息子の事を書いてみます
息子が7ヶ月の時に祖父母ゼロになりました。
夫の両親は私と出会う前に他界してたそうです。
私の父は私が7歳の誕生日の1週間後に事故で亡くなりました。
なので息子の祖父母は私の母だけでした。ですが持病があり要介護でした。妊娠がわかった時に私は【育児と介護】と向き合おうと思いました。夫も協力してくれると、私の母を快く受け入れてくれました。そんな母も産まれてくるのを楽しみにしてくれてました。
ですが病は悪化し息子が7ヶ月の時に亡くなりました。
その後1歳になったばかりの時から保育園に預けてました。
「お友達に優しくね」「先生やお友達が困ってたら『何かお手伝いしようか?』って聞いてね」とお喋りもカタコトの時から伝えてました。まだ小さかったので理解してくれてるのかわかりませんでしたが2歳3歳と保育園にお迎えに行くと「今日はこんなことでお友達を助けてくれてました」や園庭で遊んでて虫がたくさんいたときに女の子たちが怖がってたらその辺にあったおままごとの何かを振り回し「大丈夫、俺が守ってあげる」とヒーローだったなどにっこりさせてくれるエピソードが多かったです。
大阪北部地震は息子が年小さんのときでした。その後「次大きな地震がきたら俺が守ってあげるからね」と私をギュ~してくれた数分後の余震で大泣きで私に抱きついてきた可愛い姿にまたまたにっこりでした。
そのご息子が年中さんのとき私が足をケガしてしまい中々治らず半年後に手術しました。
入院しその間寂しい思いもさせてしまいました。
なかなか良くならず卒園式、そして小学校の入学式を迎えました。
卒園式は園側も手術したのをわかってくださり車で行かせてもらえたのですが、さすがに入学式は徒歩で向かいました。
ヒールのほぼ無いパンプスで行ったのですが帰りには限界に近くにペンギンさんのようにチョコチョコとしか歩けませんでした。
そんなとき息子が「鍵かして!」と言うのです。「どしたの?」と聞いても「いいから早く鍵かして!」と少し強い口調で言ったので(お手洗いにでも行きたくなっちゃったかなぁ‥)とカバンから取り出し渡しました。
それから息子は猛ダッシュでかけていきました。数分後息を切らした息子が手に持っていたのは私が日頃履いてるスニーカーでした。
「足痛いのに入学式に来てくれてありがとう、いつもの靴履いて!」と地面に起き手を掴んで自分の肩に乗せ靴を履きがえるよう促してくれたのです。
なんて優しい子に育ってくれたのでしょうか‥
家に着くまでポロポロと涙がこぼれました。
何度も何度も「ありがとう」と伝えると照れくさそうににっこりしてくれていました。
その頃からもそうでしたが3年生になった今でもお買い物袋は息子が運んでくれてます。
牛乳やビールなど水物が入ってて重たくてもよたよたしながらスーパーから車まで、そして車からキッチンまで運んでくれています。
大人になっても今の優しい息子で居てくれるよう願ってます。