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渋沢栄一と聖書

渋沢栄一は、キリスト教関連の慈善事業や教会への援助を熱心に行いました。

渋沢が関わったキリスト教団体は、▽万国学生基督教青年会、▽救世軍、▽世界日曜学校大会後援会、▽ハワイ基督教青年会、▽日本日曜学校協会、▽東京基督教青年会館復興建築資金募集後援会、▽サンフランシスコ日本人基督教青年会、▽東京基督教女子青年会、▽日本基督教連盟と多数に及びます。 

クリスチャンではなかったようですが、彼がどの程度聖書に触れたのかは、よくわかっていません。ただ次に述べることは、よく知られた事実です。

彼は、日本の実業家、銀行家として、4回ほど欧米に視察旅行をした経験があります。その中で、1917年に渋沢が、 米国に行った時の出来事が印象的です。彼は当時の米国のデパート王であるワナメーカー に招待されて、フイラデルフイアにあるベタニア教会の日曜学校に参加をします。ワナメーカーはこの日曜学校の校長先生なのです。彼は67年間、日曜学校で奉仕した人物です。ワナメーカーは子供たちに福音を伝え、教育することに使命感を感じ、1920年には「世界日曜学校総裁」に就任しています。実業家としてどんなに多忙であるときも、日曜日には必ず教会に行き、礼拝し、子供達に聖書のみことばを語ります。また彼は祈りの人で、一日を必ず聖書を読み、祈ることから始めて、デパートに「祈りの部屋」を設けました。当時の日本のキリスト教界の指導者である小崎弘通もベテスダ教会を訪ね、ワナメーカーの信仰と教会の霊的な活気に感動して帰国しています。

渋沢は、ワナメーカーに子供達の前で何か話すように頼まれて、話しだし、「私は、孔子の教えを記した論語を毎日読んでいます。私は、儒教もキリスト教も同じだと思います」と語ったそうです。その時にワナメーカーは涙を流しながら、立ち上がり、次のように言ったと言われています。「私は儒教に対して心から尊敬をしています。今、東洋の紳士が、キリスト教も儒教も同じだと言われましたが、私は絶対に違うと思います。その間に根本的な違いがあります。孔子は死んで、葬られました。そしてそのまま眠っています。キリストも一度は死んで葬られました。けれども彼は、よみがえったのです。彼の墓は空になりました。キリストは今も生きています。そうです。現にこの部屋の中に、私たちの中におられます。」 これは、キリストの復活が、キリスト信仰の土台であるという彼の告白なのです。

そしてワナメーカーは、 小さな聖書を高く掲げて、「ここにイエスの言葉があります。これは生ける言葉です。私たちは生ける言葉を、この書物の中に読むことができます。」と腹の底から声を絞り出すように語ったのです。このワナメーカーの涙を流して語った行動に、渋沢栄一は、どのように反応したのでしょうか。1917年のフイラデルフィアの新聞『日曜タイムズ』は、渋沢が米国を去る時に開かれた送別の宴で、「アメリカ滞在中何を最も感じましたか」という記者の質問に対する渋沢の答えを紹介している。

「最も深い印象を受けたのは、フイラデルフィアのあの日曜学校です。ワナメーカー氏が、熱心にキリストを弁証されて、小さな聖書を掲げられたとき、彼が生ける主を慕うあまり、その頰から熱い涙が流れ落ちるのを私が見た時です。」

ワナメーカーが語ったイエス・キリストの復活は、渋沢栄一の心に焼きついたのではないかと思います。イエス・キリストの十字架の死と復活は、キリスト信仰の土台です。聖書は、福音の最も大切なこととして、「キリストが聖書に書いてある通りに、私たちの罪のために死なれたこと、また葬られたこと、また聖書に書いてある通りに、三日目によみがえられたこと」(1コリント15:3-4)を書き記しています。そしてキリストの復活によって弟子たちは勇気づけられ、「イエス・キリストはよみがえられた!」と喜びながら伝えていき、福音が全世界に広がっていった のです。

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