先生、5年後、私は生きてると思いますか?
「先生、5年後、私は生きてると思いますか?」
本当は、笑いながら、冗談っぽく軽く聞くつもりだった。
だけど。
意に反して、結構、深刻な調子で口から出てしまった。
というか、この日は診察開始時から、明るい雰囲気をまとうことが出来なかった。
(今日は、この質問は絶対しよう)
と決めていたからかもしれない。
「(5年後生きてると)思いますよ」
先生は、笑いながらそう言った。
予想に反した答えが返ってきて、戸惑ってしまった。
先生は「分からないです」と答えると思っていたから。
だから「分からないです」って言われたら、「3年後は?」「10年後は?」と訊くつもりだった。
予想外の回答に、どう返したらいいのか分からず、言葉を発せられずにいたからか。
若しくは、私の顔が強張っていたからか。
先生は真顔になり「何年とは答えられないけれど」みたいに付け加えた。
先生は、最低でも5年は生きられると思ってるのか。
それは、本心なのか。
希望を持たせるためについた嘘なのか。
本当のところは分からない。
けれど。
先生は嘘をついたり、不確かなことは言わない人だと思うから。
先生の口から発せられる言葉は、全て本心なのだろう。
私も、ALKの患者さんは、最低でも5年は生きられると思っていた。
でも。
私とほぼ同時期に告知を受けて。
ほぼ同時期にアレセンサを服用開始した方が亡くなったりすると。
分からなくなった。
あんなに元気だったのに。
本当にあっという間に悪化して。
しかも、それがたった数日のことで。
信じられなくて。
そして、怖くなった。
病死は、徐々に弱っていくものだと思っていた。
緩和ケアの先生は、「死ぬ1~2ケ月前までは一人で動ける」と言っていた。
だから、死ぬのは、急激に悪くなりだしてから1ケ月後だと思っていた。
なのに。
何の前触れもなく。
あまりにも突然で。
そして、それはつまり、自分で命を絶つことすら、その選択権すら奪われてしまうということでもあって。
時間は、有限なんだと。
今、こうやって、元気に過ごすことができることは貴重なんだと。
そして、それは予告もなく、いきなり終焉を迎えるものだと。
否応なしに、自覚させられた。
「悪運の強い私は、なんとかなるんじゃない?」
という考えが、根底にはあって。
だから
「ちゃんと考えないと」と思いつつも、何一つ変わらない日常を繰り返していた。
でも、今回は、ガツンと現実を叩きつけられて。
動揺してしまった。
でも、またすぐに日常に戻り、今までと変わらぬ日々を過ごしている。
……愚かだ。
「5年後生きてると思う」
これが、先生の本心だとしたら。
それはきっと、やれる治療を全部受けた場合、なんだろう。
今のところ、治療は、アレセンサとガンマナイフだけにするつもりだから。
先生の言う5年は難しいかもしれない。
運よく5年、10年とアレセンサを服用出来る可能性もあるけれど。
アレセンサは、もう脳には効かないのかも。
左の脳腫瘍が大きくなったら、またガンマナイフで叩けばいいけれど。
増え出したら、アレセンサは中止になるだろう。
実際「今回、ローブレナへの切替も考えた」と先生は仰っていたし。
ガンマナイフ前の説明でも、先生は、播種を気にしてたし。
アレセンサを服用しながら、増えたらガンマナイフで叩く、というのを繰り返していくことが出来れば、それが一番なんだけれど。
いくらガンマナイフとはいえ、そんなに何度も何度も照射してもよいのだろうか?
脳が浮腫んだり、破壊されて、認知機能が低下したりしないのだろうか。
それに、脳腫瘍が増えなくても、原発巣が大きくなったり、他の臓器に転移したら。
「アレセンサはもう処方できません」と、言われるだろう。
「ローブレナ 無増悪期間5年」と目にしたけれど。
患者さん全員が5年飲み続けられるわけでもないし。
仮に5年飲み続けられたとしても、副作用として支払う代償は大きいような。
アレセンサがあまりにも優秀なお薬だから。
どうしてもそう思えてしまう。
ローブレナを1年以上休薬しても、脳腫瘍も消えたままで著変なしの方がいたり。
アルンブリグを1年以上、服用出来ている方もいる。
逆に、どちらも身体に異変が生じて、すぐに服薬中止になる人もいて。
どのお薬が、その患者さんに効くかは。
飲んでみないと分からない。
効くかもしれない。
効かないかもしれない。
副作用が出るかもしれない。
副作用が出ないかもしれない。
博打みたいなものだ。
でも。
肝臓が壊れたり。
腎臓が壊れたり。
肺炎になったり。
神経障害がでたり。
副作用で、身体に負荷をかけてまで、治療を受ける意味はあるのだろうか?
私は、移植手術は、賛成でも反対でもない。
(誘拐して臓器売買とか犯罪は許せないが)
手術を受けたら、生きられる人がいて。
ドナーもドナー患者も納得して、提供するのであれば。
ちゃんとした手続きを踏み。
正規ルートで行われる手術ならば、有りだと思う。
だから、献体に申し込む前は、免許証の臓器提供欄には「○」をつけていた。
不摂生な生活は送っていなかったから、臓器には自信があったし。
必要な人に役立つのであれば使ってもらえればいい、と思って。
でも。
自分が、もし、移植が必要だと言われたら。
私は、手術は受けないだろう。
今まで自分を支えてくれた臓器を捨てて。
誰かの命を貰う。
そんな価値、私にはないし。
頂いたもの以上の何かを、社会貢献で恩返しすることも出来ないし。
臓器提供して下さった方の分もきちんと生きねばと、一生懸命、死ぬまで頑張るなんて、私には無理。
重過ぎる。
そう思っていたけれど。
今、受けている治療も同じなのかな?と思うようになった。
治療をしなければ、薬を飲まなければ、死ぬ。
移植を受けなければ、死ぬ。
手段が違うだけ。
死なない為の治療は、身体に無理をさせて、生きているのと同じ。
肝臓や腎臓は、相当疲弊しているだろう。
身体に無理させてまで、生きる必要はあるのだろうか?
病気になった時点で、身体は死ぬ方向にシフトしたのでは?
それをムチ打って。
無理やり働かせて。
身体は、治療を望んでいるのだろうか。
身体は、生きたいと思っているのだろうか。
身体に無理させてまで、私に生きる価値はあるのだろうか。
生きたいなら、生きられる間、頑張ればいい。
生を望む思いが、願いが、辛い治療にも耐えられる気力になるのだろう。
でも。
私は、家族や子供がいるワケではない。
そんな私が、生きる必要はあるのだろうか?
根治のない私が生きていると、周りが迷惑するだけなんじゃないだろうか。
幼少期から、自分には存在価値はないと思って生きてきた。
病気になった私は、益々存在価値が無くなってしまった。
なんでまだ生きてるんだろう。
なんでまだ生かされてるんだろう。
仮に5年後生きていたとして。
今みたいに、元気に過ごせるの?
今みたいに、一人でやっていけるの?
毎日、不調続きで、通院が増え、入退院の繰り返しの状態になって。
少し動くだけでも苦しくて。
四六時中痛みに襲われ。
一人では何も出来なくなって。
迷惑ばかりかけて。
そんなの、耐えられるだろうか。
そんな姿、母には見せたくない。
母は、きっと自分を責めるだろう。
母は悪くはないのに。
自分を責め、泣いて過ごす姿が容易に想像できる。
だから、病気であることは知られたくないし。
具合悪い姿なんか見せられない。
アレセンサ服用期間の平均は約3年半?
私がアレセンサを服用開始して、もうすぐ1年半。
残りは約2年?
それよりも、長いかもしれない。
短いかもしれない。
現時点では、分からない。
分からないのならば。
だったら、きっかり、後2年で終わりたい。
という気持ちもある。
癌細胞をちゃんと調べたら分かるような気がする。
アレセンサが効きやすいALK。
ローブレナが効きやすいALK。
アルンブリグが効きやすいALK。
他の薬剤が効きやすいALK。
それが治療前に分かれば、治療中も、残りの人生もとても有意義に過ごせるだろう。
無駄なく。
悔いなく。
なんて考えは、強欲かしら。
世界中の天才研究者さん達。
癌細胞を分析器に入れたら、
その人の生存期間が分かる。
薬剤が効く期間が分かる。
どのタイミングで、どの薬剤に切り替えていくのが、一番効果的なのか。
治療中に起こりうる癌細胞の変異や、転移先の予測。
他にも、投与前に色んなことが分かる。
そんな検査装置、作ってくださーい。
って、もうありそう。