ジュリオ 引退に寄せて
ジュリオ(リオンディーズ×ヒストリックレディ) 9戦3勝
デビューまで
この年から一口馬主ピックアップというマガジン?を購入しまして、そこに記載されていたので、予算含めて出資を決断。
およそ2.7倍という倍率を潜り抜けて優先での出資が叶いました。
その後は圧倒的な早さで調教をこなし、1歳末にはすでに15秒を出し、3~4月には入厩、ゲート試験合格。POG本にも大きく記載され、6月東京開催という話が出てくるほど。しかし、5月に深管に痛みが出てしまい、予定は白紙に。そこで大きく馬体重を増やしてしまい、体力づくりから再開せざるを得ないものの、気性面で幼さを見せて行きたがってしまうため、そこまで調教を積めないという問題に(8月の天栄映像は衝撃的だった)。これには後々まで悩まさせる。
それでも何とか8月に入厩まで持っていく。ただ、入厩最初で54秒を切るなど、時計が出すぎてしまう中での調整で、さらに除外で1週遅れてのデビュー戦となった。
各レース振り返り
20/9/21 2歳新馬 中山芝1600m 2着
重賞勝ち馬と調教で互角の動きを見せる馬もいる中での初陣。12番から外々を丁寧に回っていくも、4角でスムーズに進まず、前との差は大きく広がる。ところがそこから直線で一気に伸びる。正直、とても届くとは思えないところだったのだが、一瞬やったかと思わせた。結局ハナ差届かずも、前評判通り力は見せる結果となった。
そこからはいったん放牧へ。天栄では順調に進められ、11月の東京を目標と明言。トレセンでは軽めの調整に終始し、次走を迎えることとなる。
20/11/14 2歳未勝利 東京芝1600m 4着
前走の末脚から東京でさらに良さが出るだろうし、4,5着馬が勝ちあがっているようにレースレベルも担保されていたことから、8kgプラスでも圧倒的な人気に推される。逃げ馬をマークしつつという格好ではあったが、馬群から抜け出そうとせずモタモタ。結局後ろから伸びた馬にも捉えられ4着。1.1倍の複勝すら吹き飛ばした。
あまりに想定外だったのか、テンションを懸念しながらも中1週での続戦を決断。時計は軽かったが、併せ馬に強め調教と変化を加えての臨戦となった。
20/11/29 2歳未勝利 東京芝1600m 1着
競馬界が世紀の一戦に沸く中、渦中のルメール継続騎乗のこの馬。しかし問題は、この間隔でこの調教で馬体重が減らなかったこと。これで1番人気から直前で2番人気に転落した。それでもレースは盤石。内枠だったが、開催最終週で内を避ける馬も多く、馬群がばらけたのも幸い。しっかり伸びきって、後ろの追撃も完封。見事初勝利をマークした。
この後は流石に放牧。深管の痛みの再発、坂路追いを諦めて周回コースでの調整など、いろいろなイベントがありながら春の中山開幕週へ臨むことになった。
21/2/28 3歳1勝クラス 中山芝1600m 1着
平場ということもあり、7頭立てで行われたレース。正直、(なんで2番人気なんだろう?)と思ってしまうほど格が違うと思っていた。レースは好スタートを決めて控えて2番手マーク。スローを読み切っての好判断。後続を0.3差と完封して勝利。このころから、TMの眼から調教の動きが素晴らしいと言われ始めてくる。
その後も放牧。きっちり周回コースで乗り込みをこなして、いよいよ重賞戦線へ。
同厩舎、同馬主、同主戦のアヴェラーレがマイルで連勝していたこともあり、半ば使い分けの格好でアーリントンCへ決まりました。これについて不満を口にする方もいて、その気持ちは分かるのですが。まあ関東馬で輸送のリスクを考えたら牝馬を中山に残すというのは妥当な判断でしょうと。
21/4/17 アーリントンカップ 阪神芝1600m 11着
調教では抜群の動きを見せるものの、あいにくの雨。これがキーになると思われたが、完全に悪い方向に出てしまう。馬群を嫌がる馬がそれどころじゃないほど下を気にしてしまい、前進気勢が全く見られず。力なく流れ込んだだけの11着に終わってしまった。
輸送含め疲れは大きく残り、馬体回復に2か月かかってしまった。そこから調整に入り、8月の松前特別を目指す予定だったが、1800mへの距離延長に対する折り合いの懸念から予定を1週延ばして1500mになる札幌道新スポーツ賞に切り替えることに。もう時効だろうから言うと、実は松前特別なら鞍上が大野騎手に代わる予定だった。それが予定変更でルメール継続騎乗となったのは渡りに船と思われたのだが・・・。
21/8/14 札幌道新スポーツ賞 札幌芝1500m 4着
札幌1500mは2コーナーにかけて直線的に入っていくため、中山1600mと同様にトリッキー、そして外枠不利。前者は勝利経験があるので心配はなかったが、残念ながら8枠に。しかもスタートで大きく躓いてしまい、最後方からの競馬に。札幌のコース形態、向こう正面で誰が見ても分かるレベルの前有利な展開を考えて、早めに進出を試みるものの、さすがにそこまでの力はなく4着どまり。まあ、馬体重は変わらないというコメントがありながら8キロ増だったし、勝ち馬は後に重賞3着になるほどの馬だっただけにまともでもどこまで行ったかは不明。
ここからまたじっくり調整をし直して、東京開催に狙いを定めることに。ここで、ワンペース気味の走りからダート戦を試してみることになる。当初は11/6のマイル戦を予定も、ルメール騎手の継続騎乗を優先して初距離に挑むことに。
21/11/7 3歳上2勝クラス 東京D1300m 1着
レース前から「馬混みが心配」「砂を被るとどうか」と言われ続けての挑戦。それどころか初めてのダートスタートで滑るように出てしまい、最後方からの競馬に。しかし、実践ではこれが奏功。馬混みを避けてレースが出来、リラックスして走れていた。直線ではジリジリと伸びてはいたがとても届かない位置。そこからラスト1F、一気に伸びきっての差し切り。ダート適性は見せたが、それ以外のそころはよくわからない状態で結果を出してしまった。
この後、実は年末にラウンジに行く機会があり、そこで、次走の話に。そこで予想していた通り、東京開催の1400mというおそらくベスト条件に挑むことに。
22/2/6 銀蹄ステークス 東京D1400m 8着
1週前にはファインルージュと併せるなど、相変わらず動きは厩舎内でも抜群。前走の鮮やかさから1番人気に推されることに。今回はスタートを決め、中団内を追走するものの、そこから全く反応せず。過去のレースでいえば2走目を見ているかのよう。馬混みで戦意喪失してしまったか。馬体増も堪えたが、そもそも間隔を詰められる馬ではないだけにレースで引き締めることも出来ない。それが出来るのは調教なのだが。
この後は予定通り次の東京開催を目指すことに。今回は普段から調教量を多めに取ることで進展を図ろうとした。
22/4/24 鎌倉ステークス 東京D1400m 10着
結果的に引退レースになるこのレースでも基本的に中身は前走と同じ。内枠から抜け出そうとせず、まるで風船の空気が抜けていたかのような末脚にとどまった。
ここまでのレースを踏まえて、というより、調教でスムーズさを欠いてしまうことで強い負荷がかけられないことを踏まえて、去勢を行うことに。これが大問題に。麻酔からの覚醒が不十分な状態で起き上がることで、右前脚を痛め、結果的に骨折。北海道に戻ると別の個所の骨折も見つかり、手術へ。
この手術自体は成功したものの、状態が上がってこないまま3ヶ月が経過。ウォーキングマシンで歩様が乱れて、保険会社指定の獣医師(そんなのいるんだ)に見てもらうと、右橈骨手根関節の変形(退行)性関節症という武藤みたいな病名で引退が決定してしまった。
競走生活を振り返って
まずは木村調教師、岩戸調教師、ルメール騎手、ここまで携わってくださった皆様、ありがとうございました。そしてジュリオ、お疲れさまでした。
「新種牡馬リオンディーズの真価が問われる満点配合」と言われる血統含め、騎乗者からの評判含め、能力の高さは感じられるものがありました。特に1勝Cを勝ち上がったときの安定感は目を見張るもの。
しかし、スペシャルウィーク経由の臆病さも引き継いでいて、2戦目の未勝利など、道中の進み方からみてあっさりと凡退することも多かったです。
そして、気性の悪さは普段の調教にもみられていたようで、あまり攻めた調教が出来ず、もともと太りやすい体質もあって、なかなかトップコンディションでは行けなかったよう。
正直、去勢の判断は早かったと思います。ブリンカーなども付けていなかったので。そこは調教でカバーできないのかわからないので何とも言えませんが。