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我が師は小学6年生

ファインマン・テクニックとは学習内容について、自ら “説明” しながら勉強するという学習法だ。
ファインマン学習メソッドには、以下の4つのステップがある。

  1. 学びたいトピックを決め、子供に教えるつもりで説明する

  2. 理解のギャップを埋める

  3. 理路整然にまとめ、簡潔シンプルにする

  4. 他の人に伝える

学びたいトピックを決め、子供に教えるつもりで説明する

最初に白紙を取り出し、自分はすでに知っている(つもりでいる)が、ほんとうの意味で学び直したいトピックを決め、現在知っていることを全て書き出していく。
その際、小学校6年生くらいの子供に教えるつもりで書く。理解度高いことが前提の大人に教えるわけではなく、語彙ごいに乏しく、(基本的コンセプトや関係性について理解するのに必要な)集中力のない子供を相手にするのだ。
彼らが相手なら簡潔・明確な表現以外は理解されず、難しい言葉やコンセプトを用いた”ごまかし”も通じない。

人は長ずるほどに複雑な単語や流行はやりの言葉を使い、自分の理解不足を隠し、わかっているふりをしたがる。簡潔に、明確にその意味を説明できないのであれば、自分が話していることを実は自分が理解していないということになる。

たとえばある音楽を聴いて「これは抽象的だ」とのみ評する人がいたとしたら、その人はおそらくどこかでその表現を聞いたことがあるから「抽象的」という単語を使っているだけで、その音楽について何も理解していない。

簡潔な言葉で小学6年生に教えるためには、話の中に出てくるいくつかの論点やコンセプトの間にある関係性をしっかりと理解し、その裏にある「なぜ」にも答えられなくてはいけない。

書くことは書き手に、思考を促す。
話の中に出てくるいくつかのアイデアの間にある関係やつながりを簡潔に、そして明確に説明しなくてはならないからだ。

書き始めると、実は様々なことをわかっていなかったことに気づかされる。そして、ペンが止まる。
このステップでは、何がわかっていて何がわかってないかを明らかにすることが目的だから、それで正常だ。

理解のギャップを埋める

次に、子供に説明しようとしたらよくわかっていなかったと気づいた点、単純によく知らない、わからないという点、そういった知識のギャップを埋めていく。

そのためにはすでに読んだ本や、参考にした資料に戻らなければならない。うまく説明できなかったコンセプトや論点を読み返したり、別の本や新たな資料を探す必要がでてくるかもしれない。言葉の定義を調べる必要も、出てくるはずだ。
基本となるコンセプトをうまく説明できるまで、これを繰り返すことになる。

専門用語や流行はやりの言葉を使うことなしに説明することができるようになったら、その人はそのトピックをほんとうに理解したと言える。

あるトピックについて専門用語などを使ってしか説明できない間は、その説明は融通ゆうずうの効かない堅苦しいものになっているはずだ。
説明がよくわからないと誰かに質問されても、すでに使った”ごまかし”言葉で、同じ説明を繰り返すだけになってしまう。

簡潔な単語を使っていれば、それらの単語を組み直したり、他の単語と組み合わせたりして、自分が言おうとしていることを柔軟に説明することができるようになる。

多くの人は、このステップを飛ばしてしまう。しかしそれでは、何かについて知っているというのはただの思い込み、幻想に過ぎなくなる。そのような幻想は、誰かに問いただされた瞬間に木っ端みじんになってしまうはずだ。

自分が何かについて理解できていることと、理解できていないことの間にある境界線を知っておくことが重要だ。たいていの間違いや失敗は、この境界線を知らないことによって生じるのだから。

理路整然にまとめ、簡潔シンプルにする

これまでのステップを踏めば、簡潔に説明された紙が机上きじょうに数枚、置かれているはずだ。ばらばらになっている紙片を最初から最後まで通し、すじだった1つの話になるように整理していく。

ある程度整理できたと思ったら、実際に声に出して読んでみる。その際、曖昧だったり読んでいて自分が混乱したりするようなことがあれば、ステップ2に戻りそうしたギャップを埋めていく。

これを繰り返すことで最後には1つのストーリーとして、他の人に説明できるものになっていく。

他の人に伝える

自分がしっかりと理解できているかどうか確かめるには、他人(友達や知人)に説明してみることだ。
実際に他の人に説明することで、さらなるフィードバックを得ることができる。自分の中の知識のギャップに、気づくこともあるはずだ。

書いたものを読み上げても構わないし、勉強会や講義の形式で説明しても良い。子供の学校やお年寄りの老人会で、ボランティアとして話す機会を作るのも得難い機会だ。

発表の場では、聞いている人達から質問を受けたり、フィードバックをもらったりする。他人ひとがどんなことに興味を持っているのかを知ることになり、それが知識をさらに深め、広げるための良い機会になる。

人は多くの場合、何かを学ぶことよりも他人から頭が良いと思われたいものだ。誰かが何かを説明しているとき、たとえよく理解できなくても、うんうんとうなずいてしまう。しかしこれでは、せっかく学ぶためのチャンスを逃してしまっているわけだ。

政治家がカタカナ言葉や専門語などを使い始めたら、何かをごまかそうとしているのではと、疑ってみるのもいいだろう。
「ワイズ・スペンディング」「サスティナブル」「ダイバーシティ」「メルクマール」「カーボンニュートラル」等々。数年前には、「セクシー」なんてのもあったな。

「SDGs」とか「LGBTQ」とか、英語アルファベットの羅列も怪しいのばっかりである。何が「持続性」で「差別」とはなんなのか、感情論ばかりで物事の本質に、まったく触れていないからだ。
小学6年生にも理解してもらえるよう、ファインマン・テクニックに基づきしっかりと説明してもらいたいものである。

誰にでもわかる既存の言葉で表現できないものは、しゃべっている当人も理解していないか、ある意図をもって隠したい事実があるかの、いずれかじゃなかろうか。

イラスト Atelier hanami@はなのす

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