自分の眼で認識できていないものも、この世には存在しています。知らないところで生の営みはたんたんと行われていて、何かの影響を感じた時に、ようやく認識へと変わり、観察することを通してそのものとの深い関わりが始まります。
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Yataの家には大きな古い梅の木がある。最初に家を見に来た時にはあったはずの木が、お借りする頃には何本か切られてしまっていたのだけど、この木はそのまま残されていた。
最初のうちはどこにどんな木が生えているのかわかっていなくて、母が訪ねてきては、どこどこにこんな木があると教えてくれるのだけど、ちゃんと認識するまでに時間がかかっている。そして、それは木だけの話ではなく、家を一歩出ると広がる里山にはたくさんの野草が生えていて、ハサミを手に少し出かけて行っては食べられる草をたくさん持って帰ってくる母が、いつも不思議でならない。
家の表側にある梅の木は2月になると美しく咲いてくれるので、さすがにすぐに認識できてはいたのだけれど、大きくなった梅の実がたくさん地面に落ちている頃、ようやく、「梅は実がなるのだな、そうか、梅干しか、、」と私の知っている世界の梅と繋がったのが2年前。
昨年、大きくなった梅を収穫しようかと梅の木に近づいてみたところ、枝にぎっしりと並ぶ毛虫の列にギョッとした。毛虫と戦わなければ梅干しをつくることはできない。そう認識したものの、毛虫と戦う術を私はもっていなかった。梅の木はあるけれど、梅干しにはなってくれそうにないと早々に諦めた。
今年はなぜか毛虫がおらず、収穫を試みた。3mくらいはある大きな梅の木で、斜面に生えているのもあり、手を伸ばして届く範囲の梅しか取ることができない。まだまだ青くて小さい時に収穫したものは、カリカリ梅と、梅ミツエキスを夢見て漬け込んだ。新聞紙にくるんで数日置いておくと完熟すると教わって試してみたが、4日目にはカビが生えた。しばらくすると、木の上で大きくなった梅が完熟梅になっていた。2度目の収穫。1回目に取りすぎて、ほんの少ししか取れなかったので、梅干しは諦めて、完熟版梅ミツエキスを仕込んだ。
そろそろ、赤紫蘇が育ち始め、梅干しは本当に自然の成り行きでできているのだと知る。塩漬けにしてあるカリカリ梅に赤紫蘇を漬け込んで、さて、初めての梅干しは、どんな味になるのだろう。
来年は、梅の実が膨らみ、熟すタイミングを忍耐強く待ちたいものである。