江戸っ子はやるもんだ
『江戸っ子はやるものである』という言葉がある。落語の落ちで「死ぬ最期は、つゆいっぱいひたして蕎麦が食いたい」とあるように江戸っ子は、昔から決められた江戸っ子のルールを好き嫌いに関係なく一生演じる。その姿は滑稽だ。僕の祖父は浅草で鰻屋を営んでいた。子供のころそばをつゆにたっぷりとひたして食べていたら怒られた。頑固で有名な親爺のいる浅草の鰻屋によく訪れた。本やTVでも紹介される店なので、客はうな重を写メするが、「うちはそんな店じゃねえから」と親爺は怒る。「おいしい」と言えば「うちは美味しいもの以外は出さねえんだ」とまた怒る。1年ほどその店にご無沙汰していたので、久しぶりに訪れたその日は少し気まずく、親爺との会話もなかった。会計を終え帰ろうと店の戸を開けたとき、親爺が僕の背中に言った。「おい久しぶりじゃねえか。たまには顔だせ。寂しいじゃねえか」。僕は「おう。また来る」と言って戸を閉めた。親爺の言葉を聞いた僕の目にはくやしいがほんの少しの涙が浮かぶ。江戸っ子をやるってことは少々煩わしいことでもある。
その親爺も今はいない。