高野山とイエス・キリストの謎エビソード1
私たちは、日本に初めてキリスト教が入ってきたのは、一五四九年、フランシスコ・ザビエルによってであると教えられてきた。それが親鸞の時代には、ネストリウス派キリスト教(景教)によって、すでにキリスト教の教典が入ってきているという事実です。
高野山にも『景教伝達碑』なるものがあります。
高野山一の橋から奥の院参道に入り、二手に分かれている道を右手にしばらく歩いたところに、それはあります。
まず英文で書かれた『安住家』の供養塔が目に入り、その隣に『大秦景教流行中國碑』と頭に大きく三行に彫られた石碑がある。これが『景教伝達碑』だという。
しかし『中國碑』とあるように、これはもともと中国は西安にあるもののレプリカだという。では、なぜそのレプリカが日本の高野山にあるというのか。
※ネストリウス派キリスト教(景教)が唐に流伝したことを記念する石碑。 781年(唐の建中2年)建立。 発見は明(みん)末で、長安の義寧(ぎねい)坊内あるいは長安近郊の大秦寺(景教教会堂)にあったものらしい。