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光陰如矢
11月に入っても暖かい日が続き、富士山の初冠雪の便りも観測史上最遅とのニュースが流れ、日々目にする周りの山々も薄っすらと雪化粧しては戻りの繰り返しだったが、ここ数日の荒れ模様な天候に、着実な冬の訪れを感じている。
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気づけば亡き父の年齢に並んだ自分がいる。
私は父が25歳のときに産まれた子だから、父が亡くなって25年経つのだ。
私が幼い頃には溌溂としていた父だが、40代を目前に病魔に襲われ、それによる股関節の炎症を治療するために入退院を繰り返していた。農家だった父は病魔を克服すべく、幾度もの手術に耐え、機械の力を借りながら農業を続けていた。そんなある日、作業中に意識を失い、救急搬送されたという連絡が届く。
脳腫瘍による意識混濁だったが、当時、高校に入学したばかりの自分にその事実は知らされなかった。
覚えている限りでも開頭手術は3回に及ぶ。亡くなる直前は意識も戻らず、最後に話をしたのは頭蓋内の血種を除去する手術の前。結局、その後のCT検査で脳内のあらゆるところに腫瘍の細胞が転移していたことが判明する。ある日、父を見舞ったとき、目尻に一筋の涙の跡を見つけた。そのときは何とも思わなかったのだが、その夜半過ぎに容体が急変し、息を引き取ったとの知らせが入る。
20年以上にも及ぶ闘病生活の間、父は何を思い、私に何を求めていたのだろうか…最近、そんなことを考えるようになった。自分の後継者となってくれることを期待していたのは想像に難くない。物心つくかつかないかの頃から、そのように自分は周囲に言い含められてきたのだから。ただ、私はその道を選ばなかった。それが正しかったかどうかはわからない。もしかしたら、周囲の期待通りの道を選択した方が賢明だったのかもしれない。
老いた母親の面倒を見ながら、ふとそんなことを考える。しかし、どれだけ考えようとも選択しなかった可能性の話でしかないのだ。
自分も病気やケガで命の危険に晒されたこともあったが、幸いにも生き存えることができた。父の年齢に並んだ今、これからの人生で何をなすべきなのか、明け方の空を眺めながらトラックのハンドルを握り、自問自答する日々である。