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猫の日。
2月22日は数字に鳴き声を宛がい猫の日なのだそう。他に発祥店の創業日に因みカツカレーの日でもあるらしい。嗚呼…カツカレー久しく御無沙汰だ。最近選び勝ちなタイカレーだと揚げ物はだしなぁと考えていたらnoteに投稿されているめしまとめさん(勝手に御名前を出す失礼をお許しください)に現地ではスープ扱いと教えられ合点する。──猫の方で話を進めよう。因みに今日が猫の日なのは日本だけで世界猫の日8月8日が存在する。比較的最近にも拘わらず日付の理由は不明らしい…後ろ姿かな?
漫ろネット記事読む時はコメント欄まで目を通す。本編より有益な体験や情報が書き込みされている場合が往々にしてある。
立ち別れ いなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰り来む
(因幡へと別れ行く私だけれども稲羽山に在る松と同じ音である待つの言葉を貴方から聞いたならば直ぐにでも帰ってきましょう。掛詞:往なば・因幡・稲羽、松・待つ※私見だが古事記で知られる因幡の兎=飛んで(直ぐ)帰るの意向も含めていたのだろうか)
在原行平の和歌を迷い猫を捜す呪いに使うらしい。方法は諸説あるようだが猫の置き手紙と擬する事は共通している。ねこ主(「御巣鷹時分につき猫の注意請書」に此の猫の飼い主を指す呼称がある。現世の愛猫家は立場逆転を喜々として享受し猫を主としている)が待ち焦がれているから歌に順い帰宅し給えとの願掛け。代替歌を勘案してみる。流刑や出向の後に帰郷(京)した例自体が稀で且つ季節や詠み手不問となると愈々難しい。日本武尊も後鳥羽院も菅原道真公も熱望しながら異郷で果て、帰京した小野篁公、在原業平(平家物語の昔男とは別説有)、西行でも意に適わない。俳句の時代に入ると其れらしいのもあるのだが幾星霜経て歌に託された数多の想いを杖とするのなら矢張り古の歌が良かろう。
旅にありて恋ふるは苦しいつしかも京に行きて君が目を見む(万葉集3136詠み人知らず)
旅先から大切な人を想う側の歌。「いつしか」である処が惜しい。──全国の迷い猫よ、早お家に帰り給え。
猫好きにお勧めの本を一冊挙げておく。「港区立郷土歴史館 特別展 Life with ネコ展」である。残念ながら特別展は令和4年開催・終展。僕は別の特別展で訪い売店で本のみ入手した。遺跡調査、文学、浮世絵等々日本の猫の歴史が凝縮されている。
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説明文には「うっかり歩いてしまった当時のネコの…」と記されているが恐らく猫は解って歩いている。否、絶対意図的に歩いている。而も製作者も「しょうがないな」と言いつつ相好を崩す様がまざまざと浮かぶ。──在庫限りの可能性もあるのでお求めの折は御留意願いたい。又、当該歴史館は(猫は一旦置いておき)港区に特化している分様々な物を少しずつ全部といった松花堂弁当めいた興趣がある。極小水族館在り、電車、化石、浮世絵、戦争の記録、剥製、昭和家電…何でも御座れ!と一日中楽しめる。スタッフさんも皆親切で上品であった。認知度が上がる事を望みながら知られるのが惜しくもある。…この心情、猫好きな三島由紀夫が山の上ホテルに捧げた文章に似ている。「(略)ねがはくは、ここが有名になりすぎたり、はやりすぎたりしませんやうに。」
オマケ:猫の顔した麩「ニャンふル」。買い物の折に見付けた。裏面に其の儘でも食せるとある。目から鱗であった。生麩ならぬ初の生乾麩は軽く食べやすい。然るに猫麩を汁物に浮かべると…当たり前だが倍になった猫が表面を占拠した。猫舌故に忘れた頃に飲もうとすると少し驚く。面白い。元より乾物は重宝であるから常に多少在荷している。検めると使い止しの麩も同じ製造者・(株)常陸屋本舗で表書きに明治10年創業とある。検索すると今風にSNS発信もしながら律儀な作りのホームページである。老舗に胡坐かかない柔軟性が見え好感を持った。