スピリチュアルwikiの管理人に出会って
令和5年5月24日現在N県市内の閉鎖病棟にいます。
5年前にスピリチュアルwikiと言うサイトの管理人「さと」と出会ってから、私の人生がおかしくなりました。
彼のせいで最新のテクノロジーの化学兵器を悪用した嫌がらせを受けるようになってしまいました。
今月末に一先ず退院が決まり少し安堵して精神的に余裕が出来ました。散々入院生活中に時間はあったのですが本当に余裕がなくて、電磁波攻撃が続き正直辛く、恨み辛みの中執筆したくありませんでした。
普通の日常生活が送れなくなって、皆と普通に談笑したりテレビを見たり音楽を聴いたりボードゲームをしたりして過ごす他の入院患者さんが羨ましかったんです。
閉鎖病棟内の入院患者の自殺率の高さもありますが、年間3万人の自殺者数を出している集団ストーカーに遭いながら、何とか無事に生き残る事ができました。生存できた記録として病棟の出来事やテクノロジー犯罪に遭った事を書き起すことにしました。
令和5年1月16日に親に1.2日の検査入院と言われて、N県内の閉鎖病棟に入れられました。統合失調症と診断されています。全身に電気風呂を浴びているような電磁場による攻撃で何時間も拷問されたり一時は食事すら難しく、こんな風に記事を書いたりネットも出来ない位酷い状態でした。薬を飲めと服用を強制されて飲まなければ退院出来ないと言われて薬を飲みましたが副作用のアカシジアにより、院内を一日中歩き回って消灯後も歩き回り睡眠時間が連日1.2時間の日が続きました。 電磁波攻撃も相まって睡眠薬を飲もうが眠れなくて、精神的に追い込まれて自殺を何度も考えるほど苦しみました。
私は薬がかなり効きやすい体質で、先生の処方は正直言って分量が多く間違っていると思っています。一時真面目に退院を目指して指示通り飲んでいたら覚せい剤の様にキマッてしまってやたらとハイになってしまい、短期的な記憶が欠落したり文字の読み書きが出来なくなってしまったり、メモは疎か手紙を書くことも出来なくなってしまいました。
そのタイミングで心理検査と言って100から7を引いていく計算やスピード感の求められる少し複雑なパズルや読み方の怪しい若干難解な漢字の読み方などの知能テストを昨晩の給食も思い出せないのに実と父の顔をろくに思い出せなくて計3回に渡り受けさせられました。
正直テスト中だろうとお構い無しの電磁波攻撃と薬の副作用でボロボロの状態で受けましたが、検査結果が出ると初め私の事をいきなり発達障害であり自閉症の疑いがあるなど言っていた主治医も平均よりIQが高い傾向にあると知ると失礼な態度を改め、しっかりした人と言いました。また、障害者手帳をゲットしておくと障害者雇用枠があるから持っておくと便利などと言ったのです。
入院して暫く知らなかったのですが、職歴や学歴など全て把握しているようです。知的障害者の疑いをかけられるような学校に通っていたのを知られてしまって、恥ずかしいです。
その後も先生と何度も話し合いましたが薬の分量は減りませんでしたしこちらの意見は聞き入れて貰えず、薬を調整すると退院まで長引くからと脅しのような発言をされるので何も言えませんでした。恐らくマニュアルがあります。入院当初はレキサルティと言う薬の朝だけの服用だった筈が次第に増え、バルプロ酸トーワなども追加、頭痛(電磁波だから意味無い)や足ムズムズ対策の頓服など朝と晩二回の服用になりました。私のような反抗的な患者はマークされて、ナースステーションに並ぶと他の患者にはしない口内チェックがされるようになり、ちゃんと飲めているか舌の裏まで確認されました。かと言って服用を拒否すると退院が長引くため、ナースと医師の板挟みで苦しみました。熱心なA山と言うベテランナースは私の病室まで来て、薬飲んでるの?と胡座をかいて2.30分も尋問したり、薬の服用をしていないとどうなるか?などクドクド注意をしに来たりもしました。再入院になる、病状が発症時よりも酷い状態になって治療不可になるなど統失の怖さをよくナースや医師に言われました。
ベテランナースのA山さんはオペ室でメスを取り扱う手術室の配属先で扱かれてきた、異色の経歴をお持ちで、面白い仕事のできるナースさんでした。私の事を心配してくれていたのだと思います。
私もアホなので、薬を飲んでいないのをもっと悟られない様にしたらよかったのに演技するのも面倒でヤケっぱちになっていて、ガムみたいに包んではゴミ箱にそのままペッと捨てたりしていました。やっぱり飲んだあとの動作や仕草など行動をしっかり見ているんですね。その辺はやはりプロだなぁと思いました。後ほど猛省し薬を飲んだ様に見せかけて飲んでいたり飲んでいないフリを習得しました。やり方は後ほど書きます。
私は主治医のO医師が兎に角嫌いで、統失患者を捏造し病院の金儲けのためのビジネスで患者を造っていると本人に直接文句言ったりしました。その先生の名前が厄介でまるで政治家みたいなんです。初め私の病室に足を引きずって登場した為、医師ではなく役者であり、都内だったら棲み分けをされるような人物だと思いました。(棲み分けは後ほど書きます。要約すると今後予想される直下型の大地震で精神性が低かったり、不誠実な人物や身体障害者、老人などを東京に集めてまとめて殺してしまおうとしている事です。ノアの方舟でもなければ自分を神様と特別視したスピリチュアルwikiのさとの思想です。)O医師は、ここはK立病院なので(言っちゃった)患者が少なかろうが0人になろうが給料は減らないし僕は困らないと言っていました。医師の面倒な患者やネガティブな側面を見せる患者に対する姿勢が規則的と言うかマニュアル的なところが嫌でした。たくさんの患者を診ないといけないから、患者の精神を守る前に自分の精神を守らないと仕方が無い部分なのかなとも思いました。
本来の退院予定日は4月16日。治療は1クール3ヶ月とされていますが私の場合保護室に入れられた期間があるのと電磁場攻撃が激しくなった為、医師の判断により治療が長引き、魑魅魍魎蠢く人型をギリギリ保っている末期症状者の行く末が南二病棟と言って慢性期病棟へ行かされそうになりました。誰もが恐れています。医師にも何度も行くよう脅されました。
電磁波の照射攻撃による頭痛に苦しみ、ずっとこの様なフードの帽子を被っていました。この帽子を被るとナースや患者さん、医師に心配されて退院がより伸びました。
Amazonで5G電磁放射線防護帽と検索すると出てくると思います。私はこれに更にタオルと電磁場遮断防護布をフードの中に仕込んで使っていました。
物理的に遮蔽する為にフードの中が盛り上がっていて傍から見ても異様でしたが、こうすると電磁波の痛みが2.3割マシになります。
医師やナースや入院患者を説得するために電磁場攻撃など被害に遭った事や、病人ではないと主張して、ここに入るに至った経緯などを理解して貰いたくて説明したり患者さんに話をしたりLINEを聞いたりして本来連絡先交換はしてはいけないんですが、その時は混乱状態でその様な問題行動を起こしました。私の居る急性期の南2病棟は配属されている方がなぜか美男美女が多く、ナースや患者さんが私に嫌がらせをする為の雇われた劇団員やエキストラの様に思い込んでいました。思い込みの内容は私の病室の前で私が出てくるまで他の入院患者さんが待ち伏せをしていたり、私がコーラとカフェラテと男梅のグミが食べたいと思った次の日、テーブルに全く同じ品物を患者さんが並べていたりするんです。
何故私の飲みたい物を真似するのか?と当時は凄く疑問に感じ真似するなと怒っていました。普通に考えて赤の他人が所有物の真似するなんてまともじゃありませんが、それ位に錯乱状態でした。私一人のために役者をわざわざ入院させて人件費やコストなど掛けて、何の為になるのかと真剣に悩みました。私に親しげに話しかけてくる患者は入院しているのではなく通勤だと思っていたんですね。時間になると居なくなるのは病室にいるからではなく、帰宅したからだと思っていました。本人にもエキストラですよね?と聞いたりしていました。そうすると、はい。そうです。と答えるんです。ますます、これら確信に変わったと思い電磁波集団の連中を吊し上げてやると思って裁判で証言してほしいと録音しようとしたり写真を撮らせて欲しいと言ったりしました。こんな物騒な事をしていると保護室行きです。
入院時は支度や準備もさせて貰えず緊急で入院させられ、親にはお金を渡して貰えず所持金がないため病棟内にあるコインランドリーのお金もなかったので患者さんにお金を借りたりしようとしました。私は読んでいなかったのですが入院時のしおりに記載があるようで、物の貸し借りは禁止されていてお金を借りるのもルール違反のようです。
私の状況を知り同情した優しい高齢の男性入院患者さんが居て、1万円札を貸してくれてそれが有難くて凄く感謝したのですが他の入院患者さんに報告するとそれをナースさんに告げ口されてしまい、お金を返しに病室までナースさんと一緒に謝罪へ行きました。
報告するのはとてもアホだと思いますが、言うように指示されました。(この指示や命令と言うのは統失患者さんの症状としてあるあるなのですが、後程具体的に説明しようと思っているのですが中々体験しないと難しいです。)
その後まもなく、当直の医師と複数人のナースがサインをした保護室移動の書類を持ってきて部屋の移動を命じられ、1月18日の夜に保護室に入れられました。とても忌々しい書類なため、当時のことを思い出すため破棄はしてはいないはずですが現在手元にありません。内容としては病棟内の和を乱す恐れのある危険因子を隔離したいと言ったような内容でした。
私はどうしても嫌で拒否しましたが、医療保護と言う入院形態のため医師の指示に従うしかありませんでした。明らかに他の部屋とは違う分厚い防火扉のようなドアで、それも二重になっていて施錠できるようになっています。奥の方にはガラス張りで外側から中を観察できるようになっていて、10cmほど両柱に間が空いていて物の受け渡しができるようになっています。監視カメラモニターが付いているのでナースステーションからは常に監視されています。音声も録音されています。トイレにもカメラが付いているようで、逃げも隠れも出来ないように思えますが入院歴の長い患者さん曰く、死角はあるそうです。私はどうしても嫌で入口で粘りましたがナースに両手を引かれて部屋の奥へ「こっちだよ」と誘導されて、ガラス戸の外側で手を出しているナースに手を握られて、そちらに気を取られているうちに入口のドアがガチャンと施錠されてしまいました。まるでドラマのようだと思いましたが、まだこの時点で周りは役者だと思っています。
部屋には殆ど何も無くて地べたに敷かれた布団のみ、保護室で過ごした期間が一番辛かったです。次の日後から食事をするための、ダンボール組み立てられた机が出てきました。
保護室のトイレは、終わるとナースに来てもらい流してもらいます。その為か独特な臭いがします。これがなかなか来てくれなくて時間がかかります。トイレの水を飲んでしまう患者さんがいるからだそうです。覗き穴が付いていて、外から中の様子を見ることが出来ます。
保護室に居ると水を飲みたくても閉じ込められているので自分で給茶機へ取りに行くことが出来ません。なのでナースコールで毎度呼ぶのですが、忙しいためか中々すぐに来てくれなくて1時間も待たされることがありました。喉が乾いているのに来てくれなくて、生命の危機を感じることもよくありました。またさっき汲んで来たばかりだから水を摂りすぎていると注意されて持ってきてくれないこともありました。水分の摂取量位は好きにさせてくれと思っていました。そういう自由がないところが本当にストレスが溜まりました。
今ではその反動かイオンのネットスーパーを2.3日に一度利用しています。毎回インターホンが鳴ると看護師長さんが取りに行ってくれています。飲み物のペットボトルが重いからやめて欲しいと言われて、ヘルニアかと思いました。(後日詳細書きます。)
保護室の二日目の朝にゾロゾロとナース、医師が10名ほど入ってきて部屋の入口に注射を持ってきました。何が行われるのか、何も知らされていませんでしたが異様だと思いました。
超音波により音とも捉えられないけど、確かに何を言っているのか伝える音声の技術があるのですが、私は散々これに洗脳されたりして苦しめられました。
その時に「逃げて」と言われました。
ピンスポットオーディオと言うそうです。
言われた通りに出口に向かって走ろうとするとナース数名に取り押さえられて腕を捕まれ、筋肉ムキムキのナースS田さんが私の前に立ちはだかり相撲取りのような体勢で抱きかかえられて、そのまま寝具に押さえつけられました。私の腕だと勘違いして担当ナースのH原さんの腕を他のナースが掴むというくんずほぐれつな状態でした。辞めてというとズボンを無理やり下ろされ下着を捲られお臀に筋肉注射を打たれました。処置が終わると、入口の方に主治医が立っていてこちらを笑いながら見ていました。元々薬が効きやすい体質なのもあり、打った後怠くて眠いのに脚はアカシジアの様な症状で落ち着かず最悪でした。次の日まで続きました。身体の節々が痛くて所々にアザが出来てきました。
薬を飲まない患者に対する処置なのだそうです。注射を打たれたくなければ薬を飲んでくださいに、いつの間にか変わりました。お風呂に入りたければお薬を飲んでください、解放時間が欲しければ薬を飲んでください、なんでも薬を飲むことが条件です。
一ヶ月後に主治医が薬の服用を拒否した3週間が勿体なかった、もっと早くにあの注射を打っていればと言われました。
注射の薬の名前を聞いたのですが忘れてしまいました。後でナースに聞いてこようと思います。
因みにムキムキナースS田さんは、あの時のトラウマで拒否反応を示しているのか名前がどうしてもすぐに思い出せないんです。電脳集団に聞くと教えて貰えました。超音波音声で。加害者のくせに自分たちのことをカッコよく電脳集団と言っているのがウケます。S田さんは目まぐるしい躍進を遂げ第二病棟の副看護部長に昇任されました。
私は保護室に3日居ました。本当に新聞が楽しく感じるほど何もする事がなくて、精神と時の部屋と思っています。私の場合新聞も許可されていませんでした。部屋の外に出るための解放時間を解放観察と言って少しずつお願いして30分から1時間、2時間から3時間とそれを数週間時間をかけてじっくりやっていきます。ベッドを入れてくださいと頼んでみたり、雑誌を読みたいです等、許可して貰いできることを少しずつ増やしていきます。すごく忍耐力がつきます。私は電磁場攻撃に耐えながらだったので、もう苦しくて常に精神が極限状態でした。ワザと呼吸を苦しくされたり部屋の中でグルグル歩き回るように脚の指向性を指図されたりしました。部屋にいる閉塞感をより強く感じるようにして来ます。
どの部屋も10cm程しか窓が開きません。定期的に窓の点検に来ます。土日は医師がお休みでナースの人数が少ないため点検に来ます。
退院が近い患者に対して退院後の事を話し合うケア会議と言うのがあるのですが、それが4月12日にありました。父親には退院後、引越しまでの間うちに居ていいと言われたのですが残念ながら義理の母と父、家族仲が悪すぎて入院以来一度も帰ることが出来ませんでした。
一度4月16日に医師から外出許可を貰ったのですが自宅に着くなりタクシーを呼んで隙を見て脱走しました。ですが逃げ出した駅の構内でも電磁波攻撃が続いていて頭が痛くてまともな思考力も奪われてしまい、親と病院からの電話で身体中汗が出てお腹が痛くなってしまって束の間の逃亡劇は虚しく自ら病院へ戻りました。病院からずっと道中も追われ、父親の運転する車内だろうが自宅に戻ってもレーザー照射による痛みは途切れることがありませんでした。
脱走した際、父親にはお前のような気狂いの精神障害者を外に放り出すわけにいかない、警察に捜索願いをだして捜してもらう。すぐに見つかるから大ごとになる前に帰って来いと言われました。
精神疾患患者など治療中の患者が抜け出すと特異捜索人となるようで、警察が本気で探すそうです。携帯のGPSを調べられたり警察に追われる身になりながら、電磁波攻撃を受けながら一日中電磁波に耐えて仕事をするのは難しいと思ったんです。海外へ逃亡するか加害者である電脳集団が追ってこない所まで逃げて特定の住所は置かずホテルなど転々とする生活をするかなど極端な思考に追い込まれていました。
後ほど脱走後の診察の時に主治医には、何故東京へ行かなかったの?意表をついて新潟市内でもいいじゃない、と言われました。私もこの謎の照射がなければとっくに閉鎖病棟の窓から脱走していたと思います。親は私を脅しましたが、主治医曰く特異捜索人でもなければただの捜索願いとなるようです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?