2023年8月16日(水) 福岡にて古民家民泊をなさる野元千寿子氏に伺う、生け花と茶の湯からの学び🌏GRアワー🏫ゲストを深堀り共和国🌏グローバル共和国 92

ゲスト:野元千寿子、モデレーター:加藤まみ、サブモデレーター:Yoshie Sakagami、議事録:沼尻淑子 MAX58/87人

【生い立ちから日本語教師になるまで】
1953年生まれ。両親は教員。先祖は小倉の小笠原藩の武士で、江戸末期、長州藩の軍勢が小倉に侵攻し、城に火を放ち城主も家臣も小倉を後にした。いくつもの山を越えて築上町に落ち着いた先祖は、明治時代呉服商を営んだ。“武士は食わねど高楊枝“‘’質実剛健‘’が信条の舅は母に「1日マッチ3本で火を起こせ」と厳命した。母は二人目を出産したがまた女子だったので、私は祖父や父からは「お前が男だったら、、」と言われ、養子を迎え家を守る以外の選択肢がない環境で育った。父や祖父の価値観を形成したのは武士の娘であるひいおばあさんで、連綿と続いてきた武家社会の文化を継承させることがその時代の女性の使命でもあった。
「女だから」と言われるたびに「なぜ?」と思い、五歳ぐらいの時から、現在SDGsでも言われている“ジェンダーイークオリティ “について考えはじめた。 高校時代 “人生とは何か、女性の生き方とは何か、私は何をするために生まれて来たのか“ということを深く考えるようになり、自分の才能を生かす生き方を模索し始めた。大学時代、文法重視ではない英会話の先生に出会い、私もこの先生のようになりたいと思い日本語教師を志した。日本語教育を卒論に選択したら、指導教官の友人が夫の父だった。いくつかの偶然が重なって夫と出会い、親の反対を押し切って結婚。海外生活を通して新しい文化や価値観に触れ、「自分たちにふさわしい生き方」を模索した。夫は自分を理解してくれる生涯の友である。

【海外赴任について】
1984年、夫が会社から外務省出向になり、 UAEの首都アブダビに転勤していわゆる外交官の妻になった。大使夫人の下で公邸のいけばなを担当し、パーティーでおもてなしをした。ある日夫が当時の在外公館のありようを例えて「男は鹿鳴館、女は大奥だな」と言った。当時の海外赴任は男性中心で女性は伴侶として夫を支える立場。内助の功に徹し、目立ってはいけなかった。ある石油会社のGM夫人がお茶とお花の先生をしていたので師事し、お手伝いをさせていただいた。ある日、先生と二人で着物を着てアラブの大金持のお家にいけばなのデモンストレーションに行った。女性だけの集まりで、黒いロングケープの下は煌びやかなドレス姿。身振り手振りを交えた拙い英語で精いっぱいの説明を行った。茶の湯は先生や私が日本から持ってきたお道具にアラブの器などを組み合わせて行った。拙い日本料理を和食器でもてなした。ご主人がシェラトンのエグゼクティブシェフというご夫妻に料理をお出しした時、彼が「これは目が喜ぶ食事だね」とおっしゃった。
ブラジル赴任ではサンパウロ大学で日本語を教え、サンパウロカトリック大学の大学院で応用言語学の勉強をした。卒論がこれからという所で夫に帰国命令が出たので、日本で大学院に入学しなおしたが、母が病気になったため、2年で終わるのが4年かかった。

【日本語教師の仕事】
1976年から日本語を外国の方に教える仕事をしてきた。最初はJICAの東京国際センターで“サバイバルジャパニーズ“を受け持った。タクシー、買い物など日常で使える簡単な日本語表現を場面で教えた。その後いくつかの大学やJETROを経て、大分県別府市のアジア太平洋大学で職を得た。退職後は日本語教師養成講座で教授法を教え、今も無理のない範囲で週2回程度オンラインで教えている。

【いけばなについて】
中学の時、部活動で池坊のいけばなを毎週楽しくやっていた。お正月は松竹梅を生けた。短く切りすぎてしまったことがあった。言われたのは「お花は切られたら死ぬしかない。それ以上の価値を与えなくてはならない。花を活かしきる。お花の命を大切に花器の中で咲かせてあげなさい」それは花を通しての自己表現につながる考え方だと思っている。
アビダビで日本のいけばなを教えたら「随分寂しいわね」と言われたので、「この隙間の空間が大切なのよ」と言った。最初から理解してはもらえなかった。日本の考えや文化を表現して伝えるのは大事だと思う。欧米が価値を置く“空間を作らないフラワーアレンジメントの文化“と“空間を持つことにこそ美があるとする和文化“。その感性の違いを両方楽しめるようになったら素晴らしいと思う。

【おもてなしのお茶について】
中学の時裏千家茶道を習った。足の運び方や帛紗捌きを習い「畳を5歩で歩きなさい」と言われたが、お目当てはお菓子だった。成人してお茶事のお稽古の時、草履の裏をつけて立てかける所を、草履2つを並行に並べてしまったら、次の方も同じようにしてしまったことがあった。先生からお咎めを受けたが、自分だと気付かなかった。また、疑問に思うことを「先生、これはどうしてですか?」と聞いていたら、周りの方から「それはご自分でお調べなさい」と言われどうして質問できないのかと疑問に思った。今師事している先生は理由や理屈をきちんと教えてくださる方。昔に比べていい時代が来ていると思う。ダーウィンの進化論のように、表向きが変化しても大事な中身は変わらない。テーブルスタイル茶道は制約が少なく茶道具は形が似ているもので代用できるので茶の湯のすそ野が広がると思う。お花を飾った心地よい空間で、美味しいお茶とお菓子でいい時間を持てたという気持ちでお帰り頂くことを目標に、コミュニケーションを楽しむおもてなしを重んじている。これからも、相手の立場を考え相手を大切にしながら、目はしを効かせ臨機応変に、節度を保ってお茶一服に心を込めたおもてなしを続けたい。自己ベストを更新していけばいつかは高みに近づけると信じている。

【古民家民泊について】
福岡の実家を拠点に民泊を始めた。駅からも遠いので手頃な値段に設定。若い方が来てくれるようになった。将来はドッグランを併設し、築上町の特産品である菊芋を使ったランチを提供できるカフェもしたいと思っている。家には、父が描き続けた「本庄の大樟」の作品がたくさん残っている。国の天然記念物に指定され、環境省に認定された日本第4位の巨樹。コロナ前はライトアップした大クスの下で室内楽のコンサートをしていた。このオンリーワンのコンサートも復活させたい。

【最後に一言】
「自分にも出来ること」を探しながら活動しています。一番必要としているのはアドバイスをくださる方、一緒に考えて行動して下さる方が今の私に必要な人材です。今後とも応援よろしくお願いします。

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