Newjeansのみんなが幸せでありますように
ミン・ヒジンが実際に何をしたのかは分からないけれど、わたしは彼女に同情する。SMにいた時代からミン・ヒジンの世界観が好きだった。ネットニュースを読むと、ミン・ヒジンの経歴に「少女時代やSHINeeを手掛けた」とだけあって、f(X)と書いてるところがほとんどないのが悲しかった……。わたしにとってミン・ヒジンのコンセプトが一番ハマっていたのはf(x)だったし、Pink TapeのShadowのアートフィルムは1日に何度も観ていた。
ミン・ヒジンの世界観は、ソフィア・コッポラやペトラ・コリンズの世界観に似ているし、影響を受けているんじゃないかなあと思う。あと岩井俊二の『花とアリス』っぽさも感じる。でも、芸術ってそういうものだ。アーティストはアーティストの影響を受けて、憧れて、自分の好みと混ぜ合わせて、新たに創作するものだとわたしは思う。
しかし、そのやり方に似ているようで全く似ていない方法があって、それがパクリだと思う。パクられた作品からは、本物を観て感じるような、心をわしづかみにされる感覚を覚えない。雰囲気はとてもよく似ているのに、中身がないのだ。
ミン・ヒジンが会見で言っていた、わたしの作品をHYBEがパクったという話は、改めて話さなくても良かったと思う。だってそんなことはファンの目には明白だったからだ。
かつてBTSが学生服コンセプトでカムバしたとき、わたしは頭の中にEXOを思い浮かべた。メンバーの半分がカメラの前に立っているときに、半分は後ろに隠れて交互に登場するダンス(説明が下手でごめんなさい)とか、花様年華のはかなく危うい少年コンセプトとか、すごくSMっぽいなあと思っていた。
ここで宣言しておくと、わたしはArmyだ。BTSのDOPEを観たとき、うっ!うわっ!かっこいい!と思い、一気にファンになった。EXOが下火になっていた頃で、わたしはベクヒョンペンだったのだけれど、テテがベクにそっくりだったのだ……(今はジミン推しだけれど)。それでファンになった(以上、独白でした)。
話を元に戻すと、パクリ、パクられるのがk-popの世界、ひいては音楽業界なのではないかと思う。全く携わったことがない外部の人間がいうのはおこがましいけれど、世の中ってそういうものだ。テレビにしろ、漫画にしろね。そこから何かを見出すのがわたしたちファンで、好きだ!と思ったものを追いかけるのがわたしたちに唯一できることだ。アーティストは厳しい世界で唯一無二のものを生み出そうと苦しみ、必死の思いで傑作を生み出して、私たちファンがそれを支持する。そのループだ。
だから、わたしはミン・ヒジンが好きだ。でもミン・ヒジンの世界観を再現しようとしたHYBEを批判することもできない。だって流行に乗らないと売れないから。それに、わたしたちは何が本物かを見分けることができるじゃないか。ミン・ヒジンの作品がパクられるということは、彼女が本物であるという証だ。
今わたしが心配なのは、Newjeansのみんなだ。昨日アップされたBubble GumのMVを観ていたら、なんだか泣きそうになった。歌手は素材でしかないのか、と。
今は自由がないかもしれないけれど、いつか、みんなが自分のやりたいように好きなことをできたらいいなと思う。管理されることなく、自分で正しい判断をして、でもみんなを頼って、健康に生きてくれたらわたしはそれで幸せだ。たとえNewjeansというかたちではなくても。
そんな感じで、わたしの今の気持ちをここに書き残しました。わたしはk-popが大好きだ。わたしたちに全てを与えてくれるアーティストに、心から敬意を表して。
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