晩年のフレディ・マーキュリーと、ブライアン・メイ
失礼を承知で書きますが、QUEENのある曲を聴いた時、「ブライアン・メイってS男気質なのかしら?」、と本気で思ったことがありました。もっとストレートに言うと、「ブライアン・メイって実は冷たい人なんじゃないの?」と疑っていました。
QUEENファンでない方には、ブライアンの性格なんて知らんがな、というお話なのでここで読む価値がなくなる内容ですが。
QUEENやブライアンを知っている人なら、もしかして同じように思われた方がいるかも?と思って書かせてもらいますね。
◼️「ショー・マスト・ゴー・オン」の高音を病気のフレディに歌わせた
何故ブライアンをそんな風に思ったのかというと、晩年のフレディに対する対応からです。
「ショー・マスト・ゴー・オン」といえば、フレディ存命最後のアルバム「Innuendo(イニュエンドゥ)」のラストを飾る名曲です。ファンには特別な曲ですよね。
この頃のフレディは、病状が悪化し、立っているのも辛いほどで、ただ歌うことだけに精力を注いでいました。
そんなフレディがこんな高音を歌ったのか…と驚くのが「ショー・マスト・ゴー・オン」です。正にフレディの根性と不屈の精神、魂を感じる曲で、うっかり涙が出そうになる曲でもあります。
◆「The Show Must Go On 」Queen
こんな歌詞が何度も登場し、死を前にしたフレディの心の叫びのようでなんとも言えない気持ちになります。
フレディはQUEENのボーカルでいることにこんな覚悟を持っていたのか…と。歌詞の端々に切羽詰まった感情が溢れていてたまらない気持ちになります。
当然フレディが書いた歌詞だろうと思っていたので。
しかし、この曲はブライアンがフレディと相談しながら作った曲なのでした。というわけで、ブライアンの作詞なんですよね。
ブライアンがフレディの気持ちを汲んで歌詞にしたそうですが、根性の曲がった私はこの歌詞を見て、
という、ブライアンのS男っぷりを感じてしまった。(すみません)
そしてこの高音である。この高音もブライアン作である。
立っているのも辛いフラフラのフレディにこの高音を歌わせますかね…?今にも倒れそうな友人に歌わせる曲でしょうか。
ブライアンは後にこの曲についてインタビューでこう話しています。
この言葉を聞いて、フレディがファルセットで歌うでしょうか。
この言葉でフレディのプライドに火がつき、覚悟を決めてマイクの前に向かったのだと思います。普通に歌ってやる!ファルセットでなんか歌うもんか!と。
フレディはぼやきながら、ウォッカをグイッと飲み干してあの高音を歌い切ったそうです。
「あの頃のフレディは歌う楽器になっていたんだ」、とブライアンは振り返っています。
…どうですか?このS男っぷり。
◼️「マザー・ラブ」の歌詞が意味深なこと
続いてはこちらです。「マザー・ラブ」はフレディが最後に録音した曲で、体調が悪い中で収録したため途中歌えなくなり、後半のボーカルはブライアンが引き継いでいます。
こちらはしっとりとした切ない曲で、フレディ最後のボーカルということもあり、自分の精神状態がよろしくない時にはあまり聴けない曲です。(感情移入しすぎ)
こちらもフレディの気持ちをブライアンが歌詞にしています。この頃のフレディは歌詞を書くことすらキツかったのです。
…しかし。
ブライアンS男疑惑は、この歌詞です。↓
この歌詞、直訳すると
ドキッとしませんか?
死を前にしたフレディにこの歌詞を歌わせるのか?とこの歌詞を見た時にゾワっとしました。
根性の曲がった私は、ママの中に戻らせてって、生まれる前に戻りたい、ということを歌わせているのか。
と、ブライアンの超S男っぷりをまたしても感じてしまった。
◼️結論として
しかし、これらの疑惑はすぐに払拭されました。(当たり前)
「ショー・マスト・ゴー・オン」については、フレディを語るあらゆる書籍で、病気のフレディの唯一の望みは「歌うこと」であったと書かれています。
ブライアンは誰よりもフレディの気持ちをわかっていたのですよね。なので敢えてフレディにしか出せない高音を歌わせたのでしょう。
きっとフレディは内心「ちくしょう」と思いながらも、ブライアンに感謝していたのではないでしょうか。最後まで手を抜かずに、こんな高音に挑戦させ続けてくれたことに。
病気のフレディに「病気だから無理しなくていいよ」と諦めさせるよりも、「君ならできるよ」と鼓舞する方が、フレディが喜ぶことをブライアンは知っていたのだと思います。
更に、「マザー・ラブ」の歌詞は、歌詞カードでは、
となっており、この曲を作った背景を語るブライアンは、フレディととても親密な時間を過ごしたと語っていました。
「ママの中へ戻らせて」
は深読みしすぎだったのだ。
ブライアンはフレディから母親への想いを託されて歌詞にしたのです。フレディは少年時代や両親の話をあまりしたがりませんでしたが、ブライアンにはこの時に自分の想いを隠さずに伝えたのでしょう。
ブライアンは、この曲はフレディと向き合って丁寧に作り上げた特別な曲なのだと語っていました。
ブライアンはS男どころではなく、むしろ誰よりもフレディに寄り添っていたのだった。
このことに気がつくまで、しばらくブライアンを冷たい人だと誤解していました。
ブライアン、ごめんなさい。あなたの作った曲が、フレディを今でも輝かせ続けているというのに。