2024/09/22 な日
身近な人が死んだ
亡くなった と書く方がいいのだろう
だけど、なんとなく今は
死んだ
な感じ
治療してた
がんばってた
「頑張ってた」って言葉こういう時
何か使いたくない。
頑張ってたには違いないが
そう書くには、なんかつらい気もするのだ
だんだん体が変わっていって
あぁこれは、どうにかならんもんだろうかと
思ったけれども
だけど
もし命のあり方が決まっているとしたら
それを他力でどうにかしてしまってもいいものかどうか
とか…
単純に、そりゃ生きていて欲しいと願うし
本人も生きていたいと思っていれば
他力を使っても…とは思うものの
なんだかわからないが、
産まれたときに与えられてきた
いのちのながさ
どっちが本人にとっていいのだろうか
考える感じだった
いつまで生きることが出来るんだろう…って思っちゃうよ
と言われた時は
あぁそんなふうに思ってしまうのかと思い
励ますことしかできなかった
苦しそうで
痛いのかなとか
思ってみたりしたけど
息してて、心臓も動いてて
でも
延命治療はしない選択で
医師が言っていた話もいろいろ思い出し
痛み止めと言う名の医療麻薬
おぼろげになってしまいつつ
でも踏みとどまっている感じも受け止められ
これもどうなんだろうかと
これに代わるものはないのだろうかと
思ってみたり
ちょっと前に海外で安楽死?を選択された方の
ドキュメンタリーみたいのを少し見たのを思い出し
生きるとは とか 最後の時 とか
考えてしまった。
きっと本人は、なんでこんなことに とか
なぜ、わたしが みたいな思いとかあったと思う。
話に聞いていたよりたぶん大変だったのではないかと思う
苦しい中でも、本人の自由さとか希望とか考えたら
最後のへんはきっちりもどうかと思って、ちょっとずるしたりもした
自分の最後の時とかって
ほんと想像の中でしかない
きっとそこに至るまでも
どうしたらいいかとか
どの選択がいいのだろうかとか
迷いまくるし泣きまくるかもしれない
決めれないかもしれない
たんたんと見ていたようで
でも
ほんとの現実の心を知ってしまったら
たんたんと
してはいれなくなってしまうから
しっかりしてとか、ひょうひょうとして
負担をかけないようにとか
してたのかもしれないけど
でも
本人いない所で泣いてたりもした
できるだけ本人の前では、泣かないようにと
なんか思ってた気もする。まぁ、それでも
グスグスした時もあったけど。
2人で泣くには、適した場所にいなかったのもあるけど
でも、2人で泣いちゃっても良かったのかもと
思っている
つらつら書いただけ。
なんとなく忘れてしまう気持ちを
忘れないように