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りんご飴、あるいはtoffee apple

どうも。
こりーぬ、です。
初めての方も、また読んでくださってる方も
ありがとうございます。

最近は虎に翼の感想を書いていたんですが、
時間と気持ちがリンクしなくて
そちらは一旦、置いておいて、
今日は食べ物のことを。

つい先日、某所にて
りんご飴を売っているところに
出くわしました。

りんご飴って、お祭りの屋台で
売っているイメージだったので
久しぶりの再会だったの。

実は、りんご飴を買ったのは
小学校低学年以来。
しかも白状すると、
まともに食べたことがなかったりして……

子どもだった私は
夏祭りで美味しそうに見えた
りんご飴を買ったものの
その大きさと食べにくさに
家へ持ち帰り、

お腹がいっぱいだからと
冷蔵庫に入れて。
翌日、表面が固くなりすぎたそれの
周りを舐めるだけで終わってしまい
食べきれず、
また冷蔵庫に仕舞って
そのまま忘れた
というちょっと悲しい思い出
を持っていた。

それから最近は、
初詣に行く神社の屋台で
見かける、
所謂りんご飴、
ではなく、いちご飴とかぶどう飴とか
小ぶりの姫りんご飴を
横目に見つつ、
随分高くなったもんだなぁと
やや感慨深い思いで
神社を後にする。
ということを
もう何年も繰り返していた。

それが偶然、
某所で見かけたりんご飴。
割りばしに刺さった
あの、お決まりの形、
お決まりの大きさ、
お決まりの赤い色。

ここで会ったが百年目!
今日こそ買おうと
小銭と引き換えに手に入れた、
赤い、丸い、つやつやとした
こちらの目を惹きつけて止まない
宝石のようにきらきらと光を受ける甘い珠。

その場で食べてしまおうと思ったけど、
やはり、食べにくそうで、
べたべたとした甘みの欠片を
落としてしまうことを危惧し、
帰宅してから食べることにして
鞄に仕舞った。

帰宅後、食べようとしたら
暑さで周りが溶けかかっていた。
一旦、冷蔵庫に入れて冷やす。
入れたあと、
一瞬過ぎったのは、幼い頃の思い出。

このまま食べるのを忘れてしまうんじゃ
ないだろうか。
いや、でも、
明日は無理だけど、
明後日の朝なら食べられそう、
と、頭の中の予定表に書き入れて
冷蔵庫の奥にしまった。はず、だった。

・・・・・・・、
そして、そうだ!と思い出したのが
それから3週間後。
消費期限はとっくに過ぎていた。

一応、齧りついてみる。
ぱり、とした飴の感触の下に
くしゅ、としたりんごの食感。

いや、これもう、ダメだよね。
諦めて、箱の中に放り投げた。
もう、もう、悔しい。
忘れていた自分のせいだけど
悔しい。
食べ物を捨てるようなことに
してしまった自分にも腹が立った。

私とりんご飴の間には
見えない溝があるのかもしれない。

そんな風に思っていたある日。
偶々JR新宿駅の構内を歩いていたら
見かけたのは、りんご飴の看板。

この後の予定にはまだ時間があると、
迷いなく店に吸い込まれる。

だって、カフェならば
りんご飴をどんな風に食べたって
溢したってなんとかなるはずなのだ!

コーヒーには目もくれず、
というか、
コーヒーの気分じゃなかったので
りんご飴だらけの店内を見まわす。

カウンターに見える
おおきなメニュー表には
見慣れたりんご飴のフォルムに加え
見慣れないもう一つの形態。

それは、シェイクや
生クリームを載せるアイスドリンク
で使うような容器に入る
カットされたりんご飴だった。

要は、食べ歩き出来るりんご飴。
ここは、まるごとを齧るのではなく、
この容器に入ったものを
試したい、
という気持ちがむくむくとして
こちらをオーダー。

椅子に腰かけ、
芯を取って大きめにカットされた
りんご飴を長いピックに刺して
ひと口齧る。

パリッ
シャクシャクシャク
じわっと広がる飴の甘味と
りんごのさっぱりとした果汁が
乾いた喉を潤す。

うん、これが、りんご飴、かぁ。
思えば、これにもう長いこと
恋焦がれてきたのかもしれない。

見目麗しい、赤い艶を放つ丸い宝石。
いつかあれにかぶり付いて
完食出来たら、
幼い頃の私がにっこりするかもしれない。
そんなことを思った。

こちらの「やおりん」さんは
渋谷や鎌倉にも出店済みで、
りんご飴に合うコーヒーを出すカフェ
という形態は新宿が初めて。
場所柄、回転も早くて割と席にも座りやすい。

八百屋さんが作るりんご飴は
とびっきり美味しくて、
しかもカット版なら食べやすいので、
よかったらぜひ。
もちろんテイクアウトもOK。

イギリスやアメリカでは
toffee appleと呼ばれるりんご飴。
coffeeと一文字違いの飴菓子との
マリアージュなんて
ちょっと洒落てる。

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