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病院…(幽霊実体験)

何回同じことを言われてもできない人も、一回で覚えてしまう人も、おはようございます!
      柴2猫3ときどき…幽霊です。

 さて前回は死神に会ったというお話しでしたが今回は義父と病院で会った時の事をお話しさせて頂こうと思っています。
義父は昔の人という感じで、50歳で退職しそれからはお母さんにほぼ養ってもらうという生活をしていました。
俺様な人のため、こうと言ったら人の意見など聞かず家族全員を巻き込む感じで生きてきました。
旦那ともあまり折り合いがつかなかったのですが、糖尿病で目が見えなくなった為、長男ということで私達が旦那の両親と住むことになりました。
息子が幼く夜泣きもあった時、泣き声がうるさいといわれました。
リビングには立ち入り禁止にすぐになり、それからは、ここを触るな、ここは閉めるなと御札のようにあっちこっちにメモを貼られ、ほぼノイローゼ状態になったので私は実家に息子を連れて帰りました。一週間に一度だけ旦那に会いに帰ると行った生活を3ヶ月程しました。別れる覚悟でいたのですが、その前に旦那が義父とケンカになり私達を連れ家を出ました。
 そんな人なので会っても話す事もなく、当然息子も懐くこともなく。

肺炎を発症して3回目の時 

病院に入院したと聞いた時にはほぼ危篤状態

駆けつけた私達は状態を聞き、年齢も73歳ということ、糖尿病も発症してずっと家に引きこもっていた為体力もなし

肺も半分仮死しているというので延命はしないという事になった

旦那には4つ下に弟がおり、その弟の態度は前回の家族葬の怪現象の後編で少し書かせて頂きましたが酷いもので

延命して生きててほしいと言う割には、病院からの連絡を全てフル無視をし、顔も見に行かず、いっぱしの事を言い、最後にはヤブ医者だから転院させろと言い、仕事が忙しいと休みの日にも来ない人でした

朝の3時にご家族さん全員病院に来てくだいと連絡がきた

行くと義父の息が荒く、義父の生命力も小さくなり、身体は枝のように感じたので最後だと直感した

お医者様が来て状態を言い、今日が山場ですと言い義母は泣き崩れた

ふと義父の頭の方を見ると、うっすら白い人が…

義父だ…

義父だと感じたので視ていると、義母に色々言いなだめているようだった

先生のとこにスゥ〜っと移動すると先生にペコペコと頭を下げ

そして私達の後ろに移動すると「〇〇ちゃん今までありがとうね。〇〇色々ありがとうな」と私と旦那の名前を呼びお礼を言った

腰が曲がっていた義父は背筋が伸びこんなに背が高かっただろうかと感じた

それから壁を通って消えて行った

きっと今日は来ることはない次男や自分の姉に会いに行ったのだろうと感じた

それが義父の最後でした

人は死んだ時には性格が変わって穏やかになっていると聞いた事があります。私は最後まで涙ひとつ流す事はありませんでした。父が意識のない中、入院中身体から抜け出て家に来た事が何回もありました。その度に、どんなに旦那が両親の事を思っていたのか、立っていると感じたところに向かって大声で説教をしました。

そんな時に説教とはと思うかもしれませんが、息子の気持ちを理解しないまま、あの世に行こうだなんて私は我慢できなかったのです。
オムツの子供を抱え、夜になるまで何時間も時間を潰し悔し泣きをしノイローゼになってしまった当時の私の気持ち…
目が見えなくなった親のことを思い地元に戻ってきて同居までした旦那の気持ち。もう少しで片親になるかもしれなかった子供への気持ち。

 当時別れる覚悟だったのを旦那は薄々気づいていたらしく私を連れて家を出たそうです。今思えば気づいてくれていて良かったと思っています。

最後に義父が旦那にお礼を言ったのでこのお説教も息を引き取った時には終わりにしました。
前回書いた家族葬の怪現象の後編で、旦那の異変を守ってくれたのは反省も込めてなのかと思っています。

    まっ…そんなんじゃ…たらんけどな…

義父が病院で危篤の時も色々ありました。
音が鳴り携帯を取ると画面が真っ暗で着信履歴には入っていない。
だけどその後病院からの連絡がきたなどの事も色々ありました。

そう言えば、携帯でどう考えても分からない怪現象がありました。
どう考えても分からないのです。

それはまた次回…

最後まで読んで頂いてありがとうございます。
いいねをして下さった方には感謝しかありません。

思い出したのですが、2日前に近所の玄関に座っていた茶色いTシャツを着た半パンの人を見かけました。
  胴体1つ…頭が2つ…今もユラユラ座っているのかな?

     柴2猫3ときどき…幽霊 でした。





 

 







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