でも言うことを聞かないとキレるところがあり、家族みんなが地雷を踏まないようにいつもどこか怯えていたように父親と会話、行動していたと記憶しています。

結局私は兄を見て「してよいこと」「いけないこと」を学び、親が楽だと感じられる子になりました。
親の機嫌を伺い、話相手になり親を笑わせる。
いつも相手に合わせていたので、本当の自分が不在になっていました。
また誰かと付き合う中で、自分が泣いたりすることがありましたが、自分がなんで泣いているのか、怒っているのかにも気づかないこともありました。

大人になっても不機嫌そうな友人、上司、同僚を見ると責任を感じて、機嫌を取ろうとしている自分がいました。
何か嫌なことを言われたり、されてもきちんと「怒る」ことができない自分に気づきました。自分が怒って相手の気分を害したらいけない。。。。そんな思いと、相手が暴力を振るってきたらどうしよう?という恐怖もありました。

そして自分の中の恐怖が勝ち「怒っている自分」に気付くこともできませんでした。
長年自分より親や他人の気持ちには敏感に反応していたけれど、自分の感情は無視してきた結果でした。

「よい子」というのは、そうやって人一倍頑張って、自分の中の何かを犠牲にしていることがあります。
ついには頑張り過ぎて、バランスを崩して体調を壊したり、誰にも会いたくなくなったり、自分はダメだと死にたくなったりすることがあります。

「よい子」を演じるには気力も体力も消費します。
大人になって特定の人に気を遣いすぎたり、自分の存在価値を人の評価でしか感じられなくなります。
他人の評価を得られない時の落ち込みと、評価を得られるまで頑張って身体と精神を壊す。
これが「よい子」の正体です。

今皆さんのお子さんで「この子は手がかからなくていい」とか「この子は私をいつも助けてくれてよい子」と思っていれば、十分気をつけていただきたいです。
「よい子」でなくても愛していることを日々伝えてください。
お願いします。

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