閑話(9) 誰もがもっと自由に行動出来るようになるといいな
白杖をついて歩いている方を、稀に見かけることがあります。
付き添いの方がおらず、お一人で歩かれているときは、勝手に見守ってしまいます。
(時間に余裕がある時だけですが…)
白杖の方にとって、一人で歩くことは、当たり前の、日常のことだと思うので、
「余計なことしない方が、あの方のためなのかな」
と思い…声をかけず、後ろからこっそりと見ています。
(周囲からしたら、私は不審者に見えてるだろうな)
でも、壁やモノにぶつかりそうになったり、迷われてたり、頭上に障害物があるとき等、これ以上は危ない、と思った時は、声をかけてしまいます。
「声をかけられるの、本当は迷惑だろうな」
と思う時もありますが、私がハラハラするのに耐えられなくなり、迷惑でもいいや!と思い、つい声をかけてしまうのです。
きっと、私が声をかけなくても、お一人で対処出来るんでしょうが…
私に堪え性がなく。
ありがた迷惑でしょうが、皆さん、申し出を、快く受け入れてくれます。
ありがとうございます。
今から10年程前、電車に乗っていると、白杖の方が乗車され、扉付近に立ちました。
平日の昼間だったので、乗車率は低く、座席はたくさん空いてました。
(立ちっぱなしで疲れないかな?
席、空いてるから教えようかな。
でも、いつもの場所に立っていないと、降りる時、大変だろうから。
余計な事しない方がいいかな。
降車駅が同じならいいけど、違ったら迷惑だろうし。
白杖にカメラが付いて、カメラが目の変わりになって。
映像化して、脳に直接映し出せたらいいのに。
目が不自由だと、ずっと立ったままなんて。
なんだかなぁ)
なんてことをぐるぐる考えて、結局、声をかけずに、私は、その方よりも先に降車しました。
路上や施設内で、白杖の方を見かけることはありますが、電車の中で見かけたのは、あの時だけで。
「あの時、どうするのが正解だったんだろう?」と、思うことがあります。
白杖の方を目的地まで案内した後も、
歩く速さは、大丈夫だったかな。
もっと上手に誘導できたんじゃないかな。
私に話術があれば、会話も弾むのに、かたじけない。
本当は迷惑だったんじゃないかな。
と、反省やら後悔してしまうので。
声をかけても、かけなくても。
ずっと、気になってしまいます。
はぁ。ホント、バカみたいです 笑
中学生の時、ある先生が
「生まれた時から全盲の方がいた。
博士が、見えないのは不便だろうと、善意から手術をしてあげた。
手術は成功し、モノが見えるようになり、博士も患者も喜んだ。
しかし、術前は、車が行き交う道路を平気で渡れていたのに。
手術をして見えるようになったら
『あんな恐ろしいところ歩けない。怖い』
と言って、家から一歩も出なくなった」
という話をされていました。
なぜ、そんな話をされたのか憶えていませんが、
また、先生の話が実話かどうかも分かりませんが(笑)
私には、色々と考えさせられる話だったので、この話だけは、今でも憶えています。
(勉強はすっかり忘れましたが 笑)
車椅子も、電動のモノがあったりと、進化はしているようですが。
先日、車椅子の方が、大雨の中、カッパを着て移動されてました。
カッパを着ていても、お顔もバッグもズブ濡れで…。
車椅子に屋根や傘をつけたら、風の抵抗を受けて、重くて動けなくなるだろうし。
(まあ、傘は普通の人がさしてても、ズブ濡れになるくらいに無能な時もありますが…)
何か良い方法、ないんでしょうか。
以前、通勤時、足の不自由な女性を見かけました。
彼女の一歩は、私たちの1/10くらいで。
同じ距離を移動するのに、私たちの何倍も時間がかかってました。
(この方は、毎朝、どれくらい時間をかけて通勤されてるんだろう?
どんな名医でも、治せないのかなぁ)
彼女を抜き去るときは、いつもなんとも言えない気持ちになっていました。
(そう思う事自体も、失礼だったりするのかなぁ。
分かりません)
道路全部が、空港にある動く歩道ならいいのにな、と。
彼女を見る度に、思ってました。
(そう言えば、もう何年も見かけてないなぁ。
お元気かなぁ)
車道も、車でなく、道路が動けば。
事故も減りそう 笑
誰もが、もっと自由に、不便なく。
安全に行動できる世の中になるといいのになぁ。