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悲しんでいる人の幸い

悲しんでいる人の幸い

皆さん。おはようございます。

今日も素敵な一日をお過ごし下さい。

静岡県知事選挙も終わり、静岡も新しい風が吹くことを願います。さてビジネス聖書セミナーシリーズ「自動車王フォード成功の秘密」編の説教が完成して、早速昨日の21時30分のZoom礼拝で披露させていただきました。そして、新たに「きわめてスピリチャルであること」という新しい説教の執筆に取りかかります。私の専門分野ですので今からワクワクしています。

さて、八福の教えの中の、本日は「悲しんでいる人の幸い」についでお話します。前回お話させていただきましたが、八つの幸いについてイエス・キリストが教えられた真理です。私は、これを前半と後半に分割します。前半は、神の見前においてどんな人が幸いなのか。後半はこの世でどう生きるか。を教えておられます。前回は、「心の貧しい人。」今回は「悲しんでいる人たち」です。どちらも幸せな状態には思えませんよね。「悲しんでいる人」は、受け入れることができない状況にあるから悲しんでいるのです。悲しみが悲しみで終わったら、大悲劇です。

この時、人はこの悲しみとどう向き合って乗り越えるのでしょう。

ある人は、自分一人で。ある人は。神と共に……。あなたはどちらですか?

ところで、こんな時、慰めがあるとないとでは大きな違いがあります。

悲しみは慰めによって癒やされます

マタイによる福音書 5:4 口語訳‬
[4] 悲しんでいる人たちは、さいわいである、 彼らは慰められるであろう。

このみことばを、わかりやすく言い換えるなら、

「悲しみの時、神様に慰められる人は幸いです」という表現になります。

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