三種の神器とイエス・キリストエピソード2 お神輿と契約の箱
聖書の歴史書に明記されているイスラエル神宝のうち、「アロンの杖」と「マナのつぼ」の2つは、ダビデの子ソロモン王の時代までに、いつの間にか神殿から消え去ってしまい、紛失してしまったことが分かっています。そして北イスラエル王国が崩壊し、南ユダ王国も滅亡する危機を迎えていた紀元前7世紀前後、聖櫃とも呼ばれる「契約の箱」と共に、十戒が刻まれた2枚の石板も歴史から姿を消してしまったのです。これらの神宝の行方に関する記述は、歴史書のどこにも見出せません。こうして3つのイスラエル神宝は全て紛失してしまい、今日までそれらの行方は謎に包まれたままになっています。
紀元前722年、北イスラエル王国が滅びてから間もなくして、日本列島では新たなる歴史が刻まれました。どこからともなく国生みの神々が列島を訪れ、天孫降臨という名目のもとに新しい国造りが始まったのです。そして早くから神威をもつとされる「三種の神器」が大切にされ、その後も皇室によって古来より継承されることになります。さらにはイスラエルの「契約の箱」に酷似した形をもつ神輿なるものが列島各地の祭りに姿を現し、「契約の箱」と同様に移動する際は2本の棒に載せられて担がれたのです。こうして古代、日本では神輿を担ぎながら、大勢の民が神を祝う風習がはじまり、今日まで受け継がれてきています。その姿は、「契約の箱」がダビデ王の指示の元、ダビデの町、エルサレムに移動する際に大勢の民がダビデ王と共に歌い踊り、神を祀った状況と同じであったようです。
日本とイスラエルの宗教文化を見つめ直すと、神輿の担ぎ方をはじめ、三種の神器の存在、衣装や暦の類似点、その他宗教儀式の数々において、多くの類似点がみられます。また、ユダヤ王朝が系図を大切にしながら長年にわたり王系一族の血統を大事にしてきたように、日本でも皇室の家系と血統を大切にする文化が古くから存在します。だからこそ、皇族の血統は長い歴史の中でしっかりと記録され、今日まで継承されてくることができました。これら日本とイスラエルの文化的共通点は、すべては偶然の一致でしょうか。