日本にレッテルを貼らないためには
「八坂神社で鈴振り回す・芸舞妓を無断撮影 京都脅かすインバウンド」
ただ闇雲に外国人旅行者を増やせば良いという話しではないと思います。が、政府はその傾向が顕著かもしれません。
“新型コロナウイルスの感染収束や円安を背景にインバウンドは右肩上がりだ。24年1~4月の累計は1160万人(推計値)に上り、過去最高の19年を上回る。政府は30年に外国人旅行者を19年の倍近い年間6000万人にする目標を掲げる。”
確かにコロナで苦しんだ分、この右肩上がりにかけたい思いはわかります。ましてや、急激な円安に加え、海外投資家も熱い視線を注ぐなか、このチャンスを逃す手はありません。
しかし、あまりにも度が過ぎると、日本は「そういうところ」、「そういう場所」というレッテルを貼られてしまえば、一時の稼ぎ時のために今後、何十年と魅力を損ないかねない事態に陥ってしまいます。
数日前、京都の中心地で外国人の夫婦が自転車を乗っておられたのですが、大きな交差点で赤信号にも関わらず、手を横に出しながら「斜め」に大横断していくのを見ました。
まさか海外ではそれが許されているのか?と一瞬思ってしまったぐらいに戸惑ってしまいました。
ただ京都は自転車走行道路を指定しています。その自転車走行道路に車が駐車しまくっているため、自転車はそれをよけるために右側に移らざるをえず、それが端からみたら、道路の真ん中を走っているとしか見えません。
そんなのを海外の人たちがみたら、そういうものか、私たちはそれに合わせていると言われたら、何も言えないなと思いました。
それから、舞妓パパラッチなるものに驚きを抱きました。
“取り囲み無断でフラッシュを浴びせる舞妓に加え、着物の袖を引っ張って破く、住居までつけ回すといった被害も確認された。”
このSNSがまん延し、むやみやたらに人などを写真に撮るのもはばかられるようになった時代に、写真をとりまくるなんて最後のはストーカーでもあります。
インバウンド、inboundの内、バウンド、boundは制約がある、義務を課された、みたいな意味があるそうです。
それを解放された、とみるのであれば全くの間違いだと思います。
“我慢の限界だ。”
どこまでを許容できるかですが・・
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