閑話(20) 医療格差

「あなた、障害者手帳持ってるの?」

学生の頃、医務室で足のやけどを治療してもらった際、言われた言葉です。

(えっ!? 私、障害者だったの?!)

自分のことを障害者だと思ったことは、一度もなく。
寧ろ、運動は人より出来る方で、陸上の地方大会では大会新記録で優勝なんてこともあったのに。
帰宅後、急いで、障害者手帳の条件を調べました。結果、私程度では手帳はもらえないことが判明。
私は、健常者でもない。
障害者でもない。
なんて中途半端 笑

私の右足は、フツーの人とは違います。
第2趾は、赤ちゃんの指。
第3趾は、欠損。
第4趾は、第3趾の方に曲がっています。

そのせいなのか分かりませんが、背骨は少し側弯し、右脚の股関節はすり減って痛みを感じることもあります。

物心ついた時にはこうなので、自分では指のない足が普通なのですが、見慣れない人からすると、やはりぎょっとするようで「気持ち悪い」と言われたこともあります。
見慣れた自分でも「気持ち悪っ」と思うこともあるので、
「他人から見たら、それはもう気持ち悪いよね」
と子供心に納得してました 笑

なぜ指がないのかー。
それは、赤ちゃんの頃、指を車輪に挟んで切ったからです。
怪我した直後は、ギリ切り落とされてはなく、辛うじて皮膚はくっついていたそうですが、運悪く、その日は休日。
しかも地元ではなく出先(田舎の祖父母宅)。
場所柄、ただでさえ病院は少なく。
なんとか病院を見つけ、処置してもらい、祖父母宅に帰宅したそうです。
が、繋がったはずの指が真っ黒になり、慌ててまた病院へ。
しかし、応対した看護師さんが
「打撲したんだから黒くなるのは当たり前」
と言って、門前払い。
「先生に診ていただきたい」
と懇願する母の訴えは、聞き入れてもらえなかったそうです。

翌日、地元に戻り、近くの大学病院に連れていきます。
が、傷口を見た先生は
「あーこれはダメ。もう腐ってる。何しても無駄無駄」
と言って、本当に何もしてくれなかったそうです。
(この大学病院は、中学生の頃も、とーってもイヤな思いをしたので、二度と行きたくない 笑)

近所の病院に連れていき、ダメ元で処置をお願いしてもらった結果、
第2趾は、赤ちゃんの指。
第3趾は、欠損。
となりました。

処置をした先生曰く
「赤ちゃんの血管は細くて難しいから、うまく繋がってなかったんでしょう」

第2趾はちゃんと繋がってる(ように見える)のに、なんで赤ちゃんの指のままなのか?
痛みを感じるから、神経は繋がってそうだし。
爪もちゃんと伸びる。
曲げることもできる。
でも、大きさは赤ちゃんのまま。
本当に謎です。
整形外科の先生、理由を教えてくださーい。

「麻酔もかけずに、泣き叫ぶあなたを押さえつけて縫ったから、あなたは注射が嫌いになったんだと思う」
と母が言ってました。

これらの出来事は、私は全く記憶がありませんが、病院に行くと心拍数が上がるのは、きっとこの体験のせいに違いない 笑

「お前が親の言うことを聞かないから、こうなったんだぞ」
と、子どもの頃から言われていた私は
「親の言うことを聞かなかった私が悪い」
とずっと思ってました。

しかし、大人になって
「赤ちゃんに親の言うことをきけって、それは無理でしょ。ちゃんと見てなかった親が悪い」
と仰る方がいました。

目から鱗。
そんなこと考えたこともありませんでした。

でも、もし
「私達親がちゃんと見てなかったから」
「あの看護師さんが悪い」
「あの医者の腕が悪かったから」
と、言われて育てられたら。
私は、今以上に他責人間になったかもしれないし、人を恨む人間になっていたかもしれません。

まぁ、私は生まれながらにして性格が歪んでいるので、どのルートで育てても失敗作なんですが 笑

T大病院に通うようになり、ふと思ってしまうのはー…。
もし、東京でケガをしたのなら。
大きな病院の救急科で、すぐに処置してもらえたかもしれない。
病院が沢山ある東京なら、どこかの病院の先生が治してくれたかもしれない。
もしかしたら、私の足の指は、普通の人と同じだったかもしれない。
「障害者手帳持ってるの?」と言われることなく。
「気持ち悪い」と言われることもなく。
ケガしたかどうか分からないくらい、綺麗に治ったのかもしれない。
そうだったら、人目を気にして指を隠すこともなく、プールや海も楽しめて。
ペディキュア塗ってサンダル履くというお洒落も出来たかも。

なんて。
もしもの話をしても、どうしようもないのは分かっていますが。
同じ日本なのに。
住む場所によって、受けられる医療の質が異なる。
医療格差。

私が、今受けている癌治療は標準治療なので、日本のどこでも同じ治療を受けられると思います。
が、やはり、主治医の考え方・経験値により、ちょっとずつ差が出そうな気がします。
標準治療が基になっているので、先生達の考えが違っても、どれも間違いではないんでしょうが…。
それでも、SNSを見ていると、主治医によって、やはり違うような気がします。
コントロールというか、選択肢というか、治療の分岐点というか、決断する時期の見極めというか…。
そして、それは、増悪や予後に直結してるように感じられます。

どの先生に診てもらえるのか。
良い先生と巡り合えるのか。
それは、もう「運」。

けれど、選べる病院や医師の「数」は、住む場所によって格差が生じる。
場所によっては、患者には、選択権すら与えられない。
現実は、キビシイ…。


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