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東西ドイツにどれほど差異があるか
7月19日独メディア Deutschlandfunk:(7,776 文字)
ウクライナへの侵攻を巡るロシアとドイツ ー 国際関係だけでなく、私的な関係もある
東独とソ連の間の関係は複雑でした
露の侵略戦争に対する多くの東独人の態度は、様々な要因で形成されています
1994年1月、目の粗い映像 大広間、カラフルできらびやかなドレスを着た女性、スーツを着た年配男性、シャープな幾何学模様のジャンパーを着た若い人たち
彼らは何時間も歌い、踊り続けた
露語と独語の入り混じった音声が聞こえる
フランクフルト・アン・デア・オーデルの将校の家でのお別れ会、最後の別れ
赤軍(旧ソ連軍)の撤退である
この時の写真には、双方の不安な表情が写っている
露人、特に将校とその妻たちは、将来への不安の中で帰国している
独人も複雑な心境だ
ソビエトが去っていくのを悲しむべきか、それとも占領者がもうすぐ立ち去るのを喜ぶべきか.....
彼らの表情から東独・露関係の両義性を読み取ることができる
ワイマールの歴史家シルケ・サチュコフは 「ソ連軍を『厄介な犬のように』見送った」と、赤軍の東独からの撤退を非常にドラスティックに語っている
サチュコフはハレ大学で歴史学を教えている
再統一されると、東独の人々は機能不全の企業や崩壊した都市の中からスケープゴートを探そうとした
「誰が悪いのか?私たちではない。私たちはいつも働いていた」 と、彼らは主張した
そして、スケープゴートにされたのは Stasi(東独諜報機関)、Wandlitz(東独政府官僚組織)、露人であった
ソビエト・ロシアは、厄介な犬のように追い払われた
彼らがどのように去っていくのか駅の写真で見ることができる
そこには別れを告げるワイマール人はほとんどいない
独人は彼らがいなくなることを喜んでいた
しかし、ソ連で生まれ、旧東独で育ったジャーナリストのセルゲイ・ロフトホーフェンは、赤軍とその撤退について、異なる見方を持っている
「1990年代に露軍が撤退した時、関係が非常にリラックスしたままだったことに非常に驚いた
実際、ちゃんと見直してもらえば、どんな状態だったか分かると思います
私が育ったゴータには、露人将校の街があった
それらのほとんどの家屋が老朽化し、ぼろぼろになったため、取り壊さざるを得なかった
実は、本当に深刻な対立が起こるかと思っていたのですが、全くそんなことはありませんでした
むしろ、哀愁が漂っていた どこかでストックホルム症候群のようなもので納得していたのです
共に苦しみ、素晴らしい時間を過ごしました
私たちは、苦難の共同体の一員でした
しかし、それは90年代初頭まででした
1990 年代半ばから、東独人にとって非常に悲惨なことが起こりました
東独の生活と東独市民には実際にはあまり価値がないとメディアが報じはじめ、これらの古い世代は仕事、専門職、そして、しばしば、プライドを失うことになりました
それで『待てよ、それなら東独では本当に何もできないのか?西独になく、我々にあるものは何だろう?』 となりました
東独人は東側製品、東側地域のことを考え、また、露のことも考えるようになりました
そして突然
『これが読めないなら、あなたは愚かな西独人です』 と、キリル文字が書かれたTシャツやポストカードが登場することになりました」
東独と西独の露に対する評価の違い
ここ数カ月だけでなく、近年の調査でも、露、プーチン、ウクライナでの侵略戦争に対する評価には、東西独人の間で大きな差異があることが明確に示されている
2020年、ベルリン東欧・国際研究センターは、クリミア併合後、ウクライナ侵攻前の東西独における露のイメージについて調査を実施しました
調査では、西独人の65%がプーチンを「欧州に対する脅威」と考えているのに対し、東独人は50%にとどまっていました
東独人の3分の1はプーチンを「有能な大統領」と見ており、西独人で同様の意見を持つ人は5分の1にとどまりました
この違いは、地方政治にも反映されています
例えば、露のウクライナ侵攻以前は、東独知事たちはこぞって対露制裁の解除を要求していました
これは右派政党も左派政党も関係ありませんでした
特に州議会の選挙キャンペーンでは、東独の政治家は、親露有権者の支持を得ようとすることが少なくありませんでした
例えば、2019年の州選挙の直前、テューリンゲン州のSPD党の経済大臣ヴォルフガング・ティーフェンゼーは
「NATOの行動(制裁)は露への重大な侮辱でもある!善人が西側にいて悪者が反対側にいるというのは真実の一部でしかない それ(制裁)は常にどこかでエスカレーションにつながり、最終的には崩壊します」と言っていた
ソ連占領軍による東独人への影響
シルケ・サチュコフは、東独が露に非常に接近していると説明する
「1945 年以降、独の全世代が、分断されたシステムの中で成長しなければなりませんでした
こちらでは社会主義で、社会主義は善、資本主義は悪です
東側の全世代と西側の全世代が育った冷戦時の二分された考え方です
そして、彼らは危機的状況の中では、この枠組みに従って意思決定を下すのです
ウクライナでの露の侵略戦争により、とても急速に、冷戦時の思考方法が東と西の両方で出現しました」
これに加え、サチュコフは、1945年から1990年代初頭の撤退までの、ソ連占領下の東独人への刷り込み(注:洗脳)の変化を指摘します
「第二次世界大戦で罪を犯した東独人たちは、取引を持ちかけられました
新しい制度に協力すれば、たいていの罪は見逃され、出世の希望もありました
そうしてソ連兵によるレイプや略奪、1945年以降の工業工場の解体などは、旧東独では公式のタブーとされ、徐々に歴史の闇の中に追いやられました
これは、ソ連の指導者の利益になることでした」
「そして、もちろん、このプロパガンダは、ソ連占領下の東独が本物の新たな独で、ナチス独は全て消え去ったのだという感覚に大いに貢献しました」
と、イリーナ・シェルバコワは言います
独語学者で歴史家でもあるイリーナは、独民主共和国(旧東独)の文献を露語に翻訳し、後に人権団体「メモリアル」の設立に貢献しました
イリーナはモスクワで出会った独民主共和国の少女との思い出を話します
「彼女の父親は旧東独外交官で、私の家に遊びに来ていたんです
そして、私の父が彼らと話をしていました
彼女の父は第二次世界大戦の(独軍の)航空兵でした
そして私の父は(ソ連軍の)歩兵の中尉でした
彼らの話は盛り上がりました
そのとき、その独人の少女は、話を聞いていて、父親たちが互いに戦線の反対側にいたことに、ふと気付いたのです...
彼女は心から驚いていました
私は『なんてことだ! 独民主共和国(旧東独)の子供たちは何を考えているのだろう?』 と思わずにはいられませんでした」
露人兵士と旧東独人の多様な、プライベートな関係
独民主共和国(旧東独)では、ソ連人は高いバラックの壁の向こうにいることがほとんどでした
「断ち切れない友情」という宣伝文句とは裏腹に、プライベートな接触は望めませんでした
ソ連側では、『戦争に勝った自分たちが、なぜ東独よりひどい目に遭っているのか』と、兵士たちが疑問を抱く恐れがあまりにも大きかったのです
(注:東独は工業力のおかげで、ソ連本国より豊かな生活をしていた)
しかし、分断はあまりうまくいってなかったとシルケ・サチュコフは言う
「下士官以上のソ連人は兵舎の外で生活していたのです
そして、彼らはノーラ(注:東独の地名)のように、この近くの村にも住んでいました
多すぎるくらいです
つまり、東独住民600人とソ連露人6,000人が隣人として、子供たちは幼い頃から赤軍とナチスが一緒に遊んでいたということです
パブでは、『露人がいる!』とよく気づきました
人々は恋にも落ちました
両者の間で結婚式があり、兵士の子供たちがいて、彼らは今日も生きています
仕事上の人間関係もあります
特に将校の妻たちは毎日ノーラの酪農場に通い、小遣いを稼ぎました
もちろん違法でしたが、交流することはできたのです
一緒に朝食をとり、一緒に昼食をしました
よく見れば、東独人、特に年配の東独人たちは、規則上の無機質な独ソ友好とは程遠い、多様な関係をソ連・露と持っていたのです」
1956年の第二十回党共産党大会(注:フルシチョフによるスターリン批判)後の雪解けにより、突然風通しがよくなり、共産圏の人々は目を開くことになった
「突然、普通の人々、普通の露人、普通の軍人に、チンギス・アイトマトフ、ミハイル・ショーロホフなどの小説、映画、歌が映画館や本屋に入ってきました
そして、東独人は自分たちに負い目があり、それを償わなければならないと思うようになったのです
今日になっても、彼ら(旧東独人)はこれらの本を読み、これらの映画を観ています」
グラスノスチとペレストロイカ(東独は「ゴルビー」に信頼を寄せていた)
1985年からは、ゴルバチョフがグラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(改革)を推進した
SED(独社会主義統一党、旧東独政権)上層部が恐れていた、新しい映画、雑誌、本、アイディアが、一部禁止されたが、またも解放された
Tagesschau report October 1989: 『ゴルビー!ゴルビー!ゴルビー!』、 昨夜『ゴルビー!』の掛け声とともに東ベルリンの中心部を数千人が行進しました...
1980年代後半、東独の人々は、(旧西独首都)ボンではなく(ソ連の)モスクワに、(西独首相・統一独首相)コールではなくゴルバチョフに、状況改善を請願していました
東西独の統一、新貨幣、国境開放、新しい教科書などでも、学校はすぐには何も変わらなかったとオレグ・シェフチェンコは記憶している
独民主共和国(旧東独)の崩壊から10年以上が経つころ、彼はテューリンゲン州の学校に通った
「確かに反欧米が多かったです
まあ、私の学校でもほとんどの人が独民主共和国の社会主義者で、先生もほとんどそうでした
社会科でも独語でも何でも、親欧米志向という実感は本当にありませんでした
もちろん、独民主共和国(旧東独)の歴史も扱いましたが、常に独民主共和国(旧東独)でどのように学んだかという観点からでした
それは、西独人には想像もつかないことです
だから、今でも、親と食卓を囲んでも議論になるのです
そして、そこでは独民主共和国(旧東独)の良い面だけが語られているのです
そしてそれは、人々が今、米国人についてどう感じているかということと、大いに関係があると思います」
露語授業と交換留学プログラム 東独では、誰もが学校で露語を学んでおり、ソ連で勉強した人もいて、多くの人がソ連で働いていた
1970 年代と1980 年代、最大10,000 人の東独人が同時にソ連にいました
東独人の居住地はウクライナにありました
しかし、2003年にウクライナ人の両親と共にクリミア半島から独に移住したオレグ・シェフチェンコは、今日でさえ、多くの東独人は露、ウクライナ、バルト諸国を区別できていないと言います
「2015 年にモスクワで 1 学期を過ごしました
東西独が統一されても、子供の頃からの夢がロモノソフ大学で勉強することだったので、そこに行きました
そして、ロモノソフ大学のセーターを着て戻ってきました
そのセーターを着ていると、多くの見知らぬ人に声をかけられ、実際にモスクワで勉強したり、何らかの形で露に行くことがどれほど素晴らしかったか話してくれます
東独は今もそこにあります、間違いなく東独です
もちろん、そこには何かが残っています
露語に対する確かな志向が残っています
そして、それも完全にクールなことです!
もちろん、それは私にとって利点です
2003年に独に戻ったとき、モスクワで勉強した露語を話せる医者がいました
露語話者である方が、欧米で育った人より、ずっと簡単でした」
NATOへの憤り、プーチンへの共感
シェフチェンコはSPD(社会民主党)支持者です
彼の政党では、ウクライナやNATO、西側諸国に対する多くの不満があり、露やプーチンに対する同情、時には露の侵攻に対する理解の声さえ聞かれます
SPD(独社会民主党)以外の他の2つの政党でも、このような意見はよく聞かれます
たとえば、チューリンゲン州のINSAの最近の世論調査によれば、AfD(独のための選択党)と左派の有権者は、露の攻撃について部分的にはNATOに責任があると考える傾向が著しく強く、FDP(自由民主党)の支持者がそれに続きます
また、制裁や武器供与も圧倒的多数決で拒否しています
チューリンゲンAfDの共同代表、シュテファン・メラー氏は州議会でこう主張しています
「なぜなら、それは私たちの戦争ではなく、露人の戦争であり、ウクライナ人の戦争であり、ベラルーシ人の戦争であり、米国人の戦争だからです しかし、私の有権者は独人です
彼らの行動で苦しんでいるのは、私たちの有権者です」
東独政治家とポピュリストのメガネ
同様に、テューリンゲン州の州知事ボド・ラメローは、露のウクライナ侵攻の日に小さなテレビ局で次のように語っている
「ウラジーミル・プーチンによりドネツクとルハンスクの2地域の分離独立が承認され、その2つの分離独立組織と友好条約を結んだ
これは、以前、クリミアで見たのと同じ取り決めです
逆に言えば、残念ながらNATOがコソボでやったようなことでもある」
その後、この左翼政治家は、プーチンの戦争に対する見方をすぐに改めたという
しかし、「しかしNATOも」は、東部の多くの左翼とAfDの政治家、正確にはテューリンゲン州では好評で、有権者の過半数がこの二つの政党のいずれかに投票しており、イリーナ・シェルバコワは、この事態を憂慮している
「よく聞く主張です はい、そうです 『でも、NATOだってやった!』です
『そうだ、そうだ、でも米国もやってる!』 『全部アメリカが悪いんだ、米国さえいなければみんな友達だ!』
露に対する限りない思いやり!
それは右からも左からもやってきます
『NATOは露を攻撃したかったんだ!』 と言うのです
ではなぜ、露がまだ弱体化していたこの30年以上の間にそうしなかったのでしょうか?
ナンセンスです
それこそポピュリズムであり、論理でも、本当の歴史や史実でもなく、すべてを感情と作り話で人々を納得させようとするものです」
しかし、AfD と左派の一部だけがポピュリストの見解を持っているわけではありません
いずれにせよ、CDU(独キリスト教民主同盟)党首のフリードリッヒ・メルツは、東独党員たちの忠誠心を心配している
彼自身は、NATO は防衛同盟であり、プーチンはウクライナの侵略者だと考えている
「東独の一部に、本当にそうですか?私たちは彼らを挑発しませんでしたか?避けられなかったのではないか?と言う懐疑的な人々がいることを知っているので、状況を詳細に説明しています」
メルツは、選挙活動中、ゾンネベルクのイベントで、南部テューリンゲン州の年配のキリスト教民主党議員を相手に10分以上も話しをしました
『ご理解に感謝します!』『レディース&ジェントルマン!』
メルツの努力にもかかわらず、拍手はまばらでした
しかし、このような反応は、東独の露に対する親近感だけでなく、当然とみなされている友好関係に対する東独人の懐疑心も関係している可能性があります
ジャーナリストのSergej Lochthofen氏は、それが決定的な理由だと考えている
「まず、東独人は、ソ連軍がここにいた頃から、西側に友情を示すこと、西側のあらゆる要求に対して懐疑的であるように訓練されていました
まさにそれが、今日、言われていることなのです
『新しい米国人の友人』
東独の人たちは、この点で特に懐疑的なのです
一時期は露と大の仲良しと言われたのに、今では露と敵同士です
だから、東独人は、それ自体、親露とは言いきれませんが、友人を押し付けられるのが嫌なのでしょう」
シェルバコワ:東独人の理想郷への思い
しかし、イリーナ・シェルバコワによれば、多くの東独人は、NATOや米国、西側諸国に懐疑的なだけでなく、美しいはずの過去への恨みと憧れがあると言う
「東独の人々は、完璧なドイツに戻りたがっているのです
そして、今、独民主共和国(旧東独)が何であったかを考えるのです
それは何であったのか?
理想の過去はどんなものだったか?
それはどこにあるのか?
東独の人々が何を想像しても、それは、私に言わせれば、現在プーチンから発信されているものと同じくらい非歴史的なものです
完全な歴史の歪曲です」
「同性婚やラブパレードなど、多くの人が近代化の押し付けと感じるものに対し、プーチンは安心と安定を保証するカリスマ的存在だとも考えています
これは、特に若い女性の移住で人口バランスが崩れてしまった東アジアのように、危機や大きな変化を経験している社会ではよく起こることです
それは20世紀と21世紀の激変、20世紀と21世紀における伝統と現実社会のズレに関係があります
『プーチンは何でもできる、プーチンこそスーパーマンだ!』 という男らしさへの狂信、マチョイズム信仰は、世界的なマチョイズムの衰退と大きく関係しているのです
それで
『私があなた方の命を守る』『私を信じろ!』
と上手く言えるリーダーが登場しているのです」
露恐怖症と米国恐怖症
ヨアヒム・クローゼはザクセン州のコンラート・アデナウアー財団の代表で、長年にわたり東独の特殊性を研究してきた専門家だ
彼は、独民主共和国(旧東独)ではナチスの残滓を処理できたとは言い難いと考えている
そして、多くの東独人の露恐怖症と米国恐怖症の中に、この処理されていない問題に対する、代替行為があると考えている
「多くの社会断絶を経験した人は、より良い社会構造よりも現在の秩序を重視し、その時点の平和を望み、現在の秩序を評価するのかもしれません
変化が問題になることもありますから
1989/90年は、あらゆる価値観、全ての配置換えでした
2002年からはザクセン州、特にドレスデンでの大洪水
2010年には金融危機
2013年にはまた洪水
2015年には移民問題
そして2019年にはコロナ
2022年にはウクライナがやってきたのです
そして、いつからか人は疲れてしまった
しかし、この疲労効果は、強い支配者への憧れではなく、安定した秩序への憧れにすぎないと思います」
セルゲイ・ロフトホーフェン氏は、東独の多くの人があまりに反省が無いと不満を抱いている
「東独人はこれらの恐ろしい犯罪を、露の戦争、プーチンの戦争としてではなく、ほとんど不運として受け入れているのです
まあ、『俺たちに関係ないだろ!』と
このように、正直に感情的に直感で行動すること、また、そういう人を受け入れることが東独では当たり前になってきています
そう、年金生活者としてとても良い年金をもらいながら、同時にナンセンスな主張をしているのです」
(終わり)
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