2024 年 6 月 12 日(水)GR アワー深掘り 防災最新情報!TV でも活躍の主婦目線防災士岡部りえこ氏に伺う、今、すぐに備えておくべき事! 126


ゲスト:岡部りえこさん、モデレーター:加藤まみさん、サブモデレーター:坂上良恵さ
ん、議事録:沼尻淑子

【東日本大震災を経験してから防災アドバイザーに】
今まで個人事業主としてやってきたが、昨年 9 月に、「合同会社 BOUSAILIFE MAP」として法人化しました。
法人化することって、意識にも違いがあって、今までは個人事業主で自分のやりたいことを無理ない範囲でやるようなイメージでした。ところが法人化会社にしたら、会社としての売り上げや、皆さんにどれだけ喜んでもらえることを提供できるか、「お前が日本に対して何が提供出来るのか?」と神様から言われているような気もしてきました。

法人化したのは 60 歳!
この歳からでも何でも挑戦できる。

防災アドバイザーと言っているがこれはそういう資格があるわけではないです。
防災については民間資格である防災士の資格は持っている。

東日本大震災の時に千葉県浦安市は町の 80%が液状化した。マンションの土地が下がっていく経験をした。とんでもないことが起きたと感じた。当時、駐車場で近所の人と話していた。ふと備蓄が何もないことに気づいて慌ててコンビニに行った。水やお茶が全てなくなっていて、ポカリスエットやオレンジジュース、ペプシが残っていた。ジュースの備蓄の話があるけれど、生ぬるいものは美味しくなく、飲めば飲むほど喉が渇いた。

浦安は停電もガスも止まった。でも東北のように家が流されたり、大切な方が亡くなったということはなかった。だからライフラインが使えない生活も耐えていた。そこに自衛隊が「被災地支援」という垂れ幕のトラックが来た時、やっぱり私たちも被災者なんだと思った。

東日本大震災の体験があり、それからライフラインがなくなったらこれだけ辛いということをアメブロで発信し始めた。メルマガ配信も勧められて始めた。次第に政治家やメディアから取材依頼が来るようになった。

主婦目線の防災が必要とされているのを感じた。
子どもを守る母の目線が大事。

【自らの経験を通して日本に役立つ人に】
宮崎の田舎出身で人里離れた所に住んでいた。母子家庭で育てられた。
母は私にいつも「お母さんが 1 人で育てているわけじゃない。母子年金で大きくなった。日本があなたたちを大きくしてくれている、忘れてはいけない」と言われたし、また「日本という国のために何かが出来る人間になって欲しい」と言われて育った。

私は子どもが 2 人おります。30 歳の娘と 28 歳の息子。
28 歳の息子が 10 歳の時大病になって大変な思いをした。「奈落の底に落ちるって感覚」、痛がる治療を受ける子どもに何もしてあげれない。母として無力さを感じた時期があった。

自分ではなく、子どもを失う可能性があると言われた時の失落は相当なものだった。治療費は月額 100 万かかったが、国の難病指定の病気だったので、国が全額補償で治療してくれた。
社会制度がある日本に助けられた。

遺族年金や障害になった時にお金が出る、日本という国はすごい国だと思っている。

この日本で、自分がお役に立てることがあればやりたいと思った。
365 日ずっと防災のことを考えていている。

【能登地震の経験から】
今年 2024 年 1 月 1 日能登地震の時に浦安のイオンモールにいた。ショッピングモールで地震が起きた時に皆慌てていたが、震源地が能登だとわかると、通常のショッピングモールの風景に戻って、皆、再び買い物を始めた。私は元に戻れなかった。「日本でとんでもないことが起きたと、今やるべきことをして片付けて、すぐに身支度をして 4 日から能登に支援に行った。

被災地のテレビを見ている時、みなさん他人事ではないですか?
「大変、かわいそう、募金しなきゃ~」とか思っていますよね?
もちろんそれも大事ですが、なんで自分に起こらないと思っているの?と聞きたいのです。
募金をする前に、「今我が家に起きたらどうする?」「家具は倒れない?備蓄食ある?」など自分の家は大丈夫なのか?をまず考えていただきたいと私は思うのです。
防災でいうと、自分が足りてない所を気付くのが大切。

私で役立つことはこれからもみなさんにお伝えしていきたい。
先日、加藤まみさんが角田寛和さん(ツンさん)をお繋ぎ頂いたおかげで、6 月 16 日から能登のボランティア活動に参加することになった。角田さんに出会えたことは人生の節目だと思っている。

【防災で気をつけるべきこと】
国に財力がない。どこでも災害は起こりうる。手厚い支援が出来るかと言ったらそういう状況ではない。防災にお金をかけ続けられない。

それにいつまでも国を頼っているのでなく、「自分たちが日本という国を守る」という意識を各自が持っていただけることを切に願っている。

防災は、家庭の中で出来ることが沢山ある。
◯皆が在宅避難が出来れば、その地域は防災力の強い町になるのです。
◯助けられるのではなく、助ける側なる。
みなが避難所を当てにせず、家に留まることを選択する。それだけでも国を助けることにつながるのです。そうなったら、行政は、本当に助けないといけない、家を失った方々だけを支援すればよくなる、大規模災害時においても、こういう状況にしていければいい。

今経済が停滞して、元気のない日本になっています。こうなってしまったのは自分たちにも責任はある。

この日本という国、ご先祖様たちが歯をくいしばって命のバトンを繋いでくれた。

非常時のトイレ問題について食べるものは 3 日我慢できる。しかし排泄は半日以内にほとんどの人が行きたくなる。トイレが一番大事。

マンションで震災後排管が壊れているのにトイレを使って、断水していたからお風呂の水で流したら、下の階の天井から汚水が流れたということがあった。震災後水を流すのは管理事務所などの許可があってからにする。

被災した時にトイレをどう衛生的に使うかが大切。簡易トイレセットは男性で最低 5 回、女性 7 回必要。1 回で捨てるのもったいない。凝固剤が入っているので 2 回分まで使用出来る。

水の備蓄について
これから夏場、水の備蓄は 1 人 3ℓ で 1 週間分、家族分用意する。今年の夏は暑くなって、エアコンがないと汗だくになる。以前夏場、私は 1 時間 1ℓ 飲みほしたことがある。夏場は水の備蓄を多めにすることをお勧めする。

ウォーターサーバーは固定出来ればいいが、されてなかったら、「動く凶器」にもなる。
玄関にものをあまり物を置かない。リビングルームで机の下に隠れるというが、耐震性のある建物だったらそれでいいが、木造で耐震化されてない家ならつぶれる可能性もある。耐震化されていない家に住んでいる方は、ケガを覚悟で外に避難することが大切。

マンションについて
7 階以上は高層階になります。特に高層マンションの 10 階以上の階は、長周期波振動で建物全体が揺れる。机の下にいたことで机ごと部屋中を移動して怪我をする危険もある。
高層マンションの場合、避難するのは廊下、廊下に何も置かないでそこに避難 廊下を安全地帯にするのがいい。

【地震からの体験談と教訓】
テレビでアナウンサーが「地震です、地震です、火の元を消して下さい」と言うが、大正時代のものを引き継いでいる。現在、地震時火事
になっているのは、「通電火災」が原因。

能登の鹿町で 5 歳の子が灯油のストーブの上にあった鍋のお湯で火傷を負って、大学病院に行ったが重症ではないと帰されて数日後亡くなってしまった。
やはり同じくストーブの上にかけてあったお湯を被ってやけどした方が何人もいた。台所もふくめて、鍋、やかんなど固定できない。固定していないものは飛んでくるから危ない。今後もやけどは大規模な地震時、病院に行っても治療を受けられない可能性がある。いつ地震がくるかわからない。ガス台に近づいていいかどうかは自分で判断する。

1995 年、阪神大震災の時はブラウン管テレビが落下して、その下に寝ていたお子さんが亡くなった事例もある。今の薄型テレビは固定してなければ飛んでくる。

東日本大震災は海溝型地震で南海トラフも同じ。
首都直下型地震は熊本地震や阪神大震災と同じ直下型地震で突き上げてくる揺れがある。熊本地震では「地震だと思わなかった。近くでジャンボジェット機が墜落したかと思った」と言っている人がいる。熊本で震災後に車中泊をしていて、2 回目の本震で車の天井に突き上げられて鎖骨が折れた人がいる。

防災グッズについて
レビューが信じない方がいい。品質が良くなくっても高いものも多い。コメントくれたら 1 個プレゼントなどあり、いいことをレビューに書いている人がいる。
転倒防止買いました、防災備蓄買いました、買ったけれど使ってなくて星 5 つのものも結構ある。転倒防止器具を、島津製作所の装置を借りて実験をしたが、「震度7 対応」とうたっていても、震度 5 程度で倒れたものもあった。
家具転倒防止器具について、国として基準を設けた方がいいと防災メーカーが省庁に言ったら、「日本国民全員が同じ壁じゃないといけませんね」と言われた。
壁紙や壁の素材が異なるので、メーカーは“震度 7 で大丈夫“と言い切れない。
突っ張り棒はマンョンの長周期の揺れでは役に立たない。壁と家具をシールで固定する“不動王“シリーズはいい。賃貸の人も貼れるが、あまりに頑丈なので引越しの時に剥がすのがとても大変だったことは経験済み。ジェルマットも良かった。

サーキュレーター扇風機は扇風機に充電できて 4 日間稼働する。20,000 ㌂蓄電
できるのでスマホにも充電できる。


美味しい災害時の食事の作り方を教えられる。

【最後に一言】
能登では 3 つのことが出来ていたのが良かった。
①備蓄があった。
②コミュニティがしっかりしている。 調子が悪いかどうか、元気かということをお互いが認識できていた。
③どんな状況でも今、未来を楽しむ。家を置いて、祭りの準備をしている。来月能登町で、あばれ祭りがある。将来に向けて、辛い時こそ楽しいことを見つける力が大切。

私たちが未来にバトンを渡すため、防災備蓄をしっかりしていくが大切。

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