見出し画像

「迷ったら任務に立ち返れ」続・現場の自衛官が見た地下鉄サリン事件

 「迷ったら任務に立ち返れ!」

 自衛隊では、よく使われる言葉だ。

 今年は、2024年

 今から29年前の1995年3月20日、地下鉄サリン事件は起きた。

 この事件は、死者14名、重軽傷者6000名以上にのぼる大惨事となった。

 化学兵器にも使用される猛毒サリンを使った、宗教団体オウム真理教による同時多発テロだ。

 当時、サリンを使用した、世界でも類をみないテロ事件は、日本のみならず世界中をも震撼させた。

化学科部隊の装備する「化学防護車」


 「なんだか緊張してきた」

 築地駅へむかう車両の中で、私の向い側に座っているS3曹がつぶやく。

 私は、防護マスクの携行袋を握りしめ頷いた。

 「下車(げしゃ)〜」小隊長が叫ぶ。

 私達は、後部座席のハッチを開け、車両から降り地下鉄入り口へと急ぐ。

発災直後の築地駅周辺のようす

 現場の築地駅は騒然としていた。

 警察官や消防士達が慌ただしく行き交う。

 また、道路には規制線が張られ、関係者以外は立ち入れない状況だ。

 駅入り口付近には、市ヶ谷駐屯地所属の第32普通科連隊の大型トラックが停まっていた。

 その大型トラックは、後部の幌を開けており、中には数人の隊員と除染資材が積まれているのが見える。

除染車3形(B)大規模除染に使用

 大規模な除染をする場合、化学科部隊は除染車を使用するが、地下鉄構内へは、除染車の散布用ノズル・ホースは届かない。そのため、除染剤の容量は少ないが、携帯除染器(背中に背負う)を使用せざるを得ない。

携帯除染器と化学防護衣(写真は本人)

 汚染の規模を考慮し、事故リスクを最小限に抑えるため、必要最低限の人員で対処にあたる。

 そして私以下3名で除染剤の散布を行なうこととなった。

 3月の午後、日ざしはまだあるが空気は冷たい。ゴム製の化学防護衣の中は、汗で濡れ身体は冷えている。

 私達は大型トラックの後方で、携帯除染器を準備し防護マスクを被ろうとした。

 そのとき、片膝をついてうつむいていたS3曹は言った。

 「ちょっと怖くて入りたくないです」

 私は「えッ!」何を言っているんだ!とは思ったものの。私も内心、恐怖と緊張が高まっていた。

 ひとつ間違えば命に関わることもある。

 しかし、自衛官であるいじょう逃げるわけにはいかない。

 防護マスクをもつ彼の手は震えていた。

 どうしたらいいんだ?

 私は自分の手のひらを額へあてる。

 そのとき私の頭の中に、ある言葉が聴こえてきた。

 「迷ったら任務に立ち返れ、迷ったら任務に立ち返れ」と何度も何度も頭の中を駆けめぐった。

 私は「自分たちの任務は何だ?自分たちの任務は何だ?」と自問自答する。

 そして私は、強い口調で彼に言った。

 「お前の任務は何だ〜!」

 彼は、驚いたように私の顔を見る。

 私は続けた「いいか、よく聞け」

 「お前の任務は除染だ」

 「しかもただの除染じゃない、猛毒サリンの除染だ」

 「ひとつ間違えれば死ぬかも知れない危険な作業だ」

 「俺達がやらなくて誰がやるんだ、警察か?消防か?」

 「有毒化学剤の除染が出来るのは、俺達、自衛隊だけだろう」

 私は、ひと呼吸おくと、口調を和らげ話した。

 「今、俺達は歴史的な大惨事の真っ只中にいるんだ」

 「なぜ俺達が今この場にいると思う?」

 「除染だけじゃない。現場をこの目で見て、しっかり記憶にとどめ、後世に伝えていかなければならない使命があるからだ」

 「だから、怖くても行くんだ」

 頷くS3曹に私は「な、俺と同じようにやればいい」

 「大丈夫」と私は彼の肩を叩いた。

 すでに除染準備をおえていたH2曹が、私達のやりとりを見守っていた。

 私は防護マスクを被り「よし、行くぞ!」

 携帯除染器を担ぎ立ちあがる。

 3人は、私を先頭に築地駅構内の階段へと向かった。

地下鉄車内の除染のようす

おわりに

 今回、築地駅突入までの、現場の自衛官がいだく心境や、会話のやりとりを詳しく書きました。また、今後、ほかの場面も書いてみたいと思っています。

 全体の流れを知りたい方は、「現場の自衛官が見た地下鉄サリン事件 加筆Ver.」をご覧ください。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


著 者  宮澤重夫

 平成30年に陸上自衛隊化学学校
化学教導隊副隊長を最後に退官 
 現役時代に体験した、地下鉄サリン事件や福島第1原発事故対処等の経験談を執筆中

主な資格等
防 災 士
第2種放射線取扱主任者
JKC愛犬検定最上級


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?