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8回目の死ぬはずだった日

2作目にて、暗い題名になってしまった。けど、日柄的に今書くしかないから、書こうと思う。また、あの日が来てしまうから。暑くなるたびに想起してしまうあの日だ。

それでは、本編スタートです。


私は、8年前のあの日、死ぬはずだったのだ。
まだ幼かった私の世界の全てが終わってしまったあの日に。
よくある話だ。いわゆる、私は、おばあちゃん子だったのだ。ただそれがちょっと行き過ぎていただけで。
8年前。おばあちゃんがガンであるということを知らされたのは、もうおばあちゃんが余命宣告されていた最初の4月をとうに過ぎた後だった。もう桜は見られないだろう、と言われた日から2年ほど経っていた、らしい。桜って言ってるのに2回は見てることになるし、今はもう夏だが?と思ったことは鮮明に覚えている。まだ当時の私は小学生であったし、死、という概念を正しくは理解出来てもいなかったであろうから、伝えるのはその頃でちょうど良かったのだろう、と今なら思う。当時はなんでもっと早く言ってくれなかったのだろうか、と思っていたが。
自分の祖母の死期が近いことは、肌で感じていたので、それを受け入れるのはかなり早かった。まぁ、そうだよね。最近入院の頻度高くなってるし。それなのに抗がん剤を打つ回数は減ってるもんね。おばあちゃんだって、なんかもう時間が残ってないみたいに、私たちに話すようになってたよ。なんて、思った。
生きることが辛かったわけでも、特段なにか、嫌なことがあったわけでもなかったけど、おばあちゃんの死が近いことを受け入れた、その時に。おばあちゃんが死んじゃうなら、私も死んじゃおう。って決めた。私の世界は間違いなく、おばあちゃん中心で回ってたから、その中心がなくなって、不安定なまま回ることなんて考えられなかったから。生きる意味ってのがわかんなかったから。私の独楽は、一人じゃ回れない。中心の軸はおばあちゃんで、できているのだ。そんなんだから、おばあちゃんの命日は、私の命日にしちゃおう。って短絡的に考えた。それでいて、すごく硬い決意だった。その時から4ヶ月くらい、入院して、病院のベットにおばあちゃんを残して帰る度に、毎日、ずっと、おばあちゃんが死ぬ時に死のう。って、思い続けた。一緒に帰れないなら、ついてっちゃおう。家族を置いていくのは苦しいけど、おばあちゃんと離れるのも嫌だから。私の中で、おばあちゃんが死ぬ日は自分の死ぬ日って、もう確定事項だった。
だけど、私は結局生き残っている。私だけ、生き続けている。あの日、本当は、私の命日でもあったはずのあの日。それはまだ脳裏に焼き付いてる。
きっと、もう今日が最後だって、わかってたんだと思う。夕方だったけど、このまま明日は来ないんだって、感じていた。何度も何度も通っていた、病室の空気がいつもより、ピリピリしてて、暗くて、苦しかった。分かりたくないけど、もう、だめだってこと。そのどうしようもないことから、逃げたくて、逃げたくて。まだ何にも理解出来てないだろう幼い弟と何か喧嘩をして、勢いで泣きながら、病室を飛び出した。
そこまでで記憶は一旦途切れて、再び思い出せる範囲は、病室についている、テレフォンカードで見られるテレビの画面。NHKの教育テレビ、忍たま乱太郎のエンディングが流れていた。そこで、泣きながらおばあちゃんの手を握っている私。泣いて、垂れる鼻水も涙もそのままに、ただありがとう、ありがとうって繰り返してた。この時の私は、死ぬ時は最後に聴覚が残るということを信じて、伝えられるだけの感謝を伝えようとした。あの場に居たみんなが泣いてた。まだおばあちゃんに出会って間もない、いとこのお姉ちゃんの旦那が1番声を上げて泣いてた。短い間しか関わってない人でもこんなに泣かせるおばあちゃんってすごい人だったな、って冷静な頭が言った。ただただ、泣き続けて、私の手のひらに包まれてる手から、指から力が抜けてくのを感じて、その力を逃がすまいと、握る手に力を込めてた。意味はなかったけど。力が抜けたのを感じたら、私の手からも力が抜けて、そのまま全部の力をおばあちゃんが持ってったみたいに、崩れ落ちた。嗚咽で喉が詰まって、鼻もぐじゅぐじゅで。ただ苦しさだけがあった。人の気配がして、顔を上げると、いつの間にかおばあちゃん主治医の先生がいて、ご臨終です、と言った。本当に言うんだなぁなんて他人事みたいに、酸素が足りてない頭で思った。それがあの場所、あの日の最後の記憶だ。
その次にちゃんと覚えてるのは翌日におばあちゃん家に、親戚一同が揃って、みんながお線香をあげてた。おばあちゃんの死を私は認めたくなくて、ただ泣いて、みんなの列が無くなったあとに、1番最後にお線香をあげた。お線香をあげると、死を認めたみたいになっちゃうと思った。だけど、私がお線香をあげないって言うのもなんか違うなって思って、仕方なしにあげた。おじいちゃんに会えた?って聞いた。もちろん返事はなかった。また、苦しくなった。もう、心臓がなくなったみたいに、私の体から何かが足りなくなってた。痛い痛いって叫んでるなにか、が足りない。私を今まで満たしていたものがなくなった隙間を涙が埋めていた。
この日はちゃんと鼻をかんでいた。まだ起きてから3時間くらいしか経ってないのに、私ひとりで、ティッシュの箱が1つ空になった。鼻の下がカサついて、ヒリついた。新しい箱を開けると、おばあちゃんの友達が集まり始めた。まだおばあちゃんが歩ける頃に近所を一緒に回って、おしゃべりした時に、私とも遊んでくれてた人達。みんな泣いてた。やっぱり、みんなに愛されてたなぁってまた、空っぽのとこが痛む。苦しくて苦しくてまた、嗚咽を漏らしながら、涙を流し続ける。
すると、
「なんで私をおいていっちゃったのよ!」
って声が聞こえた。さっき来てたおばあちゃんの友達の中の1人で、隣の家の人だ。それを聞いて、ハッ、と思い出す。ああ、昨日が私の死ぬ日だったのに。置いてかれちゃったのは私もだよ。そう思ったら、またおばあちゃんの死が近づいて来ちゃって、泣いて。泣き続けてる間に時間が経っていこうとしてる。私が死ぬはずの日ってことは、おばあちゃんが死んじゃったんだ。そのことを受け入れないと、私の死ぬ日にはなれない。だから、この世にある思い出を一個一個、持っていこうとした。思い出せることを抱えようとするたびに、宝物を箱にしまおうとするたびに、じとじとした重たい空気が絡みついていた。その重さで私は身動きが取れなかった。その重さに引っ張られて、おばあちゃんのいる天国に昇れないまま、ずっと現世に引き留められた。

これを書いてる今だって、まだ、その宝物をしまいきれないまま、ずっと。あの日に死ねなかったなぁ、と思っている。軸を失ったはずの独楽は、惰性で回り続けていたんだ。けれど、最近では、8回目にして、その日に対する意識が少しだけ変わった。あの日がおばあちゃんの命日じゃない。そういうことにしよう、と。
言っている意味が分からないと思うが、簡単な話で、その人のことを忘れない人がいるなら、その人は記憶の中で生き続ける、っていう話。忘れなければいいのだ。そしたら、死んでないから、生きてるってこと。そういうことにしようって。それに、この理論なら、私が死ぬときに、私の中のおばあちゃんも死ぬ。なら、命日って合わせようとしなくても、一緒になるよね。って。
それでも、最後に握ったあの手の感触をもうちゃんとは思い出せない。私の名を呼ぶ声だってもう、分からない。死ぬときは最後に聴覚が残るって、まだ信じてるけれど、私が最初に忘れちゃったのは、声だなんて。タンスの中から出てきた段ボールの中にあった、残してくれた服に染み込んだ匂いだけが、まだ存在を教えてくれるだけになってしまった。でも、私がその服を着て、洗濯しちゃったらもう、それもなくなっちゃうし、どうせ着なくても、どんどん風化してく。きっともう古着の匂いが混じってる、ニセモノの匂いだし。時が経つのは嫌だなぁ。8年がもう経つんだ。私だって、小学生だったのに大学生にまでなっちゃったの。大きくなっちゃったよ。成人だってもうしちゃったんだ。もう、貴女を識ってる細胞は全部死んじゃった。細胞は、みーんな、入れ替わっちゃって貴女を知ってる私になっちゃったよ。でも、まだ私の中で、貴女が生きてるってことに、してもいいのかな。ダメって言われても、するけど。
貴女が生きていくために、私もまた生きていく。貴女がまだ生きているから、私はまだ、死ねない。


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