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現場の自衛官が見た日航ジャンボ機墜落事故

目 次
まえがき
1 事故発生
2 化学科部隊の任務とは
3 劣化ウランの捜索
おわりに

まえがき

 これは私が陸上自衛隊化学科隊員だった頃の事実に基づく体験談であり、物語ではなく、ひとつの情報資料として読んで欲しい。

 自衛隊は、各職種ごと任務が定められており、今回は、化学科部隊を例に上げ、この日航ジャンボ機墜落事故では、どのような行動をしていたのか伝えることとする。

1 事故発生

 「おーい」「作業止め」
 私は、隊舎の外で半長靴を磨いていた。するとそこへ、小隊陸曹が現れ「今から放射線測定器の取り扱いをするぞ」「集まれー」

 1985年(昭和60年)8月12日(月)18時56分、羽田発大阪行、日本航空123便が群馬県上野村付近(通称、御巣鷹の尾根)に墜落した。
 御盆の帰省とも重なり、同機の搭乗者数は、乗員乗客524名、死者520名、生存者4名と航空機史上最大の惨事となった。

 今から38年前、自衛官2年目の私は、なぜ急に放射線測定器の取り扱いを今するのか?

 当時の私には全く解らなかった。

 これは後に、化学科部隊ならではの行動であったことがわかる。

 この時もそうであったが、大きな事件、事故の陰に化学科部隊あり。

 なぜ、化学科部隊と航空機事故が結び付くのか?

 第1空挺団や第12師団の部隊は人命救助の任務にあたっていたのはマスコミの報道でも明らかだが。

 その陰で化学科部隊が行動していたのは、全く報じられていないので、殆どの方は知る由もない。

2 化学科部隊の任務とは

 化学科部隊の主な任務には以下の活動がある。

(1)特殊武器(NBC兵器)により汚染された地域の偵察・除染
(地下鉄サリン事件、鳥インフルエンザや福島第1原発事故対処がこれにあたる。)

(2)煙幕を使い隠蔽等する発煙

(3)大規模火災に対処する対焼夷等がある。

 今回、放射線測定器を準備したと言うことは、何かしらの放射線に関する任務であることは間違いない。

 実は当時の航空機には、機体のバランスを保つため、水平尾翼等にバランス・ウエイトと呼ばれる劣化ウランが搭載されていた。(現在では、タングステンが使用されることが多いようだ。)

 それが、航空機事故に伴い、劣化ウランが飛散してしまう。

 劣化ウラン自体の放射線強度は、それ程強くはないが、それでも直接触れれば人体に影響を及ばさないレベルではない。

 したがって、この劣化ウランを捜索し、早期に回収するのが化学科部隊の任務となる。

3 劣化ウランの捜索

 その日の未明、大宮駐屯地のグランドへ中型ヘリコプターが降りた。

 そのヘリコプターへ、放射線測定器材を積み込み、測定手(化学学校の隊員)を乗せ、暗闇の中へと飛び立って行った。

 ここからは、測定手として現場へ派遣された隊員達からの聞き伝へとなる。

 到着した彼らは、ベースキャンプ(第12師団の支援下へ入ることとなっていた。)を確認し捜索の準備へ入る。

 捜索要領はこうだ。まず、ヘリコプターへ測定器材を取り付ける。

 そして、測定手を乗せ一定の高度・速度で現場周辺を飛行し、その時の地上からの放射線量を計測・記録する。

 そこで、明らかに放射線レベルの高かった場所に劣化ウランはある。

 また、ヘリコプターでの捜索で発見されなかった場合は、複数の隊員が地上へ降りて、放射線測定器を使用して捜索を行うこととなる。

 このように劣化ウランを捜索する訳だが、今回は、ヘリコプターからの捜索で無事発見されたと聞いた。

おわりに

 このように、自衛隊の職種部隊にはそれぞれ役割がある。

 今回は化学科部隊を例に取り上げたが、食事を作ったり、燃料を補給したりと裏で活動し支えている部隊は多い。また、それらが統合することにより大きな成果につながっている。

 御盆の季節が近付くと毎年のように思い出される痛ましい事故。犠牲となられた多く方々のご冥福をお祈りし、今回の記事を終りとする。

 ありがとうございました。

著 者  宮澤重夫

 平成30年に陸上自衛隊化学学校化学教導隊副隊長を最後に退官
 現役時代に体験した、地下鉄サリン事件や福島第1原発事故対処等の経験談を執筆中

主な資格等
防 災 士
第2種放射線取扱主任者
JKC愛犬検定最上級

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