戦いの歌
今日はアメリカ合衆国のジャズ・ベーシスト、チャールズ・ミンガス(Charles Mingus、1922年4月22日 - 1979年1月5日)の誕生日だ。
生誕102年。僕が彼の音楽を聴きだしたのは亡くなって1年後からだが、そこからでも42年の歳月が過ぎたことになる。
ミンガスが好きかと言えば、「好き」だと即答出来る。でも大好きかと問われれば、答えに窮するだろう。
そうなるのは「好き」の度合いでなく、質に関連する。
的確なたとえか自信はないが、豚骨なり鶏骨なりに様々な香味野菜を加え、しょうゆや味噌のたれでせっかく完成度の高いスープに仕上げながら、最後にうま味調味料を入れすぎて味わいを雑にしてしまうラーメンみたいなものか。
だからと、うま味調味料を頭から否定するわけではない。
街中華が安くて美味しいのは、限られた条件のもとでうま味調味料を適切に使用し、味を調えるからだ。
この厳しいご時世にちゃんと常連さんがついていて、営業を続けられるお店ならたいがいはハズレなしだろう。庶民にとって、これほどありがたい存在もない。
ところがミンガスの音楽は、素材(共演者)も調理(作曲・アレンジ)も、それだけで最上級の料理(演奏)なのだ。これ以上、余分なものが入る余地はない。
ところがミンガスは過剰な「怒り」という調味料、または香辛料をふりかけ、混ぜ合わせてしまう。
「怒り」が彼の原動力なのだから仕方ない。それはその通りで、僕が最初に好きになった『Haitian Fight Song』に関し、ミンガス自身がこう述べている。
迫害に直面した者に向け、自由の勝利への賛歌としてミンガスが書いた傑作である。ベーシストでありバンドリーダーでもあるこの曲は、初期のミンガスの最も不朽の作品のひとつであり、彼にとって古典的な比喩のいくつかがフィーチャーされている。
激しく陰気なソロベースのオープニング、緊急性の高いコールアンドレスポンスの爆発、そして一連の騒々しいブルース風のソロ。
その全てが、「怒れるベースの巨人」に相応しい音楽だ。
ミンガスの生ベースはもちろんのこと、ジミー・ネッパーによるトロンボーンの雄たけびの模写に、当時二十歳の僕はやられてしまった。いま思えばジャズというより、ロックのノリで気に入ったんだと思う。
ところがその頃、まだ客として通っていたジャズ喫茶のマスターが、「これ、ミンガスとしちゃイマイチなんだよね」などと、僕にとっての爆弾発言をしてくれたわけである。
マスターの声は天の声であり、理解しない方が未熟なのだ。これはもっと聴き込まなきゃいかんのだろう。なにしろチャーリー・パーカーもバド・パウエルも意味不明な僕の耳に、「お、コレは」と初めて引っかかった音楽を、速攻で否定されてしまったのだ。自分の感性の鈍さが口惜しい。
というわけで店では二度とリクエストはせず、下宿でこっそり、でも大音量で聴く日々を送ったのだ。
いまにして思えば僕がはまったのはミンガスの本質じゃなく、調味料や香辛料の方だったことが分かる。しかしそれがきっかけとなってジャズの沼に一歩浸かり始めたのだから、ミンガスの『Haitian Fight Song』はやはり、大切な一曲なのだ。
Charles Mingus - bass
Shafi Hadi - alto and tenor saxophone
Jimmy Knepper - trombone
Wade Legge - piano
Dannie Richmond - drums
何やようわからんけど😅 明日に続く
イラスト hanami🛸|ω・)و