戦う未婚の母
1.父親と戦う
妊娠が分かったとき、私は複雑だった。41歳で初めての妊娠。そして相手は別れた彼。正直「妊娠したのでもう一度やり直しましょう!」なんて言える相手ではなかった。二度と会いたくないと思っていたくらいお互いに理解できない相手だった。一人で育てるしかない。。。私の両親はどう思うだろう?とそれを考えると憂鬱だった。妊娠を疑っていた母親に一番に「妊娠してるみたい」と伝えると、「やっとおばあちゃんになれる!」と喜ぶ母。
なんだか受け入れてもらえたようで嬉しかった。問題は父親。母が「私からお父さんに話してみるね。」とルンルンで私が妊娠したことを伝えに行った。私の妊娠を知った父親は烈火のごとく怒り、「下ろせ!」と言われた。そして「あいつとやり直せ!」とも言われた。私は「無理」とだけ言い残して、父を無視した。娘が未婚で子どもを持つなんて恥ずかしくてしかたないのだ。世間体が命の父親で『俺に恥をかかせるな!』タイプ。
救われたのは産婦人科でのエコー検査で初めて赤ちゃんを見た時に、クリオネのような生物がなんだか楽しそうにクルンクルンと動いて、先生から「心臓の音がしっかりして、大きいね。生きる気満々だね。」と言われたこと。『母親になるんだ』と実感がわき、涙が出た。こんな私のところに来てくれてありがとう!と何度も心の中でつぶやいた。
父親やこんな田舎の噂には負けない。堂々と生きてやる!そう強く誓った。
そして子どもが生まれてから、一番孫をかわいがったのは私の父親だった。
2.ハローワーク職員と戦う
10年働いた会社を辞めて、失業手当受給申請にハローワークに行った。当初退職した理由は妊娠だった。するとまずハローワーク職員が「辞めた理由はこれですか?」と資料の一部分を指した。そこには親の介護と書かれてあった。その瞬間ショックと恥ずかしさで、妊娠したことを言い出せなかった。
当時私は41歳。その職員が間違えてもしかたないけれど、何故辞めたか先に私に聞いても良いのになぁ。。。とも感じた。
その時は「いえ、違います。」としか答えられなかった。
そしてまた別の日にハローワークで失業手当申請に行った。きちんと就職活動しているかをチェックされる日だ。しかし妊娠中の女性を雇う企業もなく、私はとりあえずどんな求人があるかチェックするだけにとどまった。
そんな状況をハローワーク職員に話すと
「妊娠していることが就職できない理由にはなりませんよ!」と言われた。
その瞬間悲しさとショックの感情が一瞬にして怒りに変わった。
「妊娠してても雇ってくれる企業があると思っているんですか?」と言い返した。
「それはあなたの問題でしょう!」とハローワーク職員。
「問題とはどういうことですか?妊娠していることが問題ですか?。」と私。その職員と私のやり取りに周りが注目していた。
すると周りにいた他のハローワーク職員が私とその人のやり取りに『まずい』と感じたのか、私と口論していた職員を「ちょっと。。。」と奥に連れて行ってしまった。結局他の職員からお詫びの言葉を頂き、私は帰ったのだが、その暴言とも取れるような発言をした人が女性職員だったことにもショックを受けた。帰り道『もしかしたら不妊治療しているのかな?』とか『子どもを産めない身体なのかな?』と考えながら帰宅した。
真実は分からないけれど、色んな事情を抱えた人たちがいる。
自分の友人や家族でなければ、思いやりを持って接することが難しい時もある。でもみんな誰かの大切な子どもなんだと改めて思い、強く優しい人になりたいと思った。
3.元彼と戦う
妊娠が発覚する1ヶ月前に彼とは別れた。そんな彼に妊娠の報告をするのが憂鬱だった。責められるに決まっているからだ。因みに元彼はバツ3。
しかし報告義務があると思い、電話した。すると「じゃあ結婚するしかないよ。でもなんできちんと調べて別れなかったんだ。」と責められた。
この人は私が妊娠を知っていたら、別れなかったとでも思っているのだろうか。私は彼がとてもケチで一緒に旅行に行っても、楽しめないのもいやだった。そして妊娠中の私を気遣うことも一切なく、無責任、甘えているなどの誹謗中傷をメールで沢山送りつけてきた。彼は私だけでなく、色んな人に少しでも気に入らないことがあると、SNSを使って悪い噂を流すこともあり、嫌悪感を感じたことも別れた原因の一つだ。そこで思い切って「養育費も要らないから縁を切って下さい」とお願いした。すると元彼が「親権を争うからな!」と捨て台詞。
やっぱり別れて良かったと思えた。彼と一緒にいたら、私は毎日泣いて暮らしていただろう。笑顔で暮らせないことは、赤ちゃんにとってもよくない。
一人で不安はあるけれど、彼と居る方が不安が大きい。
私は一人でこの子を育てるんだと自分に宣言した。
4.自分との戦い
一人で子どもを育てると決めた私。不安要素は沢山あった。幸い実家で暮らせることになり、衣食住は心配なかった。
私の一番の心配は私自身。私は父親がとても細かくマイルールをもっており、それに家族がみんな従わないと怒る人だった。そして過干渉でもあるので、41歳の私にもあれこれ口出ししてくる。因みに過干渉な親に育てられた子どもは自信を失う。ありのままの自分を受け入れてもらえないからだ。良い子または親の思うとおりに振る舞えば認められる。自分の意見や考えは認められない。これはダメな自分(親に迷惑をかける自分)だと受け入れてもらえないんだという経験をすることになってしまう。
いつしか私は自分がいい人、凄い人でなければ受け入れられなくなっていた。劣等感を感じるような発言や振る舞いを受けると、機嫌が悪くなった。そして過干渉な親に育てられた子どもは、過干渉な親になる。その負のスパイラルを私で止めたい。私の子どもには自信をもって自由に生きて欲しいと思った。
私自身は30代半ばから生きづらさを感じて、色んなセミナーや講習会に参加した。しかしながら自分が変わったと思えるのは、セミナー参加後の最初の1週間かせいぜい1ヶ月くらい。気づけばいつもの自分に戻っていた。
そして41歳の時になぜいつもの自分に戻るのか?の謎が解けた。
それは「鏡の法則」を書いたミリオンセラー作家兼ライフコーチ、カウンセラーである野口嘉則さんのメンタルファウンデーションという講座の中にあった。野口さんが「元の自分に戻るのは、パソコンで言うとバージョンアップばかりして、スペックが低いままにしているからだ」という言葉にハッとした。心の器が狭いのに、新しくて良い技術をいくら学んでも受け止められなかったんだと講座で知った。良い母親になりたい一心で、野口さんの講座を1年かけて勉強した。そして初めて自分でも自分が変わったと思えた。
とても生きやすいと感じられるようになった。もちろん完璧に良い人に変わったわけではないが、どんな時の自分も受け入れられるようになっていった。まだまだ子どもに怒り過ぎたり、干渉しすぎたりすることもある。でも自分らしく何度もトライ&エラーをしながら子育てを一生懸命楽しんでいる。初めて自分が頑張っているなと認められたし、自分のことが好きだと思えた。
子どもを怒りすぎて傷つけてしまったと思ったら、「ごめんね。ママに余裕がなくて、つい怒り過ぎちゃった。」「許してくれる?」と謝って、ギューッと子どもを抱きしめる。この繰り返しだ。こんな自分ではダメだと自分にダメだしして、落ち込むこともある。でもそれでいい。自分のペースで子どもから多くを学び、子どもが私から自立するまでは一緒に成長していきたい。まだまだ自分との戦いは続きそうだ。