見出し画像

設定変更(感じる)

前回、設定変更(あきらめる)について書きました。

今回は設定変更のメソッド

あきらめる

感じる

決める

の中の「感じる」について書こうと思います。

あきらめて絶望した上で、本当はどうしたいか感じる。

ですが。

感じてみよう!とか、みなさん思ったことありますか?
わたしは設定変更に挑戦するまで思ったことがなかったんです。
普通の人は勝手に悲しいとか嬉しいとか感じてて、それで終わりだと思います。
私はそうでした。

が、そこからさらに自分で意識して感じてみるんです。
潜るべきは感情です。

潜るために自分で自分に質問していきます。

なんでそう思ったの?
それは本当?
本当はどうしたい?

質問するとちゃんと自分の中から答えが出てきます。
時にはショックを受けるような答えが出てくる時もあります。
これが本音か〜!となり、私的にはかなり楽しいです。

以前の私は世間の声で自分ができているようなところがありました。
もちろん自分の心を感じながら書くということをそれまでしてなく、最初の頃のノートは今読んでも型にハマっているというか、真面目というか、それは自分の気持ちじゃないよね?こうしなければならないと思い込んでること書いてるだけだよね?といった内容です。

しかし、最近はだいぶ自分の気持ちを見つめながら思ったまま書けるようになってきました。
そうするとだんだん文章もラフになってきます。
どうせ自分しか読まないですし、自分自身と向き合う作業なので肩苦しく書く必要は全くない。
子どもみたいな文章になったり、盛り上がってくるとひらがなで書き綴ったりします。
まさに気持ちにまかせて書くという感じ。

「でもこんなこと思うのは世間的に大人の人間として許されないんじゃないか?」
とか言う思考の声は無視です。
実際にそれを周りの人に言ってしまうわけではなく、ノートの中で自分を見つめるために書いているだけなので思いっきり書きます。


感じながら書くことを意識して思い出したことがありました。

小学生の頃に書かされた読書感想文です。
本を読まされて、それについての自分なりの感想を書かされましたよね。

当時はめんどくさいばかりで、自分の気持ちを書こうみたいな気概はなく、やっつけ仕事だったのですが、今積極的にそれをしている感じです。

どんな出来事にも感想を持ちますよね。
例えばすごく感動的な映画を見て、涙を流したとしてなんでこんなに涙が出たんだろうとか、主人公のどこにそんなに感情移入したんだろう?と感じてみます。

見る人によっては感じ方がそれぞれ。
でも自分自身がすごく心を揺さぶられた。
そこが大事だと思います。

そういったことを繰り返していると自分という人間がわかってきて、よく言われる自分軸ができるということにもつながってくるのかなと思います。

考えるな、感じろ。とはブルース・リーの言葉ですが。
思考でなく感覚の方を大切にしていけるようになると、同じ生活を送る中でも物の見方が変わってきて楽しいですよ。


最後まで読んでいただきありがとうございました。
また遊びに来てください。

いいなと思ったら応援しよう!