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アントン・ラエウスキー(4)

2016年3月4日 ラジオリバティー:(5,725 文字)

最近、戦友に対する態度も冷めていますね
酔っぱらい、怠け者、ソ連軍のように喧嘩ばかりしていると貴方は言います

ドンバスに行ったとき、機動小銃小隊を直接指揮していたが、LNRの「軍隊」で見たものにはただただ呆れるしか無かった
後方だけじゃなく、陣地内でも、前線でも、ウクライナ正規軍が1キロ先に立っていても、双眼鏡やスコープで完全に見えるし、向こうからも見えるのに、両軍共に酔っぱらいばかりだった
前線で酔っぱらうこともできるし、持ち場を離れて最寄りの売店まで行って、シチューと密造酒を交換し、大麻を吸ったりしていた
いわゆる「プラン(ロシアでは大麻を吸うの隠語)」していた
これは、下級曹士だけでなく、将校の間でも同じだった

地元兵だけでなく、ロシア連邦の市民でもそうだった
おそらく、この状況、膠着した塹壕戦のせいだろう
つまり、ただ6ヶ月以上も塹壕に座り続け、でたらめな射撃と、たまの迫撃砲弾、手榴弾、地雷の爆発
つまり、人々が絶望的になるような攻撃はなく、活発な戦闘行為の段階でもない
人々は彩りのない現実に、アルコールとドラッグの刺激を求めるようになるのだろう

もしかしたら、そうやって正当化できるのかもしれませんが、それが蔓延すると、ひどいことになる
それが違法行為、民間人の殺害、略奪、曹長以上の上司や指揮官の命令に対する不服従の元凶となるのです

部隊の無断離脱や集団脱走が大量に発生しています
これらはすべてのDNR軍や人民民兵に起こっている
ロシア軍の軍事顧問たちがいくら秩序を回復しようとしても、無駄なことだ
現在の「軍隊」を構成している人達が、すべて非社会的人間であるという単純な理由から不可能なんです
2014年のスロビャンスクにいたような思想性を持ったライフルマンや、少なくとも「デバルツェフの大釜」を経験した人たちは、実際にはほとんどいないのです
2014年から2015年にかけて、大雑把に言って、ウクライナやロシアの炭鉱でウォッカを飲みながら生計を立てていた人たちが、軍隊に入ろうと思っただけなのだ
例えば、私のような機動小隊の隊長になれば、以前は3万1,500ルーブルをもらうことができた
ドンバスでは大金だった
だから、金目当てで、兵役に駆けつける人が多いのだ
そのような人たちが、金のために死ぬはずがない
最初の脱走兵になるか、ウクライナ軍に寝返ることになる

多くの人と話をした
人々は、誰のために戦うかなどと気にしておらず平和を望んでいた
民間人だけでなく、軍人も同様だった
彼らは、給料を貰えればそれで良かったんです
「ノボロシア」の思想、民族解放戦争の思想は、簡単に言えば「クソ」です
ウクライナ側からもロシア側からも嫌われている人たち、誰も雇ってもらえない人こそ、どうぞ、DNRとLNRの軍隊に行ってください、そこで必要とされています
あらゆる罪の前科者、強盗、そういう人たちがLNRやDNRの軍隊に従軍し、ある種の「ノボロシア」のために戦う…馬鹿げてる
彼らは犯罪者で、「ノボロシア」のことなど気にもせず、略奪し、人を殺すだけです
そんな人たちに出会ってしまったのです

彼らと喧嘩したこともあるし、カラシニコフを向けられ、殺すぞと脅されたことも一度や二度じゃない
部下に襲われ、体を傷つけられ、殴られ、さらに射撃場では、酔っぱらいの武装を解除するためにサブマシンガンを取り上げ、顔を殴るという結構な事件までやった
酔っ払った男が、射撃場であちこちに乱射し始めたんだ
「何やってんだ、このバカヤロー」と言ったら
「ここは射撃場だから、射撃の練習をしてるんです」
そして「リスを見つけた」と言ってさらに撃っていた
誰も死ななかったのはラッキーだった
私はサブマシンガンを取り上げ、ウラル(トラック)の運転手の一人に渡して見張らせた
しばらくして、中隊の勇士たちが森の空き地から帰ってきた
そいつらもシチューを食べて、ウォッカを飲み過ぎていた
私が殴ってサブマシンガンを取り上げたことを知ると、「ネメツ(アントンののあだ名は「ネメツ」だった)、なぜサブマシンガンを取り上げるんだ、さっさと返せ、さもなければ殺すぞ」と言ってに睨みつけてきた
怖かった、酔っ払いの下衆、クズ...
あれは軍隊じゃない
トラクターの運転手でもなく、鉱山労働者でもない、ある種の落ちこぼれの家畜だ
襲いかかってきて、殴り始め、殴られ、機関銃を向けられ、笑われた
それで誰かが懲戒処分を受け、法律で有罪となり、誰かが軍隊、DNRの軍隊、LNRの軍隊、人民の民兵、それを何と呼んでもいいのですが、そこから追い出されたか?
そんなことはなかった
せいぜい朝まで檻の中に閉じ込めて酔いを覚まさせる程度で、それ以外の罰はない
それが士官を殴った罰だ
もし、私が殺されていたらどうなっていただろう?
何も起こらず、ただ「ウクライナ兵の流れ弾で勇者として死んだ」と墓に書かれるだけだっただろう
それだけで、何も無かったことになる
そこで何が起きているのか、本当に怖い

人を殺しても罰は当たらない、それがあそこの秩序です
だから、あんな家畜と一緒に戦争してはならない
いい加減にしろよ
もういい加減、うんざりだ
頼れるのは自分だけ、自分のマシンガンだけで、誰も頼れない
彼らと一緒に偵察に行くなんて、もってのほかだった

どうやってDPRでの将校になったのですか?将校になったきっかけは?

マチェーテ大隊長と初めて会ったのは、デバルツェフに到着した初日だった
指揮官室にはマチェーテ大隊長だけでなく、灰色の枢機卿(「黒幕」)、正規軍の大隊長であるロシア軍幹部がいた
DNRとLNRもどちらも軍の大隊長はロシア軍人幹部たちだった
「人民たちの司令官」についてメディアが流しているのは、ニュースを作る企業のために用意された情報だ
実際には、「人民たちの司令官」の後ろには、ロシア軍幹部という灰色の枢機卿がいた
私たちの戦闘員「マチェーテ」のオフィスにも、一人のロシア軍幹部がいて、直接命令を下す本物の大隊長だった
この二人の指揮官たちから、機動小銃の小隊長にならないかと誘われた
しかも、ただ誘われたのではなく、強く勧められた
「アントン、そうそう、あなたはスラビヤンスクで資格を得て、ロシア軍の軍人で、チェチェンでの軍事作戦にも参加している
あなたは機動小銃の小隊長にふさわしい
軍事作戦への参加経験があり、軍隊とはどういうものかをある程度理解している
有能な指揮官が本当に必要なんだ」

そう言われて機動小銃の小隊長代理に任命されました
2ヵ月後、共和国から一等兵の中尉に昇進する辞令が下りました
そうして中尉の肩章をもらい、本格的に機動小銃の小隊の指揮を執ることになったのです

振り返ってみると、この昇進は我々の軍からだけの発案ではなかったようです
勘違いかもしれませんが、私のこの軍歴は連邦保安庁(FSB)から授与されたもののように思われます
2015年7月にルシッチのアレクセイ・ミルチャコフが部下たちと共に去り、多くの意欲的な者たちも去り、モズゴヴォなど多くの指揮官が撃たれ、意欲的なロシア人はほとんど残ってなかったのです
ノボロシアの考えを広め、観衆の目を引き、ロシアのための戦争だと思わせるための、人気タレントが必要だったんだろう

アレクセイ・モズゴヴォ:ルガンスクの主要人物。2015年5月に死亡。

私が中尉の階級を与えられたのには裏があるようなのです
考えてみてください
私はナチスです
それが突然、士官という軍人の階級と、機動小銃の小隊の司令官の地位を与えられた
それには裏があるはずです

2014年、アンチ・マイダン革命の抗議活動をするアントン

あなたの意見やタトゥーについて、彼らはどう感じていたのでしょうか?

2014年から2015年にかけて、自分の考えを訴えるキャンペーンは何もしていない
アーリア人の敬礼だってやってない
宣伝もしていない
チラシを貼ったりもしてない
そのようなことは無かった

このように、誰も煽っていないので、私に対しては、どちらかというと誠実な態度だった
地元の人たちからは丁寧な扱いを受けました
控えめに言っても、時には丁重すぎる扱いをしてくれました
当時はヒトラーの入れ墨をしていたから、ナチやファシストのために働いているかもしれない、SBUのために働いているかもしれない、秘密スパイやAFUのエージェントかもしれない、と言われてもおかしくなかった

特に2015年、反社会的な前科者、新入りの家畜が言ったことが面白かった
「なぜ鉤十字の刺青があるんだ?」
「お前は何の罪で刑務所に入ったんだ?」
「俺は刑務所に入ったことは無い
俺は国士だ
それで、あんたはファシストだ
こんなとこで何をしているんだ?
なぜウクライナ軍のエイダル大隊に入って戦わない?」
私は自分がロシア民族主義者で、ノボロシアのため、ロシア人のために来たと説明しました
すると
「何がロシア人だ、俺たちはウクライナ人だ
ノボロシアって何だ?
おれたちはロシアからもウクライナからも自立して生きていきたいんだ」
と言い返されたんです

こういう人もいました
「連合に賛成、連邦制に賛成、でもロシアに住みたいとは思わない」
こんな意見すらもあった
「なぜロシア人がここに来たんだ?
お前がいなくても大丈夫だ、控えめに言って、お前たちを引き裂いてやる」

完全に狂ってた
彼らがロシア人の幹部を引き留めて、ウクライナ軍に対して攻勢をかけ、キーウに到達するのが阻まれていると、多くのロシア人はそう考えてたんだ
ロシア人はそんな神話を信じているんだ、ばかばかしい

ロシア軍の装備はゴミ箱行きになり、違法行為と、酔っぱらいしかいないのに 、ウクライナ軍に対して攻勢に出て、局所的ではなく、戦略的にも勝利する準備ができると本気で信じている人たちがいるのだ
本当に面白い

彼らは私を慎重に観察してました
私がロシア人志願兵で、士官の階級で、このような不寛容な刺青をしていたので、注意深く扱ったのでしょう
私が禁酒令を出せば、ウォッカを取り上げて司令部に引き渡し、懲戒処分を要求することもできました
そういうことを考えれば、私は彼らにとっては良い指揮官ではなく、悪い司令官だった
このようなことから、私はこの戦争に対する考え方を改め、退去を余儀なくされたのです
理想のために、この有象無象と争うのが馬鹿馬鹿しくなったのです

あなたは厳格な禁酒主義者ですか?

いいや、もちろんそんなことはない
ビールも好きです
ただ、ウォッカはあまり飲めない
タバコを吸うし、健康志向とは言えない
しかし、敵との接触線上の戦闘態勢で酒を飲むのか?

暴飲暴食して、1日中飲んで、酔いを覚ます
休暇が必要なら遠慮なくいってくれていい
でも、一日中酒を飲んで、仲間にも飲ませて酔っぱらう
そういうのはやめて欲しかった
この点について、人事との共通認識が得られなかった

地元の住民たち、民間人たちは、あなたの軍隊をどう感じていたのでしょう

最初は応援してくれていても、略奪された後、彼らは失望したのでは?

DNRとLNRの軍隊に対する地域住民の態度は、控えめに言っても大きく変化した
当初はクリミア半島、つまりロシア連邦への帰属などの考えもあったが、現在(2016)のドンバスはひどい貧困がある
どこにも仕事が無く、一部のカテゴリーの市民(年金生活者、シングルマザー、一部のグループの障害者)だけが2千ルーブルの現金給付を受け、残りのドンバス住民は何も受け取らず、何の支給もない
2千ルーブルの受給者たちは、ロシアから年金を受けていると考えているが、実際は年金ですらない
ロシアからの一時的な給付金に過ぎない
次の2千ルーブルの支給の保証はない
物の価格はモスクワと変わらない
ただ、ウォッカとタバコは安い
ウォッカは100ルーブル以下、タバコは10〜25ルーブルだ
ウォッカもタバコも安いから、みんな一様に酔っ払ってしまう
仕事がなく、明日を信じられず、絶望から酒を飲み始める
これは怖い

ロシアが供給したとされている人道的支援について、ゴルロフカのある人道支援センターで働く友人が教えてくれた
ドンバス諸都市の全住民に届く唯一の人道支援は、ウクライナのオリガルヒ、リナト・アフメトフを経由したものだけだと

リナト・アフメトフ:ウクライナ最大のオリガルヒ。

ロシアの人道支援、悪名高い白いKAMAZトラックは、ルハンスクやドネツクのどこかに消えて、ゴルロフカの住民には届いていない
メディアでは別の車列が到着し、ドンバス全域に10台のKAMAZが到着し、誰もが喜んでいると、うんざりするほど報道する
実際、バカバカしい限りだ

ひどい貧困の中、人々は自給自足で農業や物々交換、商品交換でぎりぎり生き延びている
彼らは1キロの砂糖と小さな子供のおむつを交換する
本当にひどいものだ
私はそこで封建社会を見たのです
本物の封建社会を

31,000ルーブルの給料で、億万長者の気分を味わえたわけですね

大金持ちになった気分だった
そのお金で家を買わないかと言われた
家が31,000ルーブルより安かった
民家はほとんど空家だったんだ
この家を買いたいのか、あの家がいいのか、と提示された
ドンバスではクレイジーな金だ
たしかに、大金持ちになった気分だった

あなたは有名人になり、ウクライナのメディアは貴方が死んだとまで報道し、あなたは芝居をしましたね
目出し帽をかぶり、そしてそれを脱いで「私は生きています」と言って

そう、確かにそんなこともやった
残念ながら、ウクライナのメディアは、民兵の司令官、特にギヴィとモトローラが殺されたとよく報道する

ミハイル・トルスティフ(ギヴィ):ドンバスの指導者の一人。2017年死亡。

アーセン・パブロフ(モトローラ):ドンバスの指導者の一人。2016年死亡。

これは情報戦なのだから、驚くような事ではない
勝利のためなら、民兵が死んでいるように見えることは偽装のきっかけとしては悪くない

(つづく)

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じゅん
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